ユージェニー、転がる
ユージェニーが指を鳴らすと、再び何かが爆発したような破壊音が響いてくる。ダーシーが何気なくエリーシャを腕の中におさめたけれど、それを指摘している余裕はない。
ベリンダがアイラとエリーシャをかばうような位置についてユージェニーを睨み付けた。
「どういうつもりだい? 皇女殿下に雇われたんじゃなかったのか?」
「いやあねぇ、皇宮の守りがたがたよ? ジェンセンにも言っておいてちょうだい。とりあえずの応急処置は今したから」
さらりと言い放って、ユージェニーは長い髪をかき上げる。その仕草はとても美しくて、こんな状況だというのに思わずアイラは見惚れてしまった。
「なんだい、この結界は。気持ち悪い――」
ユージェニーの言葉に周囲の気配を探っていたベリンダの眉が寄る。
「応急処置したって言ったでしょ! あんたもジェンセンもカーラも全員シモンの弟子なんだから――シモンと違う術式の結界が気持ち悪くてもしょうがないじゃない! だけど、シモンの術式とは違うから攻撃してきた奴らも解くのに時間がかかるはず――解けないと思いたいけれど」
ベリンダを押しのけると、ユージェニーはアイラ――ではなく、アイラの後ろにいるエリーシャに向かって膝をつき、頭を垂れた。
「ユージェニー・コルスでございます。エリーシャ様。しばらくお待ちいただけますか――皇宮内に敵が入り込みました。わたくしの結界で、皇女宮と皇帝宮だけはかろうじて守っておりますが――いざという時は、そこの魔方陣で外にお逃げください」
てっきり裏切ったのだと思っていたのに。短剣を構えたままのアイラは、ユージェニーにどう対応したらいいのかわからなくて、その剣を握ったまま立ち尽くしていた。
「ユージェニーとやら。敵、とは?」
ダーシーの腕の中にいるエリーシャは、平然としたままユージェニーに問い返す。
「セシリーとその協力者、ですわ。一人だけ皇宮内への侵入を許してしまいましたの。今ジェンセンとカーラが対応に当たっているはずです」
「あんたは?」
まだ疑っている口ぶりでベリンダはたずねた。ユージェニーはひょいと肩をすくめた。
「皇宮の守りまでは契約に入ってないもの。ただ、契約してくださったエリーシャ様の身に何かあったら女帝の槍を借りられないでしょう? だからここで皇女様の護衛をするつもり。特別サービスよ。そろそろ若返りの術を施さないと、おばさんになっちゃうもの」
ぱちりとアイラに向かってユージェニーは片目を閉じてみせる。そうしているだけですさまじい色気が発揮されて、面食らったアイラは目をぱちぱちとさせた。
「それにしても、ジェンセンも面白い魔方陣を組んだわねぇ」
ユージェニーは、アイラが父に命じられて書いた魔方陣に目をやった。それから魔方陣に向けて、指を向ける。
「ユージェニー・コルスの名において命じる。影の精霊、アイリーンよ、その姿を消せ」
ユージェニーの指先から、黒い光が走り出たかと思うと、アイラの描いた魔方陣が姿を消してしまう。
「ちょっと、何やってるのよ! 書くの大変だったのに!」
「おだまり、小娘。その指輪をお貸し。この期に及んで皇女殿下の影武者は必要ないでしょ」
ユージェニーの命令に、アイラはエリーシャの方を振り返る。エリーシャが頷くのを見て、左手にはめた影武者を勤めるために必要な指輪を外して、ユージェニーに手渡した。
「いい、魔方陣は一時的に見えなくなっているだけ。ベリンダ、こいつを中央に置くわよ、これでわかる?」
「わかった……あんたが言うなら間違いないだろ。しかし、あんたもジェンセンも恐ろしいもんだね。わたしにはとうていたどり着くことのできない領域だ」
ユージェニーは、アイラの指輪を床に置いた。アイラの目には魔方陣は見えていなかったけれど、魔方陣の中央、ということなのだろうか。
床の上に置かれたとたん、指輪もまた姿を消してしまう。
「ちょっと、いつまで巻き付いてるのよ。離れてくれない?」
ユージェニーが味方だと判断したエリーシャは、ようやくダーシーの腕の中にいるのに気づいたらしく、婚約者を邪険な仕草で押しやった。
「……命をかけてお守りするつもりでおりましたのに」
「死んで欲しい時は言うから安心して」
いつものペースを取り戻したエリーシャは容赦ない。アイラは苦笑いする。ベリンダの方に顔を向けると、彼女も同じような顔をしていた。
「……まずいな」
ふいにベリンダが言う。ユージェニーもベリンダと同意見のようだった。
「カーラがやられたわね。わたしが行った方が早そう……この皇宮の魔術師、ほぼ全員シモンの弟子なんだもの。だから違う血も入れなさいってジェンセンに忠告したのに。わたしの仕掛け、わかってるわね?」
「わかってるけど、わたしじゃ発動させられるかどうか」
「やりなさい。皇女様以下この部屋にいる全員の命がかかっているんだから」
ベリンダとの魔術師同士の会話を終え、ユージェニーは魔術師のローブを勢いよく翻した。
「申し訳ありませんが、わたくし、退室させていただきますわ、皇女殿下。どうやら皇宮付きの魔術師たちが次々にやられているようですの。ちょっと行って参りますわね。後のことはベリンダにまかせておきますから、ご安心を」
図書室から出て行こうと彼女が扉に手をかけた時、扉が勢いよく吹き飛ばされた。
「いやああああんっ!」
妙に可愛らしい悲鳴を上げて、ユージェニーが床に転がる。魔術師のローブが捲れ上がって、形のいい脚がむき出しになった。脚のお肌もつやつやで、八十になるだなんて思えない。
「迎えに来た……エリーシャ」
扉ごとユージェニーを吹き飛ばした男は、完璧にユージェニーを無視して、部屋に入ってくるなりエリーシャの方へと手を差し伸べた。
エリーシャと同じ色合いの金色の髪に青い瞳。身につけている衣服は、ダーレーン国内の流行のものだった。
「いたたたたっ……いきなり扉を吹飛ばすなんて……魔術師としての能力を完全に開花させたのね、クリスティアン・ルイズ」
したたかに打ちつけた腰をさすりながら、ユージェニーが身を起こす。
「お前に言うことはない――この場から立ち去れ」
「……そういうわけにもいかないのよ。だって、エリーシャ皇女殿下と契約しているんですもの」
今まで余裕を保っていたユージェニーが表情を変えた。
「……わたしを、どこに連れて行くつもり?」
アイラの予想に反して、クリスティアンに語りかけるエリーシャの声は冷静なものだった。