帰りつきました
折り重なるようにしてアイラたちが転がり落ちたのは、柔らかなベッドの上だった。
「曲者――!」
「違いますってぇ!」
振り回された鞘の一撃を、アイラはぎりぎりのところでかわす。真剣抜かれる前でよかったと心から安堵した。
「アイラ? ――っていうか、全員揃ってここに落ちてくることないじゃない」
寝ていたエリーシャは髪をかき上げてため息をついた。
「こ――これにはわけが――いや、し、失礼いたしました!」
エリーシャに向かって口を開きかけたライナスは真っ赤になって顔を背ける。
彼がエリーシャに好意を抱いているというのはアイラの見立てであるが、今のエリーシャは就寝中。つまり身につけているのは寝間着だ。
おまけに今日に限ってやたら薄くて身体の線が透けてしまうような寝間着を選んでいたから、ライナスにとっては思わぬ目の保養――は否定できないにしても、目の毒だ。「ジェンセン、怪我は?」
「痛い」
「わたしが聞きたいのはそこじゃない」
イヴェリンは首を横に振った。何とも手際のいいことに、彼女は四人分の荷物をまとめて担いでいる。
「あ、宿代!」
アイラは悲鳴を上げたが、イヴェリンは冷静だった。
「夜のうちに発つと書いた紙と金貨をおいてきた。十日分に相当する額だから、あの宿は今夜大繁盛だな」
むろんこれも口止め料込み、ということになる。
「まあいいわ。報告は居間で聞くから。終わったらフェランとライナスはこっそり皇女宮から出てちょうだい。一応、ここは男子禁制ですからね!」
「裏口から出たらいいですよ」
「あそこは裏口じゃない」
アイラの言葉に、ライナスは眉を寄せた。アイラが言っているのは、エリーシャの夜遊び専用通路と化している隠し通路のことだ。
「それじゃ、皆さんは居間へどうぞ。エリーシャ様、お着替えを――」
「他の人たちも起こしてちょうだい。手が必要になるかもしれないし、あ、イヴェリン。ゴンゾルフも呼んできて」
「かしこまりました」
「三十分後、居間集合で。それまでに手当の必要な人は手当を済ませてちょうだい」
「はーい、居間はこちらですよー」
アイラはエリーシャの寝室から男たちを追い出した。
「手当の道具はここ。父さん、悪いけど自分でやってちょうだい。わたしはエリーシャ様のお着替えを」
アイラがエリーシャの寝室に戻ると、彼女は自分で部屋着を出しているところだった。絹のシャツに、裾を絞ったパンツ、同じ色のベスト。少し冷えるからと、ショールを羽織って淡い色合いの金髪は結わずにそのまま肩から背中に落とす。
「あなたも着替えてきなさい。ひどい格好。他の侍女たちも起こして」
「かしこまりました」
エリーシャの着替えを手伝ってから、アイラは居間を突っ切って侍女たちの控え室に飛び込んだ。
エリーシャの侍女たちは眠る時は個室を与えられている分、他の宮の侍女たちより恵まれている。エリーシャの部屋で寝ているアイラをのぞいては、夜中に起こされることもなくて待遇がいいといえばいいのだが、こういう時には各部屋を回らなければならないから少し困る。
「何があったんだい?」
真っ先にベリンダの部屋をに行くと彼女はもうベッドから床の上に降りていた。
「いろいろあったんだけど、どこから説明したらいいのかよくわかりません。とりあえず着替えて居間集合です」
ベリンダに余計な言葉は必要なかった。
「あとの二人はわたしが起こすよ。あんたはひどい格好だ。とりあえずあちこち洗ってから着替えておいで」
彼女の言葉にありがたく従って、アイラは自分の部屋に滑り込む。顔と手足を洗い、久しぶりに侍女のお仕着せに身をつつんで、手早く髪を結い上げた。汚れた町娘の衣服は気になるけれど、とりあえず床の上に放り出しておく。
「大変だったわねぇ」
ゴンゾルフの野太い声で発せられる柔らかな独特の言葉づかいまでが懐かしかった。
彼は、皇帝一族以外で皇女宮に堂々と出入りできる唯一の男性だ。本来ならば許されないことなのだが、皇帝が特例として認めている。
どういう経緯で認められたのかアイラは知らないけれど、エリーシャの方から皇帝に頼んだのかもしれないと思っている。
「はあ、お久しぶりです。何とか帰ってきました」
「アイラ~、パパ、傷がいたーい」
「手当は終わってるでしょうが」
ベリンダの手配なのだろう。ジェンセンは傷の手当をきちんとしてもらって、宮廷魔術師のローブを着ている。髪もきちんと整えてあって、いつもより清潔感が漂っているくらいだった。
甘えてくる父親を突き放しておいて、アイラはエリーシャの側に控える。久しぶりに見たファナもイリアもきっちり身支度を調えていた。
「それで、どうなの?」
居間に一同が勢ぞろいすると、エリーシャは真っ先に問いかけた。
会議をする時にはおやつは必須だと言わんばかりにゴンゾルフは大量のクッキーを持ち込んでいる。最愛の妻と離れて以来、心を落ち着けるために毎日クッキーやらケーキやらを焼き続けていたのだそうだ。
彼の官舎には常に甘い香りが漂い、騎士団員たちは毎日おやつを押しつけられていたという。菓子職人としても十分やっていけるだけの腕の持ち主だし、職人と同じ機材や材料を用いているのだから、まずいはずはないのだが。
「セシリーはダーレーンの王族をたらしこみ済みですよ、エリーシャ様」
「あら、そうなの」
「国王まではまだみたいですがね、王妃と王弟はすっかり信頼しきっているのだとか――ま、噂ですが」
エリーシャは優雅な手つきで、ジャムを包み込んだクッキーに手を伸ばす。
がさつな言動も多いのだが、日頃の訓練の賜というか、身に染み着いた皇族の習性というか、他人の目を意識しなければならない時はいくらでも優雅に振る舞うことができる。
「最近、王が病の床についてるって話は聞いてますか、皇女殿下?」
「いえ、そうなの?」
「それが本当は病じゃなくて毒を盛られてるらしい、というのが教団内でのもっぱらの噂です。王妃か弟か――どっちかまではわかりませんが、その気になればどちらでもできるでしょう」
それからパリィは申し訳なさそうに頭を下げた。エリーシャは首を横に振って、彼の詫びを遮った。