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後宮に売り飛ばされたようです

「君の父親は、ジェンセン・ヨークで間違いないね?」

「父が、何か?」

 一瞬にしてアイラの頭の中をいやな想像が駆けめぐった。父は昔宮廷魔術師だったというが、今は見る影もない。

 昼間から酒を飲んでふらふらしているか、旅に出たまま一月以上戻ってこないのもしょっちゅうだ。だからこそ、アイラがこうやってカフェで働いて生活を稼ぐ必要があるのだけれど。


「今、どこにいるか知っているか?」

 アイラはふるふると首を横に振った。父は一週間ほど前、ふらりと旅に出たまま連絡などいっさいよこさない。それがいつものことだったし、気が済めば帰ってくるだろうとアイラもたいして心配していなかった。

「そうか、たいそう言いにくいことなんだがな。君の父上には借金がある――それも多額の」

「借金って誰にですか?」

「わたしの夫だ」

「夫……夫って! 騎士団長じゃないですか!」

 アイラは悲鳴に近い声を上げる。


「そう、君のお父上とは古くからの友人でね。さて、そろそろ貸した金を取り戻したいと思っているのだが、どうにかならないかね?」

「……どのくらいですか? 借金って……」

 アイラの声が低くなった。

「そうだな、ざっと見積もって一千万デイン」

 アイラは頭を抱えたくなった。一千万デインと言えば、場所によっては家一軒買えるだけの金額だ。さすがに皇都ロウボーンでは無理だろうが。


「そんなお金……」

 心細げにアイラの声が揺れる。確かに生活力皆無の父ではあるけれど、まさか古くからの友人に無心していたとは知らなかった。しかもそんな金額を。

 確かに夫婦そろって皇宮騎士団につとめていて、それも団長、副団長となればアイラの想像もつかないような金額を稼いでいるのだろう。そうでなければ、一千万デインなんて大金、貸してくれるはずもない。


「返せないよな? そうだろう、そうだと思っていた」

 なぜか、にこにこしながらイヴェリンは言った。

「実は、最後に借金に来た時、ジェイセンはこれにサインしているのだよ――君の身柄はわたしと夫のものだ」

 ひらりとアイラの前に差し出された一枚の紙。いろいろな契約条件が記されてはいるが、要約すればこう記されてあった。

『期日までに返せなかった場合は、娘は好きにしてかまわない』

「……あのくそ親父っ!」

 思わずアイラは絶叫した。


 呆然とするアイラに、とどめの笑顔をイヴェリンは振りまいた。目の前で契約書をひらひらとさせる。

「さすがに元宮廷魔術師だね。君が拒んだ時には、大変なことになるようきちんと呪いまでかけてくれている――さて、どうするね?」

「……どうするねと言われても!」

 ばんばんとアイラがテーブルを叩いて、上に置かれた食器ががたがたと揺れる。


「わたしに! 選択の余地なんて! ないですよね!」

 アイラの大声に何事かと、店主が部屋をのぞき込むが、イヴェリンのにこやかな笑みによって追い払われてしまう。

 イヴェリンは長い脚を組み直すと、アイラに微笑みかけた。

「君に選択の余地がないのはわかっているが――ね。さて、こちらの話を聞いてもらう気になったかな?」


「……聞くしかないんでしょ」

「……お茶をもらおうか」

 イヴェリンに言われて、アイラは一度厨房へ行く。店主の気の毒そうな視線からは顔を伏せて、怒りのあまり震える手を必死で押さえつけた。

 お茶のカップを二つトレイに乗せて戻ると、イヴェリンは軽く手をあげて応える。

「――お茶です」

 どん、と乱暴にカップをテーブルに置くがイヴェリンは気にした様子もない。アイラは、気持ちを落ち着けようと砂糖を山盛り三杯入れてかき回した。


「さて、君の今後についてだが――後宮に入ってもらう」

 口に入れたばかりのお茶をアイラは吹き出した――それはもう盛大に。

 かろうじて横を向くだけの配慮はできたから、イヴェリンの真っ白な制服に茶の飛沫をかける醜態は演じなくてすんだけれど。

「ちょ、後宮って――」

 タラゴナ帝国の皇帝は後宮に何人もの愛人を抱えている。現在の皇帝ルベリウスも例外ではないが――彼の年齢は六十五歳。アイラとは祖父と孫と言っていいほどの年齢差だ。


「お金がないってつらいんですね。まさか、皇帝とはいえじーさんにいいようにされるとは――」

「おいおい」

 一気に飛んだアイラの想像を、イヴェリンは苦笑でいなした。

「後宮に入るといってもそれがイコール陛下の愛人とは限らないんだぞ。だいたい、考えてもみろ。わたしの所属は皇女近衛騎士団だ――陛下の愛人をスカウトするには少しばかり役職が違うとは思わないかね?」

「……あ、言われてみれば」

 イヴェリンは二本の指で眼鏡を元の位置に戻す。そうして、改めてアイラに切り出した。


「後宮も何かと人手不足でね。君は剣が巧みだと聞いているが?」

「使えると言っても、自分の身を守るくらいですよ。父に習えとは言われましたが、いたって平凡な一般市民なので」

「使えるならそれでいい。入ってから、みっちり鍛えてやるから安心しろ」

「はあ――」

 どうやら、皇帝の愛人として拉致されるというわけではないらしいということを聞いてアイラはほっとする。


「店主には話をつけておく。明日の朝、迎えをやるからそれまでに支度しておけ」

「あの」

 軽やかな動作で立ち上がったイヴェリンをアイラは呼び止めた。

「後宮に行く支度って何をすればいいんです?」

「必要なものはこれに書いてある。あと後宮に入った後は出入りに許可が必要になるから、家の始末はきちんとしておけ」

「……」

 アイラの前に必要事項の記された紙を残し、颯爽と立ち去るイヴェリンを見送ってから、後宮行きが決まってしまったことに気がついた。


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