父との再会――聞いてないんですけど!
アイラが目を覚ました時、側にいたのはエリーシャだった。
「……よかった!」
布団の上に出ていた手をぎゅうぎゅうと握りしめられる。ぼうっとした頭で周囲を見回すと、そこが滞在していた皇帝家の別荘であることがわかった。
エリーシャが使っていた寝室ではないが、同じように心地いい寝具が身体を包んでいる。
「……何が……?」
何があったのかは思い出せ――いや、アイラは皇女の手を振り払って布団の中に潜り込む。
昨夜相手にしたのは、確かに兵士だった――けれど、腐乱していて異臭を放っていた。あんなものがこの世に存在するはずはない。
「……アイラ」
皇女の前で無礼だった。慌ててアイラはかぶったばかりの布団を引きはがして顔を外に出した。
「……ありがとう」
思いがけず、礼を言われた。アイラとエリーシャの入れ替わりは完璧で、彼女たちの方は無事に逃げ延びることができたらしい。
『侍女』たちを追ってきた兵士たちはイヴェリンと側についていた騎士たちが斬り伏せ、もちろんエリーシャ自身も剣を振ることにためらいはなかった。
そこへ、ジェンセン・ヨークが駆けつけ、この別荘に結界を施してからアイラたちの救出に向かったのだという。
「お父さんに会いたい?」
「……遠慮しときます」
何があったのか詳細はわからないが、今は父の顔を見て冷静でいられる自信はなかった。
なぜ、自分を売り渡すような真似をしたのか――それを問いただしたところで、どうにもならないことはわかっているつもりなのだけれど。
どうせ自分は売られた身――父の作った借金を返すか、後宮側の人間がもう不要と判断するまでは、エリーシャの側にいるしかないのだから。
「それより、つきそってくださってありがとうございます。エリーシャ様がついてくださるなんて」
皇女に看病されるとは滅多にできない経験だろう。
「いいの。でも、言ったでしょ? イリアとファナと交替で付き添いしたの。まさか騎士団の連中につき合わせるわけにもいかないものね。それより、いざって時は、元の姿に戻りなさいって言ったのに」
「そんな余裕はなかったです……」
アイラは苦笑いした。だいたい相手にしていたのが化け物なのだから、エリーシャの姿を解いたところで逃がしてくれたとは思えない。
「ごめんね。それから、ありがとう――助かった」
その言葉には、アイラは首を横に振っただけだった。当然のことをしただけだ。
アイラの仕事は、いざという時エリーシャの影武者を勤めること。けれど、同じ仕事に戻れるかと問われたら自信はない。
あんな――あんな化け物相手に戦うなんて無理だ。今さらながらに思い出した恐怖に身が震え、と、同時にわき腹の傷が痛んで思わずうなる。
「痛い――? 痛いよね? お医者さん、呼んでくるから!」
止める間もなく、エリーシャはばたばたと駆けだしていく。
入れ違いに入り込んできたのは、生き別れの父親だった。
「無事だったんだねぇ、パパ嬉しいよ」
ふてくされてアイラは、布団の中に潜り込んだ。何が無事だったんだねぇ、だ。昨日の恐怖に父へのいらだちにその他にわからない感情がぐるぐると渦巻いて、まともに父の顔を見ることができない。
「魔術書、皇女宮の方で預かってくれてるんだってな。助かった――それと、だ。言っとかなきゃならないことがある」
布団にくるまっているアイラにはかまわず父は勝手に話を続けた。
「とりあえず、エリーシャ様の側を離れないでくれ。そもそもおまえが皇女宮に入ったのは、パパがおまえの保護をゴンゾルフに頼んだからだ。この国で一番安全なのは後宮だからなぁ」
では、売り飛ばされたわけではなかった? アイラは思わず上半身を跳ね起こした。傷の痛みにうめきながら、父の顔を見つめる。
「じゃあ――借金は?」
「ああ、あれは本当。いやいや、パパ、お金の使い方が下手くそでねぇ」
なんでもないことのように、ジェンセンは大仰に両腕を広げて見せた。対照的にアイラの肩が落ちる。
「いやー、イヴェリンも考えたねぇ。ただ、保護するって言ったらおまえ反発して逃げるだろ? でなきゃ自分みたいな一般人に保護は必要ないってはねつけるだろ? 借金の返済なら頑張ってお仕事しちゃうもんなぁ。パパ、借用書に娘を好きにしていいって書いといて本当によかったと思うよ」
――よくないだろ! よくない。絶対によくない! そう思うけれど、アイラにはまた違う疑問が芽生える。
「――でも、保護って? ――エリーシャ様があれじゃ、意味ないんじゃ」
何しろエリーシャは好き勝手に後宮を出入りしているわけで。アイラもエリーシャと行動をともにしているのだから、保護になっていないのではないかと思う。
アイラの表情に気づいたように、父は軽く笑った。
「皇女殿下を放置しておく訳ないだろう。宮廷魔術師がこっそり護衛しているから安心だ――まあ、本当の本当にいざって時しか宮廷魔術師の出番はないけどな」
言われてみれば、それも当然だ。
「おまえには言ってなかったけど、パパ、今皇帝陛下直属で動いてるんだよ」
「へ?」
「というわけで、任務に戻るから、おまえはしっかりエリーシャ様をお守りするんだぞ」
最後にとんでもない爆弾を落として、ジェンセンはアイラが呼び止めるのにもかまわず部屋を出ていってしまった。