父、いきあたりばったり
エリーシャの言葉に、室内は静まりかえった。エリーシャはぱんと勢いよく手を叩く。
「やってやるわ――どんな手を使ってでもね。どうせ、セシリーはおばあさまとつながってるんでしょ? 真実はわからないけれど」
エリーシャはそう言うと、ぽんと手を叩いた。
「ジェンセン、ユージェニーと話をしてきてちょうだい。二度とわたしを狙わないようにってちゃんと言ってよね」
「かしこまりました」
ジェンセンは丁寧に頭を下げたかと思うと、空中に姿を消した。
「さ、そういうわけで解散。パリィあなたはどこかに身を潜めてなさい――ベリンダ、手配して」
「かしこまりました。それじゃ、行くよ」
真っ先にベリンダがパリィを連れて部屋を出ていく。騎士団長と副団長は堂々と皇女宮の出入り口の方へと向かっていった。
「俺は反対です」
出がけにライナスがぼそりと言った。
「反対するであろうことはわかってるわよ、でも、あなたに言われたからってわたしが辞めるはずもないってことも知ってるでしょ?」
無言のままライナスは頭を下げる。その肩にフェランはぽんと手を置き、またなとアイラに言い残して退出した。
ライナスとフェランも続いて事実上の裏口となった隠し通路の方へと歩いていくのを見送って、侍女たちもそれぞれの部屋へと下がっていく。
「誰か足りない気がしますねぇ……」
アイラは首を傾げた。
「あ、ダーシー様!」
エリーシャの婚約者であるダーシーがいない。
「いいのいいの。あれ、いても何の役にも立たないし。それに客人泊めるところまで使いを出していたら目立つしね」
さらっと婚約者を役立たず扱いして、エリーシャはアイラを振り返る。
「彼には後で説明するわ。そろそろ寝ましょうか」
久しぶりに自分のベッドで眠ることができる。アイラはベッドに飛び込んで、夢も見ずにぐっすり眠った。
翌朝は、エリーシャの方が先に起きだした。主より遅く目覚めるとは失態だとアイラは青ざめたけれど、エリーシャはアイラは疲れているのだからと気にした様子もなかった。
「皆ぐっすり眠れたかしら?」
居間に朝食を運ばせたエリーシャは、パンをちぎりながらたずねた。イリアとファナの二人が厨房から運んできた朝食は、アイラが旅の間食べていた庶民の食事とは比べものにならないほど上等で品数も多い。
ゆで卵にたっぷりと塩をふったアイラは、それを一息に飲み込んでからパンにかぶりつく。
「果物欲しい人は?」
「はーい」
ファナにたずねられて、エリーシャは手を上げた。アイラも同様に手を上げる。果物の皿が座っている者たちの間を行き来して、皆自分の好きな品を手元に置いた。
「ハムが欲しいんだけど」
ベリンダの前には、ハムの皿が滑らされた。
「ジェンセンは、ユージェニーと会えたのかしら」
パンのお代わりをしながらエリーシャは半ば独り言のように問う。
「会えなかったら別の手段を考えますよ、きっと」
なんと言えばいいのだろう。いつの間にか、アイラは父のことを信頼するようになっていた。助けに来てくれたから、というわけでもないのだけれど。
ユージェニーに会えなければ、きっと父は別の手段をとることだろう。そう確信している。
「どちらにしても、しばらく連絡を待つしかないわね」
「いや、それはしなくても大丈夫ですよ――うわあ!」
「……あんた、わざとやってるんじゃないだろうね?」
空中から現れたジェンセンは、ベリンダの膝の上に転がり落ちていた。ベリンダは思いきりジェンセンを床の上に落とす。ついでに足の裏で踏みつけた。
「――て、転移、ま、魔法が下手なだけだ!」
背中をぐりぐりとされながら、ジェンセンは抗議の声を上げる。
「会話にならないから、とりあえず足は下ろしましょうか? ベリンダ?」
エリーシャは食後のコーヒーを飲みながら、ベリンダに言う。皇女の命令ならばと、ベリンダは足を下ろした。
「やれやれ、コーヒーをいただけますかね」
皇女宮に当然のような顔をして入り込んだジェンセンは、ちゃっかりファナとイリアの間に席を占めた。
「ユージェニーには昨夜のうちに会いましたよ。説得にはちょっと時間がかかりましたがね」
「ずいぶん早く連絡が取れたじゃないの」
「まあ、個人的な『知り合い』でもありますのでね、魔術師仲間ならそれなりの通信方法を持ち合わせているものですよ。おっと、お嬢さんありがとう」
ファナがコーヒーを注いでやる。イリアがパンの皿をジェンセンの前に押しやった。ジェンセンはありがとうとイリアにも言って、パンにも手を伸ばす。
「それで?」
「ん、まあ、結果から言うと了承はとれましたよ。後はそうですね、女帝の槍をいつ、どうやって持ち出すかは問題ですが」
女帝ウォリーナの槍は、皇宮の奥深くにしまい込まれている。エリーシャ一人で勝手に持ち出すことができるような代物ではなかった。
「まあ、取ってこいと言われればいくらでも取ってきますがね」
にやりとしてジェンセンは行儀悪く音をたててコーヒーをすする。
「それじゃ、その時になったらあなたに頼むわよ」
エリーシャは、肩をすくめた。
「それじゃ、セシリーと対抗する手段は何とかなったということね」
「いざって時には駆けつけてくれるはずですよ。まあ、彼女にはセシリーの様子を探るように頼んでおいたので、それが終わってからになりますがね」
「はあ?」
エリーシャの声が裏返った。いくら何でも、ユージェニーにセシリーの様子を探るよう頼むとは無茶過ぎる。ユージェニーを信頼していいのだろうか。
「あのさ、ユージェニーに頼んだって……大丈夫なの?」
呆然とアイラはつぶやく。
「今のところはな」
「ユージェニーがセシリー側につかないという保証は?」
エリーシャがアイラの問いに問いを重ねる。
「ないですな、皇女様」
けろりとして言うジェンセンに、エリーシャはあきれた表情になった。
「それで、ユージェニーにセシリーの様子を探らせるってぇ?」
「女帝の槍によって若さを取り戻す以上に魅力的な条件をセシリーが提示できるならともかくですが、その可能性はまずないでしょうしな」
本当に大丈夫なのか、いきあたりばったりだな、くそ親父。アイラはそう思ったけれど、その場に居合わせた全員が同じ感想を持ったのは、互いに口にしなくてもわかったのだった。