皇女様にお会いしました
侍女たちの控え室には、その奥にいくつか扉が並んでいた。
「あっちがわたしたちの寝室。寝る時に個室がもらえるというのはありがたいわよね」
イリア、と呼ばれた少女がアイラに説明してくれる。
「でも、あなたは――別。エリーシャ様の寝室で休んでちょうだい。護衛侍女だってことは聞いているから」
「荷物は?」
「私物は――そうね、侍女の寝室が一つあいてるし、そこを使えばいいんじゃないかしら。一人になりたいこともあるでしょ、きっと」
「侍女ってそんなに一人になれる時間とかあるの?」
「どうかしら?」
ファナが横から口を挟んだ。
「エリーシャ様は手がかからないっていう言い方はおかしいかもしれないけれど、たいていのことはご自分でなさるから――リリーア様付きの侍女は大変らしいわよ」
タラゴナ帝国の皇太子は数年前に死去している。
エリーシャはその長女であり、皇太子の最初の娘である。最初の皇太子妃はエリーシャの出産と同時に亡くなっているから、彼女は母の顔を知らない。
そしてリリーアというのは皇太子の二番目の妃である。皇太子との間にセルヴィスという皇子を設けてはいるが、彼の皇位継承順は二番目だ。
始祖が女帝だったということもあり、タラゴナ帝国において皇位継承順は男女関係なく、生まれた順に継がれていくことが決められている。
現在の皇帝ルベリウスには後宮に何人かの愛人がいるが、これ以上子どもを設けるつもりはないようだ。魔術師によって、子どもをなせないようにする処理が施されているというのが世間の噂だ。
「とにかくリリーア様はわがままらしくてねー」
ファナは容赦なく言った。
「夜中でも酒持ってこい、お茶持ってこい、やっぱり薬だ侍医を呼べ、とうるさいらしいわ」
「ま、うちの皇女様は変わっているから」
あけすけな口調でイリアは肩をすくめた。
「そろそろお帰りの時間よ。あなた、今日から何しなさいって言われてる?」
「特には――明日には剣の稽古を始めるって言ってましたけど」
一応、家から自分用の剣も持ってきた。鞄と一緒に抱えてきたそれを侍女たちの寝室のうち一室に放り込む。
「エリーシャには護衛はいらない」というイヴェリンの言葉も気になったけれど――侍女の服装でどこに剣を持ったらいいのかわからなかったというのもある。
「新しい侍女が来たって?」
ノックもせずにずかずかと部屋に入り込んできた人物を見て、アイラは目を見張った。
「アイラだそうです。エリーシャ様の護衛侍――」
「……聞いてる。あんた、ちょっとこっちに来て」
アイラの目の前に現れたのは、華やかな美女だった。見事な金髪は結いもしないでそれ自体が王冠のように輝いている。
青い瞳はぱっちりとしていて、唇は下唇の方が少しぽってりとしているのが逆に色っぽい。動きやすいようになのだろう。ドレスではなくて、足首のところで裾を絞ったパンツに刺繍入りのブラウス、それに短めの上着を合わせている。
彼女の影武者なんて無理じゃなかろうか――そう思いながら、アイラはエリーシャに引きずられるようにして皇女の寝室へと入った。
入ったとたん、エリーシャは思いもよらない行動に出た。両手がひょいと伸びてきて、アイラの胸を鷲掴みにする。
「のああああああっ!」
アイラは大声を上げた。
「……ぺったんこ。これじゃ影武者がつとまらない」
そこか? つっこむのはそこなのか? 確かにアイラの胸は貧しい。貧しいどころかまっ平らだ。これから育つと期待したいが、たぶん無理なのもわかっている。
「まあ、いいわ」
エリーシャは肩をすくめた。
「カーラならそれっぽい偽乳を作れるでしょ、必要となれば――どっちにしたって髪の色とかもあるし、一回魔術研究所に行かないとね」
「あの、あのですね、皇女殿下」
ようやくアイラは口を挟んだ。
「エリーシャでいいわ。どうせ身内みたいなものなんだし」
「はあ、ではエリーシャ様」
さすがに呼び捨てにはできない。
「胸の大きさの前に、顔が違うとか、髪の色が違うとか気にしなければならないことがあるんじゃないですか?」
「ああ、その点は大丈夫。ベースが似てれば、後はどうにでもなるから」
そう言いながらもべたべたとエリーシャはアイラの身体をなで回す。
「うん、いい筋肉してるね。剣は使えるんだって? でもまあ、長剣は持ち歩けないからさ、スカートの中に短剣隠しておいてよ。短剣は近々ウォリンが用意してくれるはずだから」
聞き慣れない名前にアイラは眉を寄せるが、それがゴンゾルフ団長の名であることを思い出す。皇女は彼を名で呼ぶのに抵抗がないのだろう。
「ああ、そうそう。ちょっとさ、今から酒盛りしようよ。あんたの歓迎会」
「今からですか?」
夕食前なのにいいのだろうか――というより、皇女と一緒に酒を飲んで大丈夫なのか? 後宮のしきたりはわからない。
「イリア! ファナ! ワイン持ってきてよ! 後つまみもよろしくー!」
アイラを侍女部屋の方に押しやりながら、エリーシャは声を張り上げた。
「強烈でしょう、エリーシャ様」
ふらふらと皇女の部屋から出てきたアイラにファナが言う。
「というわけで、護衛、よろしく! 今後はわたしたちは呼ばれた時しか行かないから!」
ぴしりと指を突きつけられた。アイラはまだ詳細を聞かされていないが、この二人は剣はまるっきりだめだということなのだろう。
「……でも、いい方だから大丈夫」
イリアがフォローしてくれたのだが、アイラはすでにやっていく自信を失いつつあった。