皇后陛下にお呼ばれしました……やっぱり?
それから三度ほどエリーシャの夜遊びにつき合った後、皇后オクタヴィアにエリーシャは呼び出された。
「おばあ様は、前々から夜遊びのことをよく思っていなかったからね。お説教かしら」
「夜遊びをしなければいいんじゃないですか?」
皇女宮には、抜け道が二十箇所近くある。その全てを知っているのは皇族だけだ。
いつだったか、エリーシャに連れられて夜遊びに出た時、ライナスとフェランに連れられて戻ってから使った抜け道は、「教えてもかまわない」道であって、半分裏口と化しているのだそうだ。
そのため、皇女近衛騎士団の面々がその抜け道を見張っていても、エリーシャをとめることはできない。
夜遊びにつき合わされるアイラは、そのうちの何本かは知っているが、それにしてもエリーシャが「人に教えてもかまわない」と判断したものだけで裏口以外に数本だ。
「前にも言ったでしょ、市井の生活を知るのも大切だって――ああ、その銀の髪飾りをちょうだい」
ファナが髪を結い終えたのを確認して、エリーシャは自分で仕上げに銀の髪飾りを差した。
「大丈夫? 少なくとも、みっともなくはないわよね――?」
エリーシャは、鏡の中を見て自分の身支度を確認する。それから、アイラについてくるように命じた。
薄緑色のドレスに銀のショールを羽織ったエリーシャは、皇女らしい足取りで廊下を進む。灰色の侍女のお仕着せを着たアイラも彼女にしたがった。
皇后の部屋は、皇帝宮の一画にあった。私室は一番日当たりのいい部屋を使っている。
「エリーシャ様のおつきでございます」
侍女が告げるとすぐに入室の許可が出た。エリーシャはアイラに一つ目配せして、迷うことなく足を踏み入れる。
室内は広く、豪華だった。長い年月の間、大切に使われてきたのだろう。磨き込まれたテーブルには銀のティーセットが置かれている。
干した果実を使ったケーキを切り分けながら、皇后は単刀直入に切り出した。物事を率直に口にするのは、皇帝の一族特有のものなのだろうか。
「レヴァレンド侯爵の長男と見合いをなさい」
「……おばあ様、お見合いなんて――」
「血を残すことが急務なのを忘れたの?」
エリーシャは黙り込んでしまう。皇后オクタヴィアは年を重ねた今も美しい女性だった。
顔には皺が刻み込まれているが、瞳はきらきらと輝いている。孫娘に対して厳しさと優しさを同時に感じさせる口調で話しかけるという離れ業を彼女はこなしていた。
「クリスティアンのことを忘れられないでいるのはわかります。ですが、いつまでもふらふらとしているわけにもいかないでしょう」
侍女たちには給仕をさせず、オクタヴィアは自らの手で茶器を操ってお茶をそれぞれのカップに注ぎ入れた。
「アイラと言いましたか、そなたもそこにお座りなさい」
言われるままにアイラはテーブルについた。エリーシャの宮では当たり前のことなのだが、皇后もこうやって侍女たちとテーブルを囲んだりするのだろうか。
「そなたにお願いがあります」
皇后に言われて、アイラの背が伸びた。
「この娘が夜中にふらふら出歩いているのは知っています――ほどほどのところで連れ帰ってください」
「わたしが、ですか……?」
「他に誰がいるというのです?」
皇后は涼しい顔でお茶を口に運ぶ。アイラは混乱した。いや、エリーシャを連れ帰るのはかまわないというか、時間を知らせるくらいならできるけれど――というか、皇后にまで押しつけられたのか! そう考えるとめまいを起こしそうだ。
「夜遊びはほどほどにしますわ、おばあ様」
そそくさと話を切り上げて、エリーシャは席を立とうとする。
「まだ、話は終わっていませんよ」
「だって、レヴァレンド侯爵の長男ってずいぶん年上ではありませんか」
「口答えするのではありません。明後日、午後のダーレーン公用語の学習の時間を、彼との面会の時間に振り替えましたから。いいですね?」
エリーシャは一瞬、げんなりした顔になりそれを慌ててとりつくろう。
オクタヴィアは、アイラには優しい笑顔を向けた。
「そういうわけだから、明日の午後はこの娘を逃がさないようにしてちょうだい。あなただからお願いするのですよ?」
口調は優しいが、言ってることはめちゃくちゃだ。アイラにエリーシャを止めることなどできるはずないのに。
楽しめないお茶の時間を終えて、エリーシャは皇女宮に戻る。
「あーあ、いつかは持ち出してくるんじゃないかと思ってたんだけど」
「お見合いの話ですか?」
祖母に会うためだけに身につけたドレスを脱がせながら、イリアがたずねた。
「レヴァレンド侯爵の長男、ダーシーよ」
「あらあ」
遠慮ない口調でファナが口を挟む。
「確か、もう三十ですよね。一回ご結婚なさったんだけど、奥様を亡くしたって――」
ファナは、イリアと較べると噂話が好きで、リリーアやセルヴィスのところの侍女とはともかく、皇帝宮の侍女とは比較的親しくしている。宮中の噂話はたいてい彼女が仕入れてくるのだ。
「何が悲しくて、三十過ぎのおっさんと見合いしなきゃならないんだか」
三十でおっさん呼ばわりは気の毒ではないかとアイラは思ったのだが、イリアもファナもうんうんとうなずいているので、皇女に同調しておいた。
「アイラに気の毒だから、逃げるのはやめておくわ。明日お見合いなんて、あまりにも急だもの。おばあ様も何か企んでいたりして」
「後宮は陰謀がいっぱいですね」
ファナはくすくすと笑いながら言ったのだが、エリーシャの厳しい表情は、緩むことはなかった。