護衛侍女とか影武者とか
「思っていたより時間がかかったな、とりあえず、そこの椅子に座れ」
イヴェリンはアイラを椅子に座らせた。アイラをここまで連れてきたフェランとライナスは入ってすぐのところに控えていた。
「フェラン、ライナス」
アイラの正面にいた背の高い男が二人の名を呼ぶ。
「二人は扉の警護。魔術の気配にも気を配ってちょうだい。いいわね?」
アイラの目が丸くなった。目の前にいるのは、どう見ても男。それも筋骨隆々の大男。顔の半分は髭に覆われているというのに、言葉遣いは女性のもの。
これは、どういうことなんだろうか――ぽかんと開きかけた口を慌てて閉じる。フェランとライナスの二人は静かに扉の外に滑り出ていた。
「気にするな。夫は四人姉妹の後に生まれた跡取りなんだ。だから、多少女性的なところはあるが、中身までなよなよしているわけじゃない」
こちらは必要以上にきりりとしたイヴェリンが、もう一つの椅子を引いて座った。
「はあ……」
アイラの知っているウォリン・ゴンゾルフという男は、戦場の英雄のはずなのだが――アイラと向かい合うようにして座っている机の上には、クッキーとチョコレートが山のように置かれている。
まさか、これ全部一人で食うつもりなんだろうか、とアイラはじろじろと熊男の顔と甘味の山の間に視線を往復させる。
「まあそれはともかく、よ。とりあえず、甘いものでも食べてちょうだい。こんなところに連れてこらえて落ち着かないでしょう?」
「ゴンゾルフ。おやつタイムは話が終わってからにしろ」
イヴェリンは夫を名ではなく姓で呼んだ。
「ああ、気にしないで。わたしの名前は、女帝ウォリーナからとられたの。そのまま名乗るのは恐れ多いでしょ。だから妻にも名字で呼ばせているの」
「はあ……」
なんだかさっきから気の抜けた返事ばかりしているような気がする。気を取り直して、アイラはゴンゾルフにたずねた。
「父がゴ――ゴンゾルフ様に借金してるって本当ですか?」
「嘘ではないわ。言われるままに貸したわたしも悪かった、とは思っているんだけど、借金は借金でしょ? 責任もって返してもらうからそのつもりでいてちょうだい」
「――返しますよ、返しますってば」
父に後宮に売り飛ばされたのだ。どうせ、逃げたところでこの二人が本気になればすぐに見つかるだろうし、逃げられるはずもない。
「それで、わたしは何をしたらいいんですか?」
「エリーシャ様の侍女だ」
見せびらかすように長い脚を組んでいたイヴェリンが言う。
「侍女って、何するんですか?」
「まあ、表向きは――でしょ、イヴェリン?」
柔らかな口調で、ゴンゾルフが言った。
「そうだな、本命はもう一つ。エリーシャ様の影武者だ」
「はあ?」
アイラの声が裏返った。
「つとまるはずないでしょう、エリーシャ様は金髪、わたしは黒髪。だいたいちっとも似てませ――」
ぽん、と上から何かが降ってきた。顔にわさわさとかかる感触に、それが鬘であることを知る。
「――見てみろ」
イヴェリンがアイラの前に鏡を突き出した。
あ、と言ったきりアイラはその後が出なかった。
似ている――今までは気がついていなかったけれど、皇女エリーシャにそっくりだった。うり二つ、というところまではいかないが雰囲気が一気に彼女に似たように思えた。
もっとも、皇女と間近に接する機会などあるはずがない。式典の際にバルコニーから手を振っているところを遠くから見るか、街中に出回っている肖像画を見るしかないのだけれど。
エリーシャの方はきりっとした美人顔。アイラの方はどこか可愛らしい雰囲気がただよっている点が違うと言えば違う。
「鬘をかぶっただけで、これだけ似るんだ。手を加えれば、もっと似せることもできる。年も同じ――影武者には適役だろう? おまけに君は剣を使うこともできる」
「似てるっちゃ似てますけどね」
どうして今まで気がつかなかったのだろう。鬘をかぶっただけでこんなに雰囲気が似るなんて――でも、とアイラは首を振った。
「わたしにつとまるわけ、ないじゃないですか。影武者なんて」
「大丈夫、何とかなるから――よろしくね、アイラちゃん」
テーブル越しにゴンゾルフが手を差し出す。彼の指が太い、ということにアイラは気がついた。
ぶんぶんと両手を捕まれて振り回されたまではよかったが――
「まだ引き受けるなんて言ってない!」
アイラの叫びは二人に完全に黙殺された。
「とにかく、だ。君はエリーシャ様の侍女として後宮に入ったということになる。それも護衛侍女だ」
夫とアイラを引き離して、イヴェリンは強引に話を進めることに決めたようだ。
「護衛侍女?」
耳慣れない言葉にアイラは首を傾げる。
「普段は侍女として働いてもらう。いざという時は、エリーシャ様のために剣を振るう――君の場合はもう一つ。有事の際はエリーシャ様の代理として行動してもらう。ぱっと見では似ていないというのが、君の場合はありがたいな」
「……でも、わたしが剣を使えるって言っても……」
特に強いというわけではないのだ。町娘が習う護身術の範疇でしかない。
「それで十分だ」
イヴェリンは笑った。
「本当ならエリーシャ様には護衛なんて必要ないんだよ――さて、甘いものでもつまんだら、エリーシャ様にお会いするとしよう」
アイラは机に視線をやる――その時、大量につまれた菓子は、大半がゴンゾルフの胃の中に消えていた。