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弔問

 ジェンセンは、アイラに細々とした注意を与えた後、立ち去った。注意しなければならないのは、貴族たちが別れを告げに来る時だ。

「お皿はそのままでいいわ。あなたももう寝た方がいい」

 アイラが夜食を食べ終えたのを見ると、エリーシャはアイラを寝室へと追いやろうとした。


「でも、お皿が……」

 エリーシャのメモには、後かたづけは明日でいいと書いてあったけれど、皿を置いたままなのは気が引ける。

「疲れた顔してる。明日も早いから、さっさと寝なさい!」

 アイラの手から皿を取り上げて、エリーシャはアイラの背中を押す。しかたなくアイラはエリーシャに促されるままに寝室へと入ったのだった。


 † † †


 翌朝、エリーシャはアイラに手伝わせて喪服を身につけた。真っ黒な衣服は襟が高く、身体を締め付けない作りだ。豊かな黄金の髪をきっちりと結い上げて上からベールをかけたエリーシャは、黒の靴に足を押し込んで立ち上がった。

「……さて、わたしはわたしの仕事にかからないとね」

 昨日一日、アイラはジェンセンと魔法陣を描く作業に勤しんでいた。その間、エリーシャは今日からの日々に備えてこの部屋でのんびり過ごしていたのである。


 エリーシャの身支度を手伝うアイラは、この宮に仕える侍女のお仕着せに身を包んでいた。この宮に仕え始めていた頃習った不細工メイクを施して、度の入っていない眼鏡をかける。

「今日のご予定ですが」

 こちらもまた、侍女のお仕着せに着替えたベリンダが入ってきて、一日の予定を口頭で確認する。


「……午前中だけで、四組も面会の予定が入っているなんて」

 エリーシャは嘆息したけれど、皆エリーシャにお悔やみの言葉を伝えようとする人たちだったからむげに扱うわけにもいかないのだ。

 部屋を出る前に、もう一度メイクを確認してから、エリーシャはアイラの方を振り返る。

「アイラ、武器は持った?」

「もちろんです」

 スカートの中には、二本の短剣を隠してある。それもまた、アイラがこの宮に来てから始めた習慣だった。


「それでいいわ。さ、行きましょ」

 エリーシャは足早に歩き始めた。

 後宮内にまで入ることを許されるのはごく限られた人間だけだ。そのために、エリーシャが客人と面会するのは、前宮にもうけられた一室だ。

 これは、エリーシャが皇位を預ける前からずっとそうで、ダーシーとの「お見合い」が後宮内で行われたのは例外だ。


 主が皇宮を出たということもあり、現在皇女宮に仕えている侍女はほとんどいない。今エリーシャのところに回されているのは、主を失った皇后宮に仕えていた侍女だ。

「あなた、先頭をいってくれる? アイラは一番後ろをお願い」

 アイラは回されてきた侍女たちの顔を眺めた。あまり親しく接する機会はなかったものの、皇帝が開催した晩餐会の席にエリーシャのお供をしたことがあるから顔だけは知っている。


 主を失った、この人たちはこれからどうするのだろう。ベリンダが探りを入れた時には、皇后が毒をもられていたという噂を流してくれたのだが。

「最初の面会者は誰だったかしら」

「フラヴィス・カート・ウェスター伯爵です」

 ベリンダの返事にエリーシャはかすかに眉を上げた。アイラは知らない名だったので、エリーシャの表情が何を意味しているのかわからない。

 

 エリーシャが指示した通り、アイラはずらりと並んだ侍女たちの最後尾についた。皇后宮から回されてきた侍女たちがその他にエリーシャの周囲を固める。

「さて……行くわよ」

 エリーシャが小さな声でつぶやいたのを、アイラは聞き逃さなかった。いつもなら皇女宮を出たところで表情から歩き方から変化させるのだが、今日は自分の部屋を出たところで表情を変えた。


 うつむきがちになり、エリーシャは侍女たちに囲まれてしずしずと歩き始める。皇女らしい立ち居振る舞いだった。

 客室との面会のために用意されているのは、贅沢な部屋だった。タラゴナ帝国の権威を、財力を見せつけるためのものだ。

 長年の間使われていた上質なテーブルには銀の茶器。絹張りのソファにエリーシャは優雅な姿勢で腰をかけた。皇后宮から来た侍女たちは隣室へと下がり、アイラとベリンダは壁際に控えた。


「……入って」

 エリーシャは両手を膝の上で組み合わせると、声高に命じた。

 ゆっくりと扉が開かれ、一人の男が入ってくる。エリーシャは、入ってきた男を見上げた。アイラの視線もエリーシャと同じように男の方へと向けられる。

 彼は体格のいい男だった。上質な黒の上着に揃いのズボン、白いシャツは絹だった。長めに整えた黒い髪を首の後ろで一つに束ねている。


「お悔やみを申し上げます。皇女殿下」

 エリーシャの前で、彼は恭しく膝をついた。エリーシャは鷹揚に片手を差しだし、彼はその手を取って顔を寄せる。

「こうやってここで会うのは初めてだったかしら?」

 身振りで座るようウェスター伯爵を促し、エリーシャは話の口火を切った。

「はい、皇女殿下のお部屋で、お目通りいただくのは初めてです。謁見の間で皇帝陛下に謁見した際、お姿を拝見したことはありますが」


「……そう」

 エリーシャは、ゆったりとした仕草で手にした扇を開く。その扇で口元を隠すと、首を傾げた。首が一定の方向に傾く。本心を隠したい時、エリーシャがこうするのをアイラはよく知っていた。

 以前、エリーシャの影武者をつとめた時、アイラは彼女を完璧に演じるためにこの微笑みを意図して真似たのを思い出した。


「伯爵は昨年結婚したばかりだったわね? 今回は奥方はどうしたの?」

「現在、実家に帰っておりまして。すぐに戻ってくるように使いを出したのですが、まだ到着しておらず――」

「ああ、奥方はダーレーンのご出身だったわね。それでは戻ってくるまでは、しばらく時間がかかるでしょうね」

 素早くエリーシャが戻ってくることができたのは、魔法陣を使ったからで、普通なら使いがもたらして知らせを聞いてから、戻ってくるまでひと月近くかかるはず。


 ダーレーン、という言葉にアイラは表情を変えそうになったけれど、エリーシャは平然としたものだった。

 ――この人もダーレーンに関係する人……。

 国境を接しているし、緊張関係にはあっても全面戦争というわけではないから、諒国の貴族が姻戚関係にあることは多い。

 とりあえずこの男の顔と名は覚えておいた方がよさそうだ。アイラは伏せた眼鏡の陰から、伯爵の表情をうかがい続けたのだった。

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