皇女様、お見合いする
ぷりぷりとしながら、エリーシャは動きやすい格好から客人を迎えるためのドレスへと着替える。
白いドレスの上に水色と黄色の上衣を重ねて、サファイアとダイヤモンドの首飾りをつける。髪はイリアが熱心に結い上げて、後頭部に高々と重ねられた。そこにもサファイアとダイヤモンドが散りばめられる。
「やれやれ、それじゃ戦闘開始といきましょうか」
エリーシャはアイラを連れて、部屋を出た。
近頃では、アイラはスカートの下に常に二本の短刀を隠している。
毎朝の剣の稽古で右手と左手両方に短刀を構えても、腕が重くなることもなくなってきた。
エリーシャの護衛侍女はアイラであることは、後宮内の住民たちには周知の事実ではあるが、念のためというやつだ。後宮を含めた皇宮全体が厳重に警備されているといえど、何があるかわからない。
「あー、めんどくさい」
「エリーシャ様、顔がしかめっ面になってます」
「大丈夫、お見合いの場に入るまでにはどうにかするから」
皇女宮を出るなり、エリーシャの歩き方が変化する。伏し目がちになって、ドレスの裾が揺れることすらないほどにしずしずとした歩みになった。
皇女宮への出入り口を守っていた騎士たちがぼうっとした目つきでエリーシャを見送っている。
それに気づいたアイラはくすりと笑い、改めて表情を引き締めるとエリーシャの数歩後ろをついていく。
後宮から前宮へ入ると、周囲は一気に騒がしくなった。書類を抱えた役人たちがあわただしく行き来している。
それに皇帝への取り次ぎをもとめる貴族たち。前宮に仕える侍女や侍従といった使用人。前宮に入るのは初めてだったアイラは、周囲を見回したい誘惑にかられたが、それをこらえて前を行くエリーシャの背中だけを見つめて歩みを進めた。
エリーシャの肩からかけられた、透けて見えそうなほどに薄い布で作られたショールがひらひらと肘のところで揺れている。
「エリーシャ皇女殿下のお越しです」
扉のところに控えていた侍従が、エリーシャの訪れを告げる。アイラはエリーシャに続いて、貴族たちとの面談のために使われる部屋に足を踏み入れた。
室内は、アイラが想像していたのとは少し異なっていた。壁には皇帝ルベリウスと皇后オクタヴィアが寄り添う肖像画がかけられている。
部屋の中央にはどっしりとしたテーブルが置かれていて、その両脇には華やかな模様が刺繍された布張りのソファが並んでいる。
そこには既にレヴァレンド侯爵と、その息子であるダーシーが待っていた。入ってきた皇女に二人とも丁寧に一礼する。
そのすぐ後に、皇后オクタヴィアが入ってきた。彼女の後ろには、三人の侍女が従っている。
侍女たちが押しているワゴンには、銀のティーセットと焼き菓子が置かれていた。
「待たせたわね。では、改めて紹介してもらえるかしら」
オクタヴィアが、レヴァレンド侯爵を見る。茶席の用意は皇后の侍女たちがしているから、アイラはエリーシャの後方に控えているだけだった。とても手持ちぶさたなので、ついつい皇后の視線に合わせて侯爵の方へ視線を向けてしまう。
「長男のダーシーでございます。現在は内務省にて勤めさせていただいておりますが――」
ダーシーというのは、艶のない金髪をした生気のない男だった。六十過ぎ、ひょっとすると七十過ぎであろう父親の方が艶々しているのとは対照的だ。
「皇女殿下には初めてお目にかかります。ご機嫌麗しく――」
こりゃだめだとアイラは勝手に結論づけた。見た目だけではなく、声にも生気がない。この男とエリーシャを結婚させて、皇后はどうするつもりなのだろう。
――エリーシャが尻に敷きやすい相手を選んだと言われれば、ものすごーく納得するが。
アイラのいる位置からは、エリーシャの後ろ姿しか確認することはできない。
エリーシャは首を少し傾けて、アイラが「皇女スマイル」と密かに名付けた笑みを振りまいているようだった。
皇女スマイルを繰り出す時は、首が常に同じ向きに傾けられるからわかる。皇女宮に勤めるようになって、それほどたっているというわけではないけれど、アイラもその程度のことは理解できるようになっていた。
テーブルに茶の用意を調えた侍女が下がっていく。入ってきた三人のうち、一人だけが皇后の後方についた。
アイラは彼女を横目で観察する。何度か見かけたことのある侍女だ。彼女もアイラと同じ護衛の任についているのだろう。
アイラがきょろきょろしているのとは違って、皇后の後ろ姿から目を離そうとはしない。
「今年採れた栗で作ったパイよ。温かいうちに召し上がれ」
皇后自ら切り分けたパイを、テーブルについている一同の前に並べていく。焼きたてのパイのいい香りが漂って、アイラの食欲もそそられる。残念ながら、食べるわけにはいかないが。
何度か勧められて、レヴァレンド侯爵父子は、フォークとナイフを手にする。エリーシャは客の前だから、フォークとナイフを繰る手はいつもより緩やかに動いていた。
後で厨房にパイの残りがないか確認させられるな、とアイラは内心おかしくなった。
「では、そなたには今後エリーシャと自由に面会する許可を与えます。会う時は、皇帝宮の部屋を使いなさい」
お見合いも何も最初から結論は決められている。皇后がダーシーに限られた場所であるとはいえ、後宮内への出入り自由の許可を与えて「お見合い」は終了した。
皇女宮に戻るのと同時に、アイラが厨房に走らされたのは、予想通りである。