やっぱり押しつけてますよね、皇帝陛下!
エリーシャが、政治学の授業に行っている間、アイラはイリアとファナと侍女たちの控え室にいた。
エリーシャは侍女たちには寛容だったから、戻ってくるまではのんびりしていてかまわない。
「ええっ! フェラン様に誘われたの? いいなぁ」
数種類のオレンジの果汁をたらした水を手に、ファナが嘆息する。
「非番の日に誘うってそれ、かなり好意があるってことよね?」
「違うと思う」
二度、誘われたのは事実だけれど。
「あの人、女なら誰でもいいってエリーシャ様が言ってたもの」
「わたし、誘われてない――誰でもいいなら誘って欲しかった!」
ファナが不満げな声を上げた。
「あなたが侍女である以前に貴族だからでしょ」
冷静にイリアが指摘する。
アイラが首を傾げると、
「下手に貴族の娘になんて手を出してごらんなさいな。結婚まで押し進められることになるでしょ――」
「……ああ、そう言えばそうね」
ファナとイリアは親戚同士で、地方から行儀見習いのために皇宮に入れられた娘たちだった。
「その点、アイラは――その、こういう言い方って申し訳ないんだけど――平民の出でしょ……」
「なるほどね」
申し訳なさそうに言うイリアの言葉で納得した。
「要は後腐れなく遊べそうだ、と。こういうことね――おまけにうるさい父親もいないしね」
裏があると言うよりお手軽に遊べると思われたというわけか! 彼の誘いにはぜったい乗らないようにしよう。
今日は、皇帝が後宮の住民一同を呼び集めての会食を行うと指示されていた。授業から戻ってきたエリーシャは、会食の場に向かうための支度を調える。
スカートを流行より細身に仕立てた青いドレスは、彼女の目の色を引き立てている。それに白いショールを合わせて、髪は高々と結い上げた。
耳と首にダイヤモンドをつけて、指に金の指輪を一つ。
それを見ながら、アイラは左手の中指にこっそり手をやる。そこにはカーラからもらった銀の指輪がはめられていた。
「さーて、出陣の時間よ、皆!」
エリーシャが宣言した。
「さっさと、おじい様の会食をすませて帰ってきたら宴会するわよ!」
「……厨房に料理は注文してあります」
すかさずイリアが言った。ファナはエリーシャに駆け寄って、彼女のショールがまがっているのを直す。
皇女宮を出ると、エリーシャはしずしずと歩き始めた。皇帝のいる宮に入ると、すれ違う侍従たちが壁際によって一列に並んだエリーシャたちが通り過ぎるのを静かに待つ。
「――アイラだったか?」
会食のために用意された広間に入り、うつむいて壁際に並んでいると男に声をかけられた。
「……アイラ・ヨ――」
名乗りながら、顔を上げたアイラは途中でとまってしまった。
「申し訳ございません!」
目の前にいたのは、皇帝ルベリウスその人だった。
今は家族だけの場だろう。アイラが日頃見かける公式の場に出るときの衣服とは違って、正装とはいえ、重々しいマントや冠までは身につけていなかった。
あれ? とアイラは首を傾げる。こんなに皇帝陛下を間近に見るのは初めてだったけれど、この雰囲気は誰かを思い出させる。それが誰なのか、思い出すことができなかった。
「エリーシャのもとに上がったと聞いている。なかなか大変だと思うが――よろしく頼むぞ」
「は、ははははい、当然でございますっ! 一生懸命見張らせて――いえ、頑張らせていただきます」
アイラの返事に皇帝は大声で笑った。それからアイラの耳に口を近づける。
「面倒だろうが、夜遊びにつき合ってやってくれ。いくら何でもあれを野放しにしておくわけにもいかんしなぁ」
それから皇帝は何もなかったかのように、食卓の方へと歩いて行く。
アイラは失礼になるのも忘れて、その後ろ姿を呆然と見送った。
今、夜遊びにつき合ってやってくれとか言われなかったか? これはあれか、エリーシャの夜遊びは皇帝公認ということか――さすがだな、皇帝!
と、ここで大変なことにも気がついた。「あれを野放しにしておくと大変なことになる」と言う台詞が出ると言うことは――皇帝にまで押しつけられたということじゃないか!
夕食の雰囲気は、前回と大差なかった。皇帝の愛人たちは互いに火花を散らしているし、エリーシャは出された食事をちまちまとつついている。
彼女が食べていないのは、誰も心配していなかった。淑女たる者、がつがつと食すべきではないのだ。どうせ、部屋に帰れば深夜まで酒盛りだ。
リリーアは時々ちらちらとエリーシャに視線を向けているし、皇后オクタヴィアは厳しい視線で夫の愛人たちを睨めつけながら、それでも食事の手を止めることはない。
こんな食事会、楽しいのだろうか? 同席しているだけでアイラの胃が痛くなってくる。
「あなた、フェラン様に取り入ってるんですって?」
セルヴィスの侍女が話しかけてくる。いつもの不細工メイクのアイラをフェランがかまうのが面白くないのだろう。アイラは、ちらりと視線を向けて平然と答えた。
「逆よ、逆。お手軽に遊べる相手だと思われているだけ。何なら変わってあげましょうか?」
平然と返しながら、アイラは密かに嘆いた。こんな空気に染まるつもりなんてなかったのに!