夜遊び禁止、飲酒禁止
「でも、アイラをここから出しても大丈夫なの? だって、護衛はともかく影武者がいなくなるのは困るわ」
エリーシャの言うことももっともだった。アイラはいざという時の影武者、ということで後宮に入ったのだから。実際、何度もアイラはエリーシャの影武者を勤め、重傷を負ったこともある。
「それはエリーシャ様にしばらく我慢していただくしかありませんな。夜遊び禁止、後宮の外に出るのは禁止。公務は体調不良で欠席していただきたい――ああ、当然しばらく禁酒ですぞ」
「えぇっ! 公務さぼるのはぜんぜんかまわないし、夜遊びも――まあしばらくはいいけど、禁酒は困るわ!」
一番困るのが禁酒なのかとアイラは頭を抱え込みそうになったが、それよりも大変なことが山ほどある。
「病人ががばがば酒飲むのはおかしいでしょう。とにかく、影武者が留守にしている以上、人前に立つのはしばらく控えていただきます」
珍しくきっぱりと父親が言ったので、アイラは思わず目を見張った。やるじゃん、親父と思ったのはほんの一瞬のこと。
「まあ、城の酒蔵は控えていただきますが、わたしが外から持ち込んだのを飲んでいただく分にはかまいませんが」
「じゃあそれで」
結局飲むのかよとつっこむわけにもいかず、アイラは小さなため息をつくのにとどめておいた。
「で、どうしてアイラを外に出すのかしら? わたしに身近で絶対に裏切らない人間といえば、フェランでもライナスでもよかったでしょ。それこそゴンゾルフでも」
「あのでかいおっさんは目立ちますからなあ」
自分より若い相手をおっさん呼ばわりしておいて、ジェンセンは右手を上げた。その人差し指が、まっすぐにアイラを指す。
「アイラがわたしの娘であるということが必要条件なのですよ」
「血縁関係が必要ってこと?」
わけもわからず、アイラが彼女自身をまっすぐに指している指先を見ているのに対して、エリーシャの方はすぐに事情を飲み込んだようだった。
「あのさぁ、父さん。どういうことなの?」
ようやくそれだけを絞り出すと、父はアイラの方に向けていた指をようやく下におろした。
「お前に魔術の素養はない。まったくと言っていいほどにな」
「でしょう? 父さんそれを残念がってたんでしょ」
「いや、ぜんぜん」
父が本気なのか否なのか、アイラにはわからない。
「でもまあ、お前じゃないと頼めないことがあってなぁ。お前の身体を使えば、後宮からでもお前のいるところであればどこでも魔術を使えるというわけさ。これをやるためには、パパの血縁者じゃないとだめなんだよ」
「わたしを遠隔操作しようってわけ?」
「こればかりは、他人には頼めないからなぁ。あいにくお前は一人っ子だし、パパ隠し子なんていないし」
隠し子なんていたら、それはそれで問題だ。
「じゃあ、わたしを後宮になんて入れないで遠くからこっそり守ってくれればよかったじゃないの」
「そういうわけにもいかないさ。それやってる間、パパ無防備になっちゃうし、ずっとお前に注意払っとくわけにもいかないだろ」
「で、アイラは引き受けてくれるの? くれないの?」
エリーシャの言葉に、アイラは黙り込んだ。断ったら、エリーシャは他の手を考えなければならない。
「えーっと、危険なのよね? それってすごく」
密偵なんてやったことないし、何を探ってくればいいのかもわからない。
「だからイヴェリンについていってもらうんだ。お前、剣の方もまあまあでしかないからなぁ」
「前よりはましになったけどね!」
怪我をして寝込んでいた間は別として、それ以外は毎日エリーシャの稽古に付き合っていたのだ。
アイラの腕も以前より格段に上達している。
「フェランとかライナスとかじゃだめなの? イヴェリン出かけちゃうと、ゴンゾルフがめんどくさいんだけど」
「一応嫁入り前の娘ですので、男の同行はご勘弁願いたいですなぁ、エリーシャ様」
それなりに父親らしいことを言っている。ごくまれなことではあるが。
「それに、女性二人連れの方が相手も油断するでしょうしね」
「アイラの安全は保証できるの?」
「世の中には完全な保証なんてありませんよ」
エリーシャはちらりとアイラに視線を向ける。
「わかりました。なんとかやってみます。怖いけど――イヴェリン様と一緒ならたぶん」
イヴェリンの剣の腕は確かだ。彼女が一緒なら一人で探索に行くよりはるかに安心だろう。
「そういや、ダーシー様はどうするんです?」
「連れてきたんだから、ちゃんと面倒見るわよ。拾った子猫だって最後までちゃんと世話をしないなら返してきなさいって言われるんだから」
あれは捨て猫なんて可愛らしいものではないだろう。とはいえ、一応エリーシャの婚約者なのだから粗略に扱うわけにもいかない。
「いや、ご病気ということになりますから、会いに行くわけにはいかないんじゃないかと。ダーシー様は、魔術研究所の方に行かれるんですよね?」
「ああ、そうか。そう言われればそうね」
「こちらまでおいでいただくわけにもいかないですよ」
婚約者とはいえ、ここは男子禁制だ。好き勝手に出入りしているジェンセンと、皇帝からの許可を得ているゴンゾルフは別として。
「別に会わなくても寂しくないし、ぜんぜん気にしないわ」
形だけの婚約者ではあるけれど、ちょっぴりアイラはダーシーに同情した。
「それじゃ、明日にでもイヴェリンと一緒に出かけてちょうだい」
「じゃあ、アイラ。明日出立前にもう一度会おう。パパはちょっと出かけてくるよ」
「イヴェリンを呼んで、それと路銀も必要ね。すぐに手配するから」
ひょいとジェンセンは姿を消し、エリーシャはてきぱきと動き始めた。