皇后宮を探れ!
アイラが後宮に戻ってから、数週間が過ぎた。今のところ、切れたエリーシャが外に遊びに出かけている気配はない。
「エリーシャ様、パリィからの連絡がありました」
怪我をして帰還した密偵のパリィは、皇女宮で動けるようになるまで養生した後、すぐに街に戻っていた。
「連絡って?」
「ダーレーン王族が、三名続けて死亡したそうです。タラゴナ帝国内まで噂が入ってくるということは、あちらはそうとう混乱してるということでいいんでしょうか」
アイラには難しいことはわからない。受け取った報告をそのままエリーシャのところに上げる。
「でしょうねえ。でも、セシリーの動きが見えないわね。ユージェニーは何をしているのかしら」
「そのうち連絡があると思いますよ、皇女様」
アイラたちは、エリーシャが皇女宮内にもうけた図書室にいた。アイラの家から運んできたジェンセンの書籍をおさめた図書室だ。
「新しい本が届いたんですよ、父から。あの人どこで何をしているんでしょうねぇ」
アイラはパリィからの報告と一緒に手にしてきた本をエリーシャに差し出した。
「操り人形の作り方」
「肉料理百選」
同時に表紙を読んだエリーシャとベリンダは顔を見合わせた。
「レシピ本に見せかけるのはやめてほしいな」
ベリンダは首を振る。
「レシピ本?」
アイラは首を傾げた。アイラの目には、エリーシャと同じように「操り人形の作り方」としか見えていなかったから、ベリンダが言っていることがわからない。
「ああ、あんたの親父さんは魔術書が下級魔術師の目に触れた時は、レシピ本にしか見えないようにしているのさ」
「……わたし、普通に読んでたけど」
「あんたは例外なんだろうね、どういう処置をしているのかわたしにはわからないけど」
それがジェンセンの恐ろしいところなのだとベリンダは肩をすくめた。ベリンダ自身魔術師としては優秀な方なのだけれど、それでもジェンセンとは著しい腕の差がある。そのジェンセンと同程度の腕を持つセシリーを相手にするとなれば、覚悟を決める必要がある。
「やれやれ、この本、どうやって使ったらいいのかわからないわね」
アイラから本を受け取ったエリーシャは、それを書棚におさめた。
「そのうち父も戻ってくるでしょうし――あの人、何してるのかしら。しばらく連絡ないんですけど」
皇女宮に戻ってから、父はまた再び出かけてしまっている。このところ連絡はなかった。
「カーラをはじめとした宮廷魔術師を使えるようにおじい様にお願いすることにしたの。ダーシーがまかせろっていうからまかせたわ」
「カーラがこっちについてくれると楽ですね――しかし、エリーシャ様」
このところ皇后が動きを見せないのが気になる。ベリンダは自分が皇后宮を偵察に行くことを提案した。
「偵察ってどうやってよ?」
「こちらの宮にいる侍女は若い娘ばかりですし。皇后宮の方も似たようなものですよ――ばばあはばばあ同士で話が合うと言うことです」
ばばあという年齢ではないが、たしかにベリンダはこの宮にいる侍女の中では圧倒的に年齢が高い。一人で皇女宮で働く者たちの平均年齢を上げている。
「皇女殿下のワインを若干くすねることになりますが」
ベリンダはにやりとした。
「くすねなくていいわよ。堂々と持って行きなさい――あぁ、くすねていいわよってことにしておきましょ。それと。この間、干し肉が献上されたの。ワインに合うからそれも『くすねて』いったらいいわ」
「ありがとうございます。それではさっそく今夜にでも。今夜エリーシャ様はダーシー様と『仲睦まじく』過ごしていただけると大変にありがたいのですが」
「えー」
とたんにエリーシャは渋い顔になる。
「あれといちゃいちゃするのはヤダ」
「いちゃつかなくてもけっこうです。皇女宮で他人を追い出していただければ、こちらで邪推させてもらうので」
けろりとした顔でベリンダは言う。
「ヤダヤダヤダ」
「あれ? でも、エリーシャ様、ダーシー様と婚約してませんでしたっけ?」
「……忘れてたというか忘れたい」
アイラは忘れかけていたのだが、ダーシーはエリーシャの婚約者だ。だからこそ、この宮への出入りも許されている。
「あぁもう、やってやるわよ!」
エリーシャはきぃきぃとした声を上げ、アイラにダーシーのところまで夕食の誘いに行くよう命じたのだった。
* * *
さすがに完全に二人きりになると給仕をする人間がいなくなってしまう。というわけで、皇女宮内の食堂にはアイラが残された。正直、割に合わないなーと思う。ここで二人が食事をしている間、アイラは空きっ腹を抱えていなければならないのだから。
しかも、不細工メイクだ、不細工メイク。素顔を知られてならないというのは思いきり不便だとアイラは思う。
意外にもダーシーは食事をすませると、さっさと自分の部屋に戻ろうとした。
「ダーシー、ちょっと待って」
「引き留めていただけるとは光栄ですね、エリーシャ様」
「そういうわけで引き留めたんじゃないのよ?」
エリーシャはにっこりしつつひきつりながら、ダーシーに食後のお茶を勧める。
「わたしの客間に移動しましょうよ。アイラも一緒に来なさい」
食堂の後かたづけは、イリアとファナにまかせることにした。ダーシーを客間に案内し、アイラは厨房に走る。厨房でお菓子を用意してもらっている間に残り物を挟み込んだサンドイッチを大急ぎで飲み込んで、ワゴンを押してエリーシャのところへと戻った。
「あれ、ベリンダさん」
皇后宮につとめる侍女のところに行っていたはずのベリンダが戻ってきている。
「ダーシー様は?」
「客間に、エリーシャ様と」
「そう、それじゃわたしも一緒に行こう」
アイラと一緒になって客間に行くベリンダの顔はこわばっていた。皇后のところで何を聞いてきたのだろう。ベリンダの表情に気づいたアイラもまた、緊張し始めるのを感じていた。