皇女様、乱闘す
どんよりとした空気の中で夕食を終えると、エリーシャはアイラたちを引き連れて自室へと戻った。
「あー、やってらんない!」
せっかくの綺麗なドレスをぽいぽいと脱ぎ捨てたエリーシャは、乱暴な手つきでイリアとファナを追い払った。
「あなたたちは、もう下がっていいから――アイラ、あなたは残って」
「はぁ……」
「よろしく!」
脱ぎ捨てたられた衣類をきちんと片づけてから、他の二人はアイラを残して下がっていく。
「三番目の引き出しにある服を出して」
下着だけになったエリーシャは、アイラに命じて服を出させた。
「これって……」
エリーシャが出させたのは、一般市民の着るのと何らかわりのない服装だった――ただし、男性物の。
焦げ茶色のズボンに、揃いの上着。白のシャツに赤のスカーフが差し色だ。
「あなたも着替えてきなさい。できるだけ、動きやすい物――男物は持ってる?」
「持ってないです」
肩をすくめて、エリーシャはアイラを侍女部屋へと押しやる。
アイラが黒のすとんとしたワンピース一枚を着て戻ってくると、エリーシャは着替えを終えたところだった。
「――それじゃ動きにくいじゃない。まあ、仕方ないわ。それとあなたの家の鍵持ってる?」
「――一応、ここに」
エリーシャは何を考えているのだろう。眉を寄せるアイラにはかまわず、彼女はついてくるように合図する。
「あの、後宮から出るのって許可がいるんじゃ――」
「わたしが許可出してるんだから問題ないでしょ」
そこ? いや、エリーシャが勝手に後宮を出ること自体おかしいのではないだろうか。アイラがまごまごしているうちに、エリーシャはどんどんと皇女宮を奥の方へと歩いていく。
たどり着いた先は、小さな部屋だった。窓こそあるものの、置かれている家具も長い間使われた気配はなく布で覆われている。
エリーシャは壁に迷わず進むと、そこにあった壁に備え付けられている燭台に手をかけた。くいと傾けると壁が開く。
「……あの、これって」
「隠し通路」
さらりとした口調で言うと、エリーシャはアイラを連れてその中に入っていった。彼女が進むに連れて、まっくらな通路にぼんやりとした明かりがともっていく。
「……魔術……ですか?」
「そう。つけっぱなしなのも問題でしょ? まあ、蝋燭と違ってつけっぱなしだからと言って火事になるわけじゃないんだけど――通路を歩く人に合わせて必要なとこだけ点灯するようにしてあるわけ」
誰にもすれ違うことないまま、通路を通り過ぎると、皇宮の裏手に出た。
「あー、やっぱり外の空気はいいわぁ」
エリーシャは大きく延びをして、アイラに手を差し出す。
「それじゃ、行きましょ」
「どこに?」
「あなたの家。欲しい物があるはずなの」
皇宮に連れてこられる時は馬車を使ったが、それは正面の入り口から入ったから。裏口からならばそれほど遠いわけではない。
「エリーシャ様……」
「ん?」
「ここ通るってのはどうでしょうかねぇ?」
アイラの家までの一番の近道は、歓楽街を通り抜けねばならない――治安がいいとは言えないのだ。
「だいじょぶ、だいじょぶ。何のためにこれ持ってきてると思ってるの?」
エリーシャは腰を叩いた。そこにはごつい剣が吊られている。皇女が持ち歩くのには、あまりも不似合いで――兵士や傭兵やらが持っている方が似つかわしい品だった。
その歓楽街を急ぎ足に通り過ぎようとすると、高い女性の悲鳴が聞こえてくる。それが路地のうちの一本から聞こえてくることに気がついたエリーシャが走り始めた。慌ててアイラも後を追う。
路地に飛び込むと、五、六人の男が一人の女性を地面に押さえつけている。
「女の敵!」
剣を構えたエリーシャは迷うことなく、一番手前の男に向かっていった。
「ちょ……エリーシャ様!」
アイラも剣を持っていれば続きたいと思ったのだけれど――いや、アイラが飛び込む隙などなかった。
「まず一匹!」
人間の数え方は一人二人じゃなかろうか――ぼやっとアイラが見ている前でエリーシャの剣が閃く。
女性を押しつけていた男が真っ先に地面に転がった。
「見てたあんたも同罪!」
再び剣が閃いて、側で見ていた男のうち一人が壁に叩きつけられる。
「――女だ、女一人だ! 全員で囲めば――!」
「そっちに仲間がいるだろ! そいつを人質に――!」
三人がエリーシャを取り囲み、一人がアイラの方へと向かってくる。
おいおい、こっちは一般人なんですけど――正面からやり合って勝つ自信はない――あんまり。
なので、アイラは女性の持つ武器の一つを使うのと同時に、一番効果的な攻撃方法を繰り出した。
「い――いやぁぁぁぁぁ!!!! 変質者ぁぁぁぁぁ――!!!!!」
思いきり腹の底から声を出せば、歓楽街中にその声は響きわたる。そして、ぎょっとした男が動きをとめた一瞬の隙に、脚を振り上げた――実に的確に。
脚、と脚、の間を押さえて地面にうずくまる男の脇腹を蹴り上げてアイラはふんと鼻を鳴らした。
「まったく、手応えがないったら!」
エリーシャが戻ってくると、やるじゃない、とアイラの肩を叩く。
「あの、ありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる女性を集まってきた野次馬たちのうち、エリーシャの顔見知りらしい一人に送り届けるように頼むと、二人はその場を離れたのだった。