新しいお仕事?
その日の夜、さすがに素面のままのエリーシャは、アイラを連れてジェンセンの資料を置いている皇女宮の中の一画、図書室へと向かった。
「準備はできているのかしら?」
「完全ですよ、皇女様」
ノックもせずに部屋の中に足を踏み入れたエリーシャを、ジェンセンは恭しい動作で出迎えた。
「結界は完璧、これでわたしどもの話を聞くことができる者はおりませんよ。扉の前に護衛は?」
「一応、ね。ここの前にイヴェリンに待機してもらっている。ここまで出入り許されるのはイヴェリンくらいだものねー。女性騎士をもう少し増やすべきかしら。あとはベリンダが結界を破ろうとしている者がいないか警戒してくれている」
「よろしいでしょう。では、ご用をお伺いしましょうか、皇女殿下」
アイラは図書室の中を見回した。四方の壁、全てが書棚になっている。ちぐはぐなのは、皇女宮全ての書棚をアイラが侍女たちに頼んでかき集めてきたからだ。
そこには、ジェンセンの書物だけではなく、ベリンダが外から運び込んだ書物や、エリーシャが集めるように命じた書物までおさめられていた。
書棚には入りきらなくて、床の上にまで本が積み上げられている。どこか懐かしい空気に、アイラはほっとしたような気になった。
「あなたの部下、借りられない?」
その気になればいくらでも演技できるくせに、エリーシャは基本的には単刀直入だ。
「わたしの部下をどうしようと?」
「ダーレーン国内に入れたいのよ。セシリーも行方不明だし、レヴァレンド侯爵は死亡。手がかりといえば、ダーシーの記憶を無理矢理掘り出すか、生き残っている屋敷の使用人たちの証言をどうにかして引っ張り出すか、残された遺体を調べるしかない」
「いずれにしても時間がかかりますな」
全てを飲み込んだような顔をしてジェンセンは言う。
「そうなのよ。調査の結果が出るのを待っている間にも、やれることはいろいろあるでしょ。だったら、ダーレーン国内に密偵を入れるのが早いかなって」
エリーシャの方もあけすけな口調で語る。
「悔しいけど、後手に回っているのは否定できないのよ。何人もの犠牲が出ている。敵の狙いはわたしなのかと思っていたけれど、どうやらそれだけじゃなさそうだし」
「エリーシャ様ご自身の密偵もおられるのではないですか?」
「セシリー教団に侵入させたけれど、音沙汰ないのよ。密偵としては腕がいいから、見破られたはずはないと思うけれど」
「確かパリィ、と言いましたか」
アイラは口をぽかんと開けて、父を見つめた。 父はどこまで知っているのだろう。
「おじい様に聞いたの?」
エリーシャも表情を変えて、ジェンセンの顔をまじまじと見つめる。
「まさか」
ジェンセンはにやりとすると、軽い口調で言ってのけた。
「エリーシャ様の夜遊びは何度も追いかけましたからね!」
「あらら、付いてこられていたのは気づかなかったわ!」
「エリーシャ様お一人でふらふらさせておくはずないでしょう」
「そうね、そうだったわね」
ということは、酒場で大酒飲んでいたのも、街中で剣を振り回していたのもしっかりとジェンセンには見られていたわけで。
それでいいのか、皇女殿下、とアイラは頭を抱えたくなった。とってもとっても今さらなのだが。
「それはともかくとして、です。現状でダーレーンに入れられる部下というのは存在しないのですよ、エリーシャ様」
「どこもかしこも人手不足ね!」
「こういう事態ですからねぇ」
皇女と魔術師は顔を見合わせた。アイラはその二人の様子に、おろおろとすることしかできない。
「どうしましょうねぇ――ああ、イヴェリン・ゴンゾルフを借りましょうか。それとうちの娘を」
「保護を求めて、アイラを後宮につっこんだんじゃなかったっけ?」
「こうなりゃ話は別ですよ。娘には借金返すまできりきり働いてもらわなけりゃですしねぇ」
「その借金はあんたの作った物じゃないの」
あきれた口調でエリーシャは言う。そうしてから、アイラを手招きした。
思わぬところで自分の名前を出されて、目をぱちぱちさせていたアイラは恐る恐るエリーシャの側へと近づく。
とりあえず、父親を殴り倒してやりたかったのだが、話の途中だったので後に回すことにした。
「それはそれ、これはこれですよ、皇女殿下。一応これでも父親ですのでね。娘はなるべく危険から遠ざけておきたいと思っておりましたよ。しかし、まあこうなっては――」
街中でのほほんと暮らしていた頃ならば、アイラが隣国の情勢に気を配るなんてことはなかっただろう。あの頃とは違う。
生きた死体を相手に戦った。すさまじい力を持つ魔術師を目の当たりにした。死ぬかと思うような重傷も負って――、今は見たこともない隣国のことが気になってしかたない。
「イヴェリン様とわたしに何をやらせようってわけ?」
エリーシャの隣に座り込んだアイラが父にたずねると、彼は裏の八百屋に大根を買いに行けというくらいの気安い口調で言った。
「まー、こうなったらお前も諦めて、だな。とりあえず、セシリー教団に行ってこい」
「はあ?」
「いやー、パパ、お前は後宮で守ってもらうつもりだったんだけどさ。ここまで来ればお前だけ安全な場所に置いとくわけにもいかないだろ? 今なら堂々と護身の術もかけられるしさぁ、イヴェリンと一緒なら大丈夫だろ。ちょっと行ってこい」
「ちょっとってねぇ……」
そんな大事なことを、そんな軽い口調で言わないで欲しい。アイラが肩を落としている横で、エリーシャは難しい顔をして考え込んでいた。




