静かな攻防戦
アイラが客間に入ると、エリーシャとダーシーはテーブルを挟んで向かい合っていた。二人の間には激しい攻防戦が交わされている――テーブル越しにエリーシャの手を握ろうとするダーシーと、それを阻止しようとするエリーシャと。
「何やってるんですか、ダーシー様」
「アイラか。いや、愛しの婚約者様が手を握ることすら許してくれなくてね――」
「ねえ、ダーシー。テーブルごと蹴り上げてほしい?」
「それはそれで幸――」
テーブル越しにスリッパがダーシーの頭に炸裂する。今は靴を履いているはずで、そのスリッパはどこから取り出したのかと思わずアイラはつっこんだ。
「エリーシャ様、ご報告です」
その状況にまったく動じていないベリンダが淡々と報告を始める。この状況でそうしていられることにアイラは驚いたけれど、ベリンダは気にした様子もなかった。
「皇后宮の侍女の口を割らせるのは簡単でしたよ。『くすねさせて』いただいたワインがたいそう役に立ちました」
「あら、そう。必要なら言って。いくらでもくすねてもらってかまわないから」
「あまりしょっちゅうやるとありがたみが失せますので」
ダーシーはソファに寄りかかって腕を組んだ。ついでに足も組む。そうすると意外に足が長かった。
「それで?」
エリーシャが先を促す。
「オクタヴィア皇后殿下は、ダーレーン国内の状況に非常に動揺しているようです。どうやら、非常に親しくなさっていた方が死亡したのではないかと」
「それは――リリーアの親戚でもあるってことなのかしら」
「正式な発表がダーレーン側からないので憶測でしかありませんが、恐らくは国王、あるいは国王に非常に近いところではないかと」
「おばあ様は今の国王とはどういう関係になるのだったかしら――」
各国の王族皇族の姻戚関係は複雑だ。エリーシャは考え込んだ。
「現在の国王から見れば大叔母にあたるはず――」
横からダーシーが口を挟む。エリーシャは驚いたように婚約者を見た。
「全部把握しているの?」
「一応は。大叔母と言っても、国王の曾祖父が引き取った遠縁の娘を養女にしたもので、実際の血縁関係はもっと遠いものだったはず――ま、扱い上は大叔母で間違いないでしょう。国王の曾祖父も実の娘として扱っていたはずですから」
「……ダーレーンで何があったのかしら」
エリーシャは唇を尖らせた。密偵は捕まるし、後から調査にやったアイラたちはセシリーと鉢合わせするし、で調査といってもたいして進んでいない。
「セシリーというのが、前国王の関係者――隠し子ではないかという噂が広まっているようですよ。不思議な力を持つ彼女を粗末に扱ったために、ダーレーン王族が次々に死んでいるのだと――皇后陛下のところにはそんな噂が入っているようです」
「あらまあ」
エリーシャは目を丸くした。アイラの目もつられて丸くなる。
「おかげで、このところ皇后陛下の機嫌が悪くて大変だと、皇后宮の侍女がこぼしていました。飼い犬に手を噛まれたとか何とか」
「裏切られたってことなのかしら」
「さあ……機嫌の悪さの理由はそれだけではありません」
ベリンダの言葉に、ダーシーの目が鋭さを増した。
「皇后陛下のお身体にも異変が」
「なんですって?」
思わずエリーシャは腰を浮かせた。テーブルの上についたエリーシャの手に、すかさずダーシーが手を重ねる。ためらうことなくその手を引き抜いて、エリーシャはきちんと座りなおした。
「近頃食欲が衰えているそうですよ。宮廷医師がしばしば呼ばれているようです。理由は過労ということですが――侍女の言葉によれば、毒を盛られていると」
「ああ、混乱してきたわ」
ソファに背中を預けて、エリーシャは嘆息した。
「ユージェニーを使ってわたしを殺そうとしたのがおばあ様でしょ、おばあ様はダーレーン、そしてセシリーとつながってる。セシリーはダーレーンの人間で、ダーレーンの王族を殺そうとしてる。そして、おばあ様も毒を盛られてる。どことどこがつながっているの?」
「あなたは大丈夫ですよ、エリーシャ様。わたしが命をかけてお守り――」
「間に合ってるわ」
ダーシーが守ると言ったところで説得力ゼロではあるのだけれど、ここまで無碍にあしらわれると少し気の毒にもなってくる。
「でも、毒の情報なんてよく引き出せたわね?」
皇后の侍女ともなれば、皇后の体調を漏らすことがどれほど危険なことかよく理解しているはずだ。一応後宮内のこととはいえ、皇后とエリーシャの仲が微妙なことくらい知っているはずだ。
エリーシャ側の侍女ということになっているベリンダに易々と情報を漏らすなんて何かおかしい。
「酒が入って警戒心がゆるんだところで、ちょっと心を操らせてもらいました。口が軽くなるように暗示をかけてやっただけですがね――」
「あらあら」
エリーシャが少し気の毒そうに言った。その手の暗示をかけられれば、翌日はひどい頭痛に襲われることになるだろう。二日酔いだと思ってくれればいいのだが。
エリーシャはうんうんとうなりながらアイラを手招きした。
「お茶ちょうだい。あとお菓子」
「かしこまりました」
エリーシャの前に大量にお菓子を積み上げる。焼きたてのパイを一つ取って、エリーシャは手づかみでかじりついた。
ダーシーも気にしていない様子で、同じように手づかみでパイを取り上げる。
「それにしても――ユージェニーは誰に雇われていたのかしら。おばあ様?」
「いや、それはないでしょう」
ダーシーが静かに言う。
「皇后陛下は情報を流しただけ――自らユージェニーのような魔術師を雇ったりはなさらないでしょう。後のことを考えればね」
「後のこと?」
「エリーシャ様が亡くなった後、犯人を探すでしょう――別荘の時のように襲われたのならなおさらです。間に何人もの人間が関わっているはずです」
「おばあ様への協力者がそんなにたくさんいるだなんてぞくぞくしちゃうわね」
できるだけ冗談めかした口調でエリーシャは言ったけれど、その表情は硬いものだ。
「ですから命をかけてお守りしますと申し上げておりますのに」
「あなたなんてアテにしてないわ」
ダーシーがエリーシャの手を取ろうとしたけれど、エリーシャはその手を背中に隠した。