首謀者は、誰
ああ、だから父の書物を売るな、とイヴェリンは言ったのか――父の借金を減らすことくらいできると思っていたのに。
エリーシャは、ジェンセンの話が終わるまで外で待ってくれていたらしい。ジェンセンが出て行くのと入れ替わりに、皇女の侍医がアイラの身体を診察してくれる。
重傷ではあるが、後遺症は残らないだろうという見立てにアイラはほっとした。
侍医が出て行った後、エリーシャの他の侍女たちも部屋に合流する。いつものようにファナがお茶の用意をして、部屋の中にいい香りが漂う。
アイラには、イリアが薬湯を用意してくれてそれを差し出された。
「言っておかなきゃならないことがあるの」
ベッドの周囲にエリーシャとイリアとファナが座る。それからエリーシャは厳しい顔で切り出した。
「イヴェリンの見立てでは、今回の襲撃、首謀者じゃないにしてもおばあ様が絡んでいるだろうって――皇女宮に戻っても今後は気をつけなきゃならないと思うの」
侍女たちは顔を見合わせる。皇后オクタヴィアが、エリーシャの襲撃に関係している? そんなことがありえるだろうか。
「もともとおばあ様はセルヴィスに皇位を継がせたがっていたしね――まさか、本気で殺しにかかってくるとは思わなかったけど」
エリーシャはため息をついた。
「……でも、どうしてそんなことが言えるんです?」
イリアがおそるおそる返す。皇后が皇帝の孫を殺そうとするなんて聞いたことがない。
「わたしの性格をもっともよく知ってる一人は、おばあ様でしょう――だから、レヴァレンド家との見合い話をねじ込んだ。そうすれば、終わったとたんわたしが憂さ晴らしに出るのは簡単に読めるでしょうからね。いくらなんでもあいつはないわぁ、あれとだけは帝国を背負えないもの」
「行き先も、ですか?」
「それはまあ……」
エリーシャは苦笑いした。
「おばあ様に、温泉に入りたいから別荘使うって言っちゃったし。まさかおばあ様が暗殺者を送り込んでくるとは思わないでしょ――考えてみれば、公務の予定を組み替えるの、ずいぶんスムーズにいったのよねぇ」
本来なら、よほどのことがない限り、皇女が皇宮を離れるのにはそれなりの手続きが必要だ。エリーシャのごり押しもあったのだろうけれど、裏で皇后が手を回していたとなれば納得できる。
「でも――セルヴィス様に継がせたいから、というだけの理由でエリーシャ様を暗殺しますか? ただでさえ、お血筋の方が少なくなっていますのに」
「ん」
エリーシャは、下唇を突き出した。
「たぶん、それだけじゃないとは思うのよ。ただ、考える材料が少なすぎてまだ結論を出すことはできないの」
それから、エリーシャはイリアとファナを見た。
「あなたたち、実家に戻りなさい。後宮に戻ればわけのわからない政治抗争に巻き込まれることになる――アイラだけは戻ってもらわないと困るけど。護衛も影武者もまだ必要ですからね」
「それはできません」
イリアが言った。
「アイラ一人でエリーシャ様のお世話全てに手が回るとは思えません。わたしは戻ります」
「イリア一人行かせるわけにはいきませんよ。それに」
ファナは肩をすくめた。
「政治抗争は人間がするものでしょ? あんな化け物がいる外にいるのはまっぴらです」
どうやら、エリーシャたちのところにもあの兵士があらわれたらしい。とっくに死亡し、肉体が腐っているのにも関わらず動き回る兵士が。
「後宮にいれば、すくなくとも宮廷魔術師の方が守ってくださるでしょう。わたしはその方が安心です」
「やれやれ」
エリーシャは首を振った。
「――そうしたいのならとめないけど。それなら、今まで以上に注意を払ってちょうだい――特に食べ物関係。毒を盛られるかもしれない」
イリアとファナは緊張の面もちでうなずく。
「――それと、アイラ」
アイラは首を傾げた。
「ジェンセンの魔術書、専門家を入れた方が早そう。どうせ怪我が治るまでは稽古できないんだし、しばらくそっちにあたってくれる?」
「――それはかまいませんが」
以前、騎士団の二人が、女性の魔術師を手配すると言っていたことを思い出した。
「わたしは魔術に関しては才能ゼロで――」
「それでいい。ジェンセンが何調べてたのか魔術師の側にいて随時彼女の質問に答えてくれれば」
まったく、とエリーシャは首を振る。
「ジェンセンもゆっくりしていけばいいのに。聞きたいことが山ほどあったのに逃げられたわ」
「父はもう行ってしまったんですか?」
皇帝陛下の直属。そう言うからには、きっと何か重要な任務についているのだろうけれど――それについては聞きそびれてしまった。
「うん。何か調べることがあるって言ってたけど――わかんない」
それから、エリーシャは三人に言う。
「とにかく、当初の予定通りここに一週間滞在ってわけにもいかなくなった――今日、これから出発するわ」
エリーシャは首を振った。
「アイラにはきついだろうけれど、なるべく傷に響かないようにするからちょっと我慢してちょうだい」
アイラは無言だった。本当は後宮になんて戻りたくない。政治抗争に巻き込まれるのも、化け物に襲われるのも嫌だった――けれど、後宮の外にいるのがアイラにとって危険だとなれば戻るしかない。
平凡な人生を歩んでいたはずなのに、どこでどうずれてしまったのだろう。
出発まで休むようにと言われたけれど、休まらないであろうこともよくわかっていた。