夜の街での密会
夕食を終えると、エリーシャはアイラを呼び寄せた。
「出かける。いつもの服を出して――あなたもついてきてちょうだい」
「かしこまりました」
エリーシャは、アイラのためにも男物の衣服を用意してくれていた。エリーシャ自身の物と同じように地味な色合いだ。
「それじゃ、行ってくるわ。あなたたちは寝てていいから」
以前にも通ったことのある隠し通路から、エリーシャとアイラは後宮の外に忍び出た。
「今日はどこの酒場に行くんです?」
「『陽気なアヒル亭』にするわ」
エリーシャは慣れた足取りで歓楽街を進むと、『陽気なアヒル亭』に足を踏み入れた。そこの店は料理がおいしいので有名だ。
エリーシャは、揚げてソースをからめた鶏と芋の盛り合わせを注文して、ビールも一緒に注文する。
エリーシャはテーブルに頬杖をついて、周囲のテーブルの会話に耳を傾ける。この店は、上に宿屋があるから、この店には各国を回っている商人たちが多い。
「今年は綿が足りなくなりそうだ」
「となると、服地が値上がりするか?」
「ワインは、ダーレーンでいいのができそうだ」
酔っぱらってきた商人たちの声はだんだん大きくなっていく。あたりを気にしている様子などなかった。
商人たちの会話に、エリーシャは口を挟むことなく運ばれてきたビールに口をつける。
「レヴァレンド侯爵家はね、ダーレーン貴族の流れを汲んでいるのよ」
わけもわからず、とりあえず運ばれてきたビールのジョッキを手にしたアイラにエリーシャは説明した。
「ダーシーの祖母にあたる人間が、ダーレーンから嫁いできた人間でね」
「祖母、ですか」
アイラからすれば、父母ならともかく祖父母の時代となるとはるか昔のことのように感じられる。
「そう、ついでにいうとリリーアとも親戚関係にあたるの」
「そういえば、リリーア様はダーレーンの方でしたね」
「さらに言えば」
エリーシャは指を一本たてた。
「リリーアは、おばあ様とも血縁関係にある――タラゴナ国内からダーレーンに嫁いだ人間を通じてね」
アイラは眉を顰めた。
「それって……」
「おばあ様は、ダーレーンとの関係を強化したいのでしょうね――たぶん、だけど」
「それっていいことなんですか?」
「仲良くして悪いってことはないでしょうよ」
「そりゃまあそうですけど……」
「あ、来た来た。こっちよ!」
エリーシャが手を振る。
「よう、嬢ちゃん」
エリーシャが手を振った相手は、まだ若い男だった。二十代半ばというところだろうか。アイラと同じような黒い髪に青い瞳がきらきらしている。顎がややしっかりしすぎているし、美形とは言えないが感じはいい。
「元気、パリィ?」
「おう、なんとかな。俺にもビールくれ!」
アイラは目の前の男が信用できなくて、わずかにエリーシャの方に身を寄せる。いざという時のために、腰の剣――外に出る時には長剣を吊っている――に手が伸びた。
「大丈夫、知り合いだから」
「あいかわらず、べっぴんさんだな。こっちのは友達か?」
アイラの方に顎をしゃくって、パリィと呼ばれた青年はたずねた。
「まーね、わたしの侍女ってとこ」
ぎょっとして、アイラはエリーシャを見やる。
「大丈夫、身元も知ってる――ていうか、わたしの情報屋というか密偵というか。個人的に雇ってるんだけどね」
ビールのジョッキを一気にしたパリィは遠慮なく、お代わりを注文した。
「ダーシー坊ちゃんの件だけどな」
パリィは女給がお代わりのビールを置いて立ち去ると口を開いた。
「今回の縁談には大いに乗り気だそうだ」
「――でしょうね。未来の女帝の夫になれるっていうのに乗り気にならない人がいるならよほどの事情があるんでしょうよ」
「まあ、そう噛みつきなさんなって」
遠慮なく鶏のフライに手を伸ばしながらパリィは言う。
「こっちにだって説明する手順ってもんがあるんだからさ」
「それで?」
茹でた芋を大量に皿にさらいながらエリーシャは返す。
「最近流行ってる妙な宗教の話、前にしただろ?」
「ああ、国内の貴族が関わってるってやつね?」
「セシリー教団って知ってるか?」
うぅん、とエリーシャは首を横に振った。アイラもぶんぶんと同じようにする。
「聖女セシリーを教祖とする教団だ。まだそれほどの勢いを持ってるわけじゃないが――死者の声を聞かせてくれるんだそうだ。信者の数は多くない――慎重に招き入れる人間を選んでいるからな」
エリーシャの肩がぴくりとした。アイラはそれに目をとめて、やるせない気持ちになる。エリーシャは、まだ愛している――二年前に惨殺されたというあの人を。
「そいつが今やっかいになってるのが、レヴァレンド侯爵家の持っている家の一軒だとしたらどう考える?」
「セシリーとやらが、タラゴナ皇室へ入り込もうとしているのかしら。そして女帝ウォリーナに並ぶ存在になろうとしている?」
タラゴナ帝国の始祖の名を、エリーシャは口にした。
「そんなもんなら可愛いだろ」
パリィはエリーシャの考えを笑い飛ばした。
「名前を残そうとするくらいなら、可愛いもんさ。裏から帝国を乗っ取る、あるいは操ろうとしてるとしたら?」
「まさか――そこまで愚かじゃないでしょ、皇宮の住民は」
今度はエリーシャが笑い飛ばす。
「まあ、さすがに教団内部にまでは入り込めなくてな。今回はここまでだ」
「ありがと」
エリーシャは金貨の入った小袋を彼の手元に滑らせる。
「調査は続けて――こちらから連絡する」
「ごちそうさん」
来た時と同様にふらりとパリィは立ち去った。