騎士団への命令
皇女宮に戻る途中も、戻ってからも、エリーシャはほとんど口を開こうとはしなかった。男装に身を包んだ二人連れは、裏口と化している隠し通路から無事に中に戻ることに成功する。
今日はフェランにもライナスにも見咎められることはなかった。
「明日――朝一で皇女近衛騎士団の団長と副団長に会えるように手配しておいて。遅くて悪いけど」
「かしこまりました」
「入浴は自分ですませるから、あなたもお風呂使ってきちゃいなさい。手早く、お願いね」
「わかりました」
アイラはエリーシャに一礼すると、ばたばたと駆け出す。自分の部屋に飛び込んで侍女のお仕着せに着替えるのは忘れなかった。
深夜のこの時間だ。髪は解いたままでもいいだろう。
皇宮内でも、政治の場である前宮から、皇帝のプライベートな空間である後宮に入るまではいくつかの扉を通過しなければならない。それぞれの扉は、皇宮騎士団の騎士によって厳重に警備されている。
皇女宮から後宮内の他の区画へ向かうための通路に通じる扉は、皇宮騎士団に属する者の中でも、皇女近衛騎士団に配属になっている者にしか守ることは許されない。
今日の警護はライナスと、アイラは見たことのない短髪の騎士によって守られていた。
「ライナス様」
もう一人には話しかけようもなかったから、アイラは知っている方の顔に声をかけた。
「エリーシャ様のご命令です――明日の朝、一番にゴンゾルフ様とイヴェリン様にお会いしたいと」
「何があった?」
ライナスの瞳が鋭さを増す。
「さあ――わたしは手配するように言われただけなので」
踵を返して戻ろうとするアイラの手を、ライナスは掴んだ。
「今日、外に出たな?」
「ええ――、まあ」
確かに外には出た。侍女のお仕着せに着替えてきたはずなのに、なぜばれたのだろう。
「そこで何か変わったことはなかったか?」
「特にはないですよ――」
密偵、というくらいだからパリィの存在は誰にも教えない方がいいのだろう。
「『陽気なアヒル亭』で飲んだだけですよ」
「――本当か?」
アイラは肩をすくめた。それから、丁寧にライナスの手を振り払って元来た道を戻っていく。
ライナスのことは気の毒だと思う――身分違いの恋なんて叶うはずもない。
エリーシャの寝室に入ると、エリーシャは既にベッドに潜り込んでいた。アイラは部屋の明かりを落として、自分のベッドに潜り込んだ。
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翌朝、エリーシャはてきぱきと身支度を調えた。皇女宮の中にいる間、好んで身につけている裾を絞ったズボンに刺繍の入ったブラウスを合わせて、普段客と顔を合わせるための部屋へと向かう。
その部屋は皇女宮の中にあり、そこに出入りを許されるのはごくわずかな者だけだった。
ゴンゾルフもイヴェリンも皇女近衛騎士団の制服を一分の隙もなく着こなして、皇女を出迎えた。
ただ一人つきそうことを許されたアイラは、イヴェリンとゴンゾルフから少し離れた場所に立って会話には口を挟まずにいた。
「さっさと話を進めましょうね――セシリー教団について何か知ってる?」
「名前は聞いていますが、たいして害はないかと――」
イヴェリンは神経質に眼鏡に手をやった。
「死者の声を聞くという話ですが、よくある奇術の一種でしかないという報告を聞いています」
妻の言葉を補足するように、ゴンゾルフが言う。
「彼女が今どこにいるのかは?」
「――把握しておりません」
ゴンゾルフが目を伏せた。
「今日、レヴァレンド侯爵の息子と会うことになったわ。おばあ様のお言いつけ――お見合いですって」
「お見合い、というより事実上の顔合わせでは?」
「鋭いわね、イヴェリン・ゴンゾルフ」
エリーシャは肩をすくめた。
「それは、いいんだけど――セシリー教団って最近貴族たちの間に少しずつ信奉者を増やしているらしいじゃない?」
「――害のないお遊びではないですか? 本当に死者を呼び出そうとしたならば問題ですが、そのような知識が市井に出回っているとは――」
「そうでもないのよ」
エリーシャの言葉に、ゴンゾルフは足を組み直した。アイラの視線の先はエリーシャとゴンゾルフの間を往復する。
「なんでもそのセシリーとやらが、レヴァレンド侯爵家の持っている家の一軒に入り込んでいるらしいわ」
「……なんですって?」
ゴンゾルフが立ち上がった。
「エリーシャ様、どこでその情報を?」
イヴェリンの方は、立ち上がりせずじっと夫を眺めている。
「――わたしにはわたしの情報網がある。そうでしょ?」
「……そう、ですね……」
イヴェリンは、エリーシャの言葉を咀嚼しているかのように頭を振った。
「昨日はどちらにお出かけでした?」
「『陽気なアヒル亭』よ」
「夜遊びはほどほどになさいますよう――アイラをお連れに?」
「当然でしょ? アイラ以外の誰を連れていくというの? そういうわけだから、セシリーと彼女の教団を洗ってちょうだい」
「イヴェリン、わたしは先に行くわ。近衛騎士団のメンバーを調査に回すわけには行かないから、皇宮騎士団の方と調整してみるわ」
ゴンゾルフは、先に部屋を出ていく。残ったイヴェリンはエリーシャに向けて気遣わしげな視線を向けた。
「レヴァレンド侯爵子息との顔合わせの件ですが――」
「大丈夫。何とかするわ」
エリーシャの微笑みに、イヴェリンは眼鏡の奥の目を細めた。信じていないというようにエリーシャを見つめる。
それから一礼すると、夫に続いて出て行った。