笑うエリーシャ、そして…
厨房で用意してもらった軽食とお茶道具一式をワゴンに乗せて戻ったアイラがセルヴィスにされた申し出を聞いたエリーシャは、腹を抱えて大笑いした。
「最高! 何それ! アイラちょっと行ってきなさいよ! そうしたらわたしたち義理の姉妹になるわけね!」
「……一応、わたしにも選ぶ権利があると思うんですけどぉ……」
エリーシャと義理の姉妹という響きには魅力を感じないわけではないけれど、相手がセルヴィスだというのならごめんこうむりたいところだ。
「セルヴィスはそこまで考えてなかったんでしょうよ! ろくな女と付き合わないからこういうことになるのよ……ああでもおかしい! だいたいねえ、そんな簡単な話じゃ決まらないわよ、正妃の地位なんて」
何も床を転げ回ってまで笑わなくてもいいじゃないか――と、アイラがエリーシャに言えるはずもない。
「おかしくないですよ。だいたい、あの方わたしの素顔も知らないんですからね! ジェンセン・ヨークの娘だから欲しいだけじゃないですか」
ぷぅっとむくれたアイラに向かってエリーシャはグラスを突き出した。
「ワーイーン!」
何を言ってやればいいのだろうと、アイラは必死に考える。
「エリーシャ様がおっしゃったんですよ。出たとこ勝負だって。まだ負けたわけじゃないです。こっちから打ってでればいいんです――だって、エリーシャ様はそれができるじゃないですか」
アイラの言いたいことがエリーシャにはわからないようだった。
「以前はこうおっしゃってましたよね? セルヴィス様に国をまかせることはできないって。でも今はまかせてもいいと思ってらっしゃる」
「そうよ。彼も成長したもの……ちょっとだけ、ね」
親指と人差し指を広げて、エリーシャは「ちょっとだけ」を自分の手のサイズで表現して見せた。
「セルヴィス様と共同戦線を組むというのはどうですか。少なくともエリーシャ様を敵視していた皇后陛下は……その……」
この後を続けることはさすがにはばかられた。エリーシャは声を上げて笑った。
「言うわね、アイラ。悪くはないわ――共同戦線まではできないにしても、セルヴィスがどこまで知っているのか、それを探り出すのも必要なことだろうし」
そう言ったエリーシャは、すぐに忙しく頭を回転させはじめたようだった。
以前はエリーシャの居間にはもう少し人がいて、食事の時は賑やかだったのだけれど。ユージェニーとベリンダはやらなければならないことがあると出て行ったままで、今ここにいるのはエリーシャとアイラだけだ。
「セルヴィスはあなたを後宮に入れて飼い殺しにするつもりでしょうねぇ」
タラゴナ帝国において後宮とは、皇帝、もしくはその後継者が愛人たちをかこっている場所を指す場合と、皇帝の家族が生活している私的な空間を指す場合両方がある。今エリーシャがさしているのは前者の方だ。
「やーですよ。それで、他の女の人たちから嫉妬されたりバカにされたりするんですよね。飼い殺しなら一度もお渡りないでしょうに」
「あら」
エリーシャは目をぱちぱちとさせた。
「あなたセルヴィスに渡って欲しいの?」
「お断りします。タイプじゃないです――すみません」
エリーシャの弟相手に言いたい放題しすぎてしまった。アイラはうつむく。エリーシャはけたけたと笑った。
「いいわよ、わたしだってセルヴィス相手はごめんこうむりたいもの」
セルヴィスは容姿だけならそれほど悪くはないと思うのだ。髪の色や瞳の色はエリーシャとよく似ている。
タラゴナ皇家の血が濃く出たのか、意志の強そうな瞳に高めの鼻。少年から青年に移り変わろうとしている今は頼りなさのようなものが先に立つけれど、あと何年かすれば国中の女性たちが彼に夢中になるだろう。
アイラ自身がどうなのかと問われれば――遠くから見ている分には素敵、ということになるだろうか。あくまでも遠くから見ている分には、であって後宮に入るつもりはないけれど。
◆ ◆ ◆
翌朝、アイラを迎えに着たのはイヴェリンだった。彼女が着ているのは、エリーシャの近衛騎士だったころとは少々デザインが違う制服だ。顎のラインで切りそろえた栗色の髪と、彼女の美貌を少々きつく見せる眼鏡は以前と変わっていなかった。
「……お久しぶりです、イヴェリン様」
「こういう状況で再会するとは思わなかったな」
イヴェリンが嘆息するのも当然かもしれない。最後に顔を合わせた時、アイラはエリーシャの侍女で、イヴェリンはエリーシャの近衛騎士だった。あの頃とはお互いの立場もずいぶん変わってしまった。
「魔方陣を書くように、と言われたんですけど……」
「わかっている。わたしとユージェニーが警護につくんだが……一応、剣は持ってこい」
「……大丈夫です」
皇女宮に戻ったから、スカートの下に短剣を二本隠してある。長剣よりはこちらの方が使いやすそうだ。
「ずいぶん大げさなんですねぇ」
エリーシャが滞在している皇女宮を出て、皇帝家族の生活の場である後宮の出入り口の方へと歩きながらアイラは呟いた。要所要所に配された護衛の数が以前より増えている。
「……以前、攻め込まれたからな。たった二人の魔術師に。後宮を守る結界も張り直して強化してあるが、まだ不安は残っている。あの魔術師たちに普通の人間が対応できるとも思えないが――ま、足止めくらいにはなるだろう」
「……攻め込まれない方が、いいんですけどね。エリーシャ様は、ご自分が後宮の外に出ればそちらに目が行くと思っていたみたいなんですけど……」
エリーシャは自らを囮にして、セシリーたちをおびき寄せようとしている。だからといって、易々と殺されるつもりもなくて、アイラ自身は聞かされていないけれど父であるジェンセンやユージェニーたちは何か手を打っているようだった。
「クリスティアン・ルイズは、本当は……どちらを優先したいのだろうな」
以前、この宮に攻め込んできた時、クリスティアンはエリーシャを許さない、と言っていた。差し出された彼の手をエリーシャが拒んだから。
タラゴナ皇家を滅ぼすこと。エリーシャを殺すこと。どちらもクリスティアンにとっては大切なことなのだろうけれど、彼にとっての優先事項がどちらなのかはわからない。
「……エリーシャ様の密偵もダーレーンに入ってますけど、まだ報告がないんですよねぇ」
「そう、だったな」
パリィはしばらく睡蓮邸に匿われていたし、ダーレーンで捉えられていた彼を救出した時、アイラに同行していたのもイヴェリンだったから、互いの顔は知っている。
以前に比べると物々しい警備体制のしかれている庭園を通り抜けて、イヴェリンがアイラを連れて行ったのは、後宮の東の端だった。
そこには以前東屋があったはずなのだが、今は取り払われて、土台だけが残されていた。
「娘よ、元気だったか?」
待ちかまえていたのは、ジェンセンだった。
お久しぶりです。毎回感想を大変うれしく読ませていただいていたのですが、なかなか返信できなかったりするので感想欄を閉じさせていただきました。
かわりに拍手ボタンを置かせていただきましたので、誤字脱字等ありましたらそちらからご連絡いただければと思います。
お返事にはかなり時間がかかってしまうこともあるかと思うのですが、お気長にお付き合いいただければ幸いです。