父も大変な時がある
扉の外からは、扉に開けられた穴を塞ぐ障害物を破壊しようとしている音がしている。
「お前ら全員壁際に寄れ。道を作る――が、その前に階段塞いでいるやつらをどうにかしなきゃならん」
アイラはパリィを抱え上げているライナスと一緒になって壁際に寄る。父が何をするのか見守っているつもりだった。
全員が壁際に寄ったのを確認したジェンセンは、手にしていた杖を掲げる。低い声で呪文を唱えた。
「麗しき炎の精霊、リエンナよ。契約者ジェンセン・ヨークの名において命じる――いでよ!」
部屋の中を、熱風が吹き抜ける。アイラは思わず目を閉じた。目を見開いた時には、部屋の中は明るさを増していた。ジェンセンの前に美しい女が立っている。彼女の着ている衣と真っ赤な髪は揺らめく炎だった。精霊は契約者の趣味を反映した外見を取るから、巨乳の豊満美女なのはジェンセンの好みだ、確実に。
彼女の全身を包んでいる炎の光で部屋の中の光景はゆらゆらと揺らめいて見え、先ほどまでとは完全に姿を変えている。
「リエンナ。頼む――そこの扉を開くから」
ジェンセンは、家具で塞がれた扉を杖で示した。
「今、この部屋の中にいる者たち以外は、全員焼いてくれ――お前に触れた者、全員だ。人間以外は焼くな。壁も、家具も焼いてはいかん」
「かしこまりました、ご主人様」
リエンナ、と呼ばれた女は恭しい仕草で頭を垂れる。
「おい、ちょっと待て!」
ライナスが壁際から焦った声を上げた。
「全員焼いたら困るだろうが!」
「問題ない」
けろりとした顔で、ジェンセンは言う。
「リエンナの姿を見れば、まともな思考回路を持った人間なら近づかないさ。わかるだろ、近づけば焼かれる。そんなこと気にしないのは操られた死体だけだ、ということは焼いちまって問題ない」
ライナスは黙り込んだ。ジェンセンは再び杖を構える。
「それじゃ、扉をぶっとばすぞ!」
次の瞬間には、ぼん、と勢いよく扉が吹っ飛ぶ。そこから中に入り込もうとした動く死体が炎に焼かれて動きをとめた。
動きがとまるのを確認する前に、リエンナは階段を上っていく。彼女は歩くのではなく、空中を優雅な動きで滑っていた。
「何だ! 化け物――!」
「逃げろ!」
屋敷の中にいた人間たちは、リエンナの姿を見るとちりぢりに散っていくのだろう。上階からは、慌ただしい音が響いてくる。
「あ、一人くらい捕まえておいた方がよかったかね?」
「セシリーが屋敷のどこかにいるはずなんだが」
振り返ったジェンセンに向かって、パリィが言う。
「――セシリーって確か、美人さんだよなー。それなら、俺が探してこよう。魔術師以外が太刀打ちできる相手とも思えないし。じゃ、後で会おうな」
破壊された扉から顔を突き出し、何事もないことを確認して真っ先にジェンセンが階段を上った。
着いてくるように、室内にいる者たちに合図する。
「アイラ。宿泊している場所に着いたら連絡くれ」
「わかった」
「動く死体は、リエンナが全部焼いた。つまり、ここに残っているのは生きている人間ばかりだ。自分たちでどうにかしてくれ」
「了解した」
ライナスがそう言うと、彼に肩を借りているパリィは申し訳なさそうに身体を縮めた。
「足手まといですまん」
「しょうがないですよ。ぼこぼこにされてるんだし……イヴェリン様たちと合流できたらいいんですけど」
ぐりぐりとパリィの傷口に塩を塗り込んでからアイラは短剣を抜いた。
「ライナス様。わたしが先に行きます――裏口から外へ出ましょう」
建物の中は大騒ぎだった。逃げ出すアイラたちに気を配る余裕もないらしい。ライナスにすっかり懐いている犬たちをまくのに少々時間はかかったが、構えた短剣を使うことなく、裏門から脱出することに成功した。
「アイラ、ライナス、無事だったか!」
近くに身を潜めていたイヴェリンとフェランが駆けつけてくる。イヴェリンはライナスの肩に担がれている男に目をやった。
「この者は?」
「パリィさんです。捕まってたので連れてきました――あと、敷地内には入らない方がいいです」
「動く死体が何体か。そいつはジェンセン・ヨークが対応してます。とりあえず宿に戻って待っているようにと」
ライナスが冷静な声で告げた。
「フェラン、一緒に行ってやれ――詳細は宿に戻ってからだ。とりあえずこのままでは目立つ。ばらばらになれ」
イヴェリンがてきぱきと指示を出し、一行は集まってきた人混みの中に紛れ込む。
「こんな大騒ぎになって、大丈夫なのかなー」
つぶやいたアイラは、急いで宿へと戻る。最初に宿に帰り着いたのはイヴェリンで、次がアイラ。怪我をしているパリィを連れていたフェランとライナスが最後に帰り着く。
一人増えた宿泊者の分の宿代として、フェランは多すぎるくらいの料金を宿の女将に押しつけた。口止め料込み、というやつだ。
屋敷内での報告をし終えるか得ないかという頃――空中からジェンセンが転がり落ちてきた。余裕もないらしく、床にしたたかに肘を打ち付けて顔をしかめている。
「父さん!」
ジェンセンが脇腹を押さえ、そこに怪我を負っているのを見てアイラは悲鳴を上げた。命に別状はなさそうだが、かなりひどい。イヴェリンは冷静な表情でたずねる。
「セシリーか?」
「引き分けだ――が、ここからすぐにたたなきゃならん。アイラ、この図を床に書いてくれ」
白いチョークと魔法陣を描いた紙がアイラに手渡される。
「急げ!」
「父さんてば、もう、むちゃくちゃな! 何があったってわけ?」
父の手伝いをしている時に何度もやらされたから、手順に困ることはなかった。
フェランとライナスがベッドを壁に寄せ、魔法陣を描くだけのスペースをどうにか確保する。
彼がそうしている間にアイラは紙を横目で眺め、自分が把握している魔法陣のうちどれなのかを理解すると、それ以上紙を見ることなく一気に魔法陣を描き上げた。
「……その速さ、宮廷魔術師並みだぞ」
「誰が書いても、効果は同じだからな。面倒だから娘を仕込んだ」
アイラの手際にイヴェリンは素直に感心し、ジェンセンは身も蓋もないことを言う。魔術師一人ならば簡単に転移できるのだが、他者をともなうとなると、魔法陣を書く必要がある。
「とりあえず皇女宮に飛ぶ。忘れ物はないな。魔法陣から身体が出ないようにみっちりくっついてろ。はみ出てたやつは、そこの肉がちぎれるぞ。痛いぞ?」
全員がはみ出すことなく、きっちりと魔法陣の中に収まっていることを確認すると、ジェンセンは杖を高く掲げた。