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一番上品にしなければならないのは

 アイラが慌てて皇女宮に戻ると、エリーシャはすでに本を床一面に広げていた。その姿が父に似て見えて、アイラは思わず目をこする。

「お茶持ってきてくれた?」

「はい、エリーシャ様――ここに置きますね」

 お茶とクッキーを山盛りにした皿をアイラはテーブルに置いて、エリーシャの側に近づいた。


「せっかく、本を借り出してきたのに目を通す時間がなかなかないんだもの」

 エリーシャはぼやいた。

「何をお探しなんです?」

「……」

 アイラの問いにはエリーシャは答えようとしなかった。髪を後頭部の高い位置でまとめたエリーシャは、うつむいたまま本のページを繰っている。


 アイラは、先ほどの団長夫妻との会話を思い出した。

「クリスティアン様とは、どういったお方なんです?」

 と、アイラがたずねると、イヴェリンが説明してくれた。クリスティアンは、かつてエリーシャの婚約者だった男だ、と。

 彼は、エリーシャの母方の従兄弟にあたる青年だった。年はエリーシャより二歳上。二年前に惨殺死体で見つかった。


 当時、エリーシャとの婚約を望む者は国内外に多数いたからその中の誰かではないかと噂されたのだが、結局犯人は見つかっていない。

 話を聞いて、当時たいそうな騒ぎになったことをアイラも思い出した。皇族の結婚問題なんて、アイラの世界から遠いところにあったからすっかり忘れ去っていたが。


「あれから何度もご婚約の話は持ち上がっているんだがな、エリーシャ様はどうしても受け入れようとはなさらない」

 イヴェリンは細い縁の眼鏡に指をやって嘆息する。

「お二人は愛し合っていらしたから――まだ忘れられないのだと思うわ」

 いそいそと新しいお茶を用意しながらゴンゾルフが返す――この言葉遣いが男女逆転した夫婦のやりとりにもだいぶ慣れてしまったのは、後宮に馴染んだということなのだろうか。


「エリーシャ様が、クリスティアン様の霊と話をしようとしているのでなければいいが――」

 イヴェリンは形のいい眉を寄せた。それは禁忌、というものだ。

「まだ、忘れられないのでしょうよ――それもしかたのないことではないかしら」

 そう言うとゴンゾルフは、エリーシャが何をしているのか確認してきて欲しいとアイラに頼んだのだった。


 今アイラがテーブルに置いたクッキーはゴンゾルフが自分で焼いたものなのだそうだ。新作なので、皇女殿下に差し上げたい――と。

 器用な男だと感心しながら、アイラはエリーシャに声をかける。

「クッキー、ゴンゾルフ団長が焼いたものだそうですよ。エリーシャ様にぜひ差し上げたいって」

 一応、魔術研究所を経由して毒が入っていないかどうかの確認はしてある。ゴンゾルフ自らそうするように薦めたから。


「あら」

 エリーシャは熱心にページを繰っていた本を置いて立ち上がった。

「ゴンゾルフはね、本当は菓子職人になりたかったらしいわよ。皇女近衛騎士団の官舎に菓子屋が使う巨大なオーブンを備え付けたんだって」

 ほどよい焼き色のついたクッキーを、エリーシャは口に放り込んだ。

「わたしもご馳走になりましたが、おいしかったです」


「ああ、ゴンゾルフに呼ばれたって? 最近何してるかって聞かれたんでしょ?」

 アイラは苦笑いした。

「まあそんな感じです。父の本を気にしていましたよ。何でしたら魔術師を入れてはどうかと――女性の魔術師に知り合いはいないそうですが、手配はできる、とのことでした」

「……別に、他の人に手伝って欲しいわけじゃ……だって、まだ証拠が見つかったわけじゃないから」

 珍しくエリーシャが口ごもって視線を落とす。


「でも、父の研究していた何かが欲しかったのでしょう、エリーシャ様? わたしをお側に置いたのも、わたしが何か知っているんじゃないかって期待したからではないですか?」

「……それは否定しないけれど。お茶、もらえる?」

 本の間に座り込んだエリーシャはアイラの手渡した紅茶のカップを手で抱え込んだ。こんな場所だから、ソーサーはテーブルの上に放置したままだ。


「うまく言えないんだけどね、アイラ」

 紅茶の香りを楽しむようにカップに鼻を寄せてエリーシャは言った。

「近頃、国内貴族の一派に怪しい動きがあるのよ――どう怪しいのかってあなたに説明するのは難しいけど」

「エリーシャ様を廃そうとしてるとか、セルヴィス様を暗殺しようとしているとか、そんな感じですか?」

 ははっとエリーシャは笑う。


「わたしたちが廃されたり、暗殺されたりするくらいですむならいいんだけどね――それでも皇位を得るのは難しいわよ。継承権を持っている人間はたくさんいるし――例えば、ライナスとフェランもそうね」

「そうなんですか?」

「うん、でもまあ、彼らが皇位を得ようと思ったら、その前に控えている百人くらいをどうにかしないといけないけどね」

 それはともかく、とエリーシャは話を戻した。


「怪しい動きをしている貴族たちが妙な宗教に関わっているらしいってことが最近わかったの。死者の声を聞くっていうから――ああ、そう言えばジェンセンもそんなことに入れ込んでたなって――彼が宮廷にいた頃、そういう話を聞いたことがあったから」

「……そんな情報どこで仕入れたんですか、エリーシャ様」

 知っていれば、ゴンゾルフたちはそのことをアイラに告げたはずだ。クリスティアンという死んだエリーシャの婚約者の名前を出したりせず。


「やあねぇ」

 エリーシャはけたけたと笑った。

「世の中、噂話が集まるのは酒場って決まっているのよ!」

 高々と指を上げて宣言する。

「近衛騎士団連中はお上品すぎてそんなところに行ったりしないでしょうけどね!」

 多分、一番上品にしなければならないのはあなただと思います――アイラの心のつぶやきがエリーシャに届くはずもなく、彼女は意気揚々と今夜も酒場に繰り出すと宣言したのだった。

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