やっぱり父はむちゃくちゃだ
申し訳なさそうに身を縮めたパリィはひとまずおいておいて、エリーシャはジェンセンの方に向き直る。
「で? セシリーはどうなの?」
「ありゃ、恐ろしい女ですよ」
口調はひょうひょうとしていたものの、ジェンセンは珍しく恐れているような気配だった。
「今回引き分けられたのも運がいいくらいだ」
形のいい顎にエリーシャは、手を当てて考え込んだ。天才と呼ばれるジェンセンと引き分けられるほどの腕となればセシリーもまた天才ということになる。
「運がいいくらいってことは、あなたより上?」
「――その可能性も否定できませんな。もう一度やれ、と言われてもお断りしたいくらいだ」
ジェンセンの言葉にその場の空気が凍りついた。小汚い外見であっても、日頃の態度がいい加減であっても、ジェンセンがタラゴナ帝国一といっていい腕の持ち主であることはこの場に居合わせる誰もが知っている。
「では、複数人ならば?」
「複数?」
「魔術師は、人数を集めればより強力な魔術を行使することができるのでしょう?」
「――ジェンセン・ヨーク以上の腕の持ち主とやり合うバカを集めることができれば、あるいは」
しれっとして、ジェンセンは自分の魔力を認めた。アイラは、始めてみる父の表情に、事態の重大性を改めて思い知る。
「わたしは乗ってもいいですよ、エリーシャ様。たぶん、カーラも手を貸してくれるんじゃないかな――皇帝陛下の勅命をいただければ、ですが」
黙って話を聞いていたベリンダが口を挟む。
「――おじいさまの勅命、ね。どうかしら……」
「あともう一人」
ジェンセンが指を一本立てた。
「もう、一人――誰よ?」
タラゴナ帝国内の実力者はほとんど宮廷魔術師として宮中にいる。ここに名前の挙がっていない魔術師の中から誰を選ぶのかが問題だ。
「ユージェニー・コルス」
「冗談でしょ?」
エリーシャは眉を跳ね上げた。ユージェニーは、確かにすばらしい腕の持ち主だが、エリーシャを殺そうとした張本人でもある。
「冗談じゃないですよ、エリーシャ様」
ジェンセンはまじめな表情を作った。
「エリーシャ様――エリーシャ様を暗殺しようとした時には、あいつは誰かに雇われていた」
「そうね、頼まれなきゃやらないでしょ」
「あいつの仕事は確実だが――一つ重大な欠点を持ち合わせている」
「欠点って何よ?」
エリーシャはむすっとした口調で言った。
「自分の美貌に絶大な自信を持っていること、そして、それが失われるのを恐れていること」
父の言葉にアイラはつい先ほど会ったユージェニーの姿を思い浮かべた。ローブの上からでもわかるほどの見事な曲線美、ぱっちりした瞳に美しい唇。あれだけの美貌の持ち主なら、固執するのもわかるような気がする。
「あれで八十過ぎのばーさんだからね。実年齢は不明だけどさ」
ベリンダもしれっとした顔で付け足した。言われてみればそうだった。
「美貌を保つためなら、何だってやりますよ、あいつは――雇い主を裏切ることだってね」
「だけど、雇い主を裏切らせるためには何が必要なのよ?」
金銭的な問題で解決できるのなら、エリーシャはいくらだって差し出すだろう。彼女は自分の領地からかなりの額を得ているから、小さな国を一つ買い取るくらいの金額はぽんと出すことができる。
「金銭じゃありませんよ、エリーシャ様」
ジェンセンは顔の前で立てた指を振って見せた。
「女帝ウォリーナの槍――そいつをちらつかせれば、ユージェニーの興味を引くことができる」
「おい、ジェンセンちょっと待て!」
ライナスが怒りをはらんだ声で腰を浮かせかけた。女帝ウォリーナが、タラゴナ帝国を建てた際、持っていたとされる槍は後宮の奥深くにしまい込まれている。
「ウォリーナの槍とはどういうことだ」
「ちょっと、ライナス落ちつけ。俺もお前も魔術は専門外だろうが。ジェンセンの話を最後まで聞いてやれって」
意外にもライナスの袖を引いて座らせたのはフェランだった。ライナスが居心地悪そうに座り直すと、ジェンセンは再び口を開く。
「何もウォリーナの槍を渡せと言ってるわけじゃないんですよ。ユージェニーが若返りの魔術を使う時、一度だけ貸してやればすむ話だ」
「若返りの魔術?」
「若返りの魔術を使う時は、無防備になるし、まあ体に負担をかけるわけだからそこで魔術を使うのは魔力の制御が難しいんだ。それを何度もやっているユージェニーもある意味化け物だがな」
それでも危険を冒して何度もユージェニーは術を使ってきた。美貌と若さにかける情熱はある意味魔術にかける情熱を上回っているのだろう。
「だから?」
エリーシャはわずかに身を乗り出した。ジェンセンの言うことに興味を示しているらしい。
「ウォリーナの槍の持つ魔力を使わせてやる。その制御には、ジェンセン・ヨークを協力させる――そう言ってやれば、彼女をこちらに引き入れることができる可能性は非常に高いということですよ、エリーシャ様」
「わたしは反対だ」
ベリンダが横からジェンセンの言葉に割り込んだ。
「ユージェニー・コルスは信用できない。あんた、以前つき合ってたからってユージェニーの肩を持ってるんじゃないだろうね?」
「おいおい、ベリンダ。それとこれとは別問題だろう。お互い割り切った関係だ――それに思いきり魔術をぶつけ合うことのできる相手ってのは貴重だろ?」
渋い顔をしているベリンダとエリーシャは、ジェンセンを横目で睨んだ。
「ゴンゾルフ。あなたの意見を聞かせて」
エリーシャは、ゴンゾルフの意見を聞くべく近衛騎士団長を指名する。ゴンゾルフはゆっくりと首をめぐらせた。
「そうですね――ユージェニーを引き入れるというアイディアそのものは悪くないと思いますが」
「あの女の首に縄をつける方法なんてあるのか? わざわざ火種を手元に持ち込む必要はないと思うのだが」
イヴェリンはユージェニーを引き入れるという案には気が進んでいない様子だ。
「じゃあ、他にいい手がある人」
エリーシャの質問に答えられる者はいない。エリーシャは大きくため息をついた。
「わかったわ。ユージェニーをこちらに招けるかどうかやってみましょう。寝首をかかれそうな気もするけれど」
「ことが終わるまで皇宮内に入れなければいい。何も皇女殿下が直接顔を合わせる必要もないでしょう」
「つまり、槍は成功報酬?」
ジェンセンはその言葉を仕草で肯定した。