再び皇宮へ
アイラは途中になってしまったお茶を片付始める。
「ねえ、アイラ」
「……何でしょう?」
「わたしは間違っていたのかしら。わたしが皇女宮を出れば、時間を稼げるんじゃないかと思ってたのに……」
「皇后陛下のことですか。わたし、そういうのってちょっとわからないんですけど」
偉い人たちの事情なんてアイラにはわからない。後宮内での陰謀は複雑に絡み合っていて、解きほぐすのは容易なことではない。
「わからないって相変わらず正直よね」
あなたって馬鹿ね、と言われた気がしたけれどアイラは黙ってお茶の道具をワゴンに載せた。
そう言ったことを考えるような教育を受けてこなかったから、わからないのは事実だ。
「皇宮から正式の使者が来るのは早くても明日でしょうね。それから戻ることになるけれど……これもダーレーン側の揺さぶりなのかしら」
「後宮に入るのって難しいと思うんですよ。父だけじゃなくて、ユージェニーも結界を張っているんですよね? こういうことってエリーシャ様の方がお詳しいと思いますけど、異なる流儀で組まれた結界を破るのって大変だって父が言ってました」
今現在皇宮にいる魔術師たちは、アイラの父ジェンセンの師匠であるシモンや、その兄弟弟子の流儀を受け継いでいる者ばかりだ。
些細な違いはあれど、根本的なところは変わっていないために流儀の大本のところさえ知っていれば破壊は難しくないはずだ。
そこにまったく違う流儀のユージェニーが加わった――非公式にではあるが――ということは、以前より結界を破るのが難しくなったはずだ。
「そういう状況で、エリーシャ様に対する揺さぶりだけで皇后陛下を殺害するのってちょっと違うかなって思うんです。それよりはエリーシャ様より後宮の方を先にやっつけることにしたって方がわかりやすい……ような?」
そう言ってみたけれど、アイラも自信があるわけではないから首を傾げてしまう。
「……そうね。ここから見ていてダーレーン側に動きがあったようには思えないのよ。女王の即位式で国内が盛り上がっているというのもあるのでしょうけれど――パリィの報告がなかったら、きっと気づかなかった」
「でも、セシリーがクリスティアン……様と行動を共にしてなかったら、タラゴナ国内にいる可能性も高いですよね」
過去エリーシャの婚約者だったクリスティアンを呼び捨てにするのもはばかられて、ためらった末に敬称をつけてみたけれど、エリーシャはそこまで気にしていないようだった。
「……彼女の目的が見えないのよね」
エリーシャは考え込む様子で、近くにあったクッションを引き寄せた。柔らかなクッションに顔を埋める。
そのまま静かになったエリーシャの思考を妨げないよう、極力音を立てないように動き回ってアイラはお茶の片付を終えた。
ワゴンを押して部屋を出ようとすると、身振りで残る様に指示される。
こちらに来てからも、エリーシャは熱心に活動していた。パリィ以外にも何人かの密偵をダーレーン国内に入れたらしい。
レヴァレンド侯爵家の縁者もダーレーンにいて、セシリーは、もとはその伝手をたどってタラゴナ国内に入ったはずなのだけれど、まだその縁者との連絡は取れていない。
エリーシャがクッションから顔を上げたのは、それからずいぶん経ってからだった。
「とりあえず、連絡があったならすぐに後宮に戻れるようにするわ。すぐに葬儀ってことにはならないだろうし、礼服はあちらに残してあるから普段着だけ用意してくれる?」
「かしこまりました」
出てきたばかりに後宮に戻るのは不思議な気もするけれど。アイラはエリーシャの言いつけどおりに荷物をまとめることにした。
◆ ◆ ◆
エリーシャのもとに、皇宮からの使いが来たのはその翌日のことだった。ユージェニーによってとっくに知らせはもたらされていたけれど、エリーシャは落ち着いた様子で使者に対峙した。
「道中の警護も気になるし、皇宮までは魔術師に転送してもらいます。それでかまわないわね?」
エリーシャの言葉に、使者は同意し、皇宮に連絡を入れておくと言って立ち去った。
「荷物はまとめてあるのでしょう?」
「はい、エリーシャ様」
昨夜のうちにアイラは全ての荷物をまとめていた。二人分の荷物をまとめて持って、魔法陣を描いてある部屋に向かう。
「――お待ちしておりました」
その部屋で待っていたのは、アイラの父であるジェンセンだった。ジェンセンはアイラの顔を見ると唇の端を持ち上げて見せる。
どうにも世間で言われている天才魔術師の姿とは、ほど遠い。しょぼくれた中年のおやじだ。
「それでは皇宮までお送りいたしましょう」
ジェンセンはエリーシャに向かって丁寧に一礼する。
「行くわよ、アイラ」
エリーシャは魔法陣の中央に立つ。アイラはその横に立った。魔法陣からはみ出さないようにして。魔法陣からはみ出すと、その場所の肉を持って行かれるのだ。
ジェンセンが手を挙げるのと同時に、激しい風が吹き荒れる。それが収まった時、周囲の景色は一変していた。
赤い壁紙に、金で花や果物の装飾が描かれている。壁際には空になった書棚がずらりと並んでいた。
エリーシャの皇女宮だ。以前、間に合わせの書庫として使っていた部屋だった。
エリーシャが部屋から出ると、慌てた様子で侍女のお仕着せを来た女性が走ってくる。アイラは見たことのない侍女だった。
「お帰りをお待ちしておりました」
見たことのない侍女は、エリーシャの前で丁寧に膝を折った。それから、案内するようにとエリーシャは彼女に言う。
侍女の年齢はまだ若かった。アイラやエリーシャと同年代くらいだろう。
「あなたはどこの侍女?」
足早に歩きながらエリーシャが問う。
「皇子宮に勤めさせていただいております」
「……なるほど」
同じ侍女、とは言ってもアイラよりよほど身分のある女性なのだろう。早足にエリーシャを案内するのは難儀なのだろうけれど、動きから優雅さが欠けることはない。
「ご婚約者様には睡蓮邸を――以前、ご宿泊いただいた場所を用意しております」
「わたしには?」
「以前のお部屋をお使いください。お好きな家具をアリディアにお持ちになったということで、以前とまったく同じというわけにはまいりませんが、快適に過ごしていただけると思います。何かありましたら、お呼びくださいませ」
「ここにいるアイラで大半のことは片付くと思うわ。ありがとう」
皇子宮に勤める侍女は、ちらりとアイラに視線をやった。
皇女が隠遁地にまで連れて行くほど気に入っている侍女。そんなに気に入られるのには何か理由があるのだろうと探り出そうとしている目だと思う。
皇宮に戻ってきたのだということを実感したから、アイラはため息をついた。