好きになったひとは85歳年上の異種族でした
リリアナは挫いた足をさすり、その場に座り込んで途方に暮れていた。
ここ──ベル山脈に連なる山は多くが活火山であり、かつての火山活動の名残で大小さまざまな岩石がそこかしこに散らばっているし、隆起した地面のせいでその山道は険しい。そのため、遭難者が多く、山道の入り口にはたくさんの注意書きが貼られているほどだ。
いつもなら、ここまで深入りすることはなかった。
けれど、大切な家畜のヤギがベル山脈に逃げてしまったので、リリアナはつい必死でヤギを追い、足元がおろそかになり──足を捻挫して、動けなくなってしまったのだ。
「どうしよう……もうすぐ日が暮れちゃう」
リリアナは空を見上げて呟いた。
このベル山脈は、魔物の目撃例は少ない。しかし、ゼロでもない。
火山帯であるがゆえに樹木は少ないため、月の光のおかげで視界が真っ暗になることはないはずではあるが、それでもランタンを持って来なかったリリアナにとって、迫りくる夜の闇は不安そのものであった。
「さむい……」
なにより、夜は冷える。すでに気温はぐんぐん下がり始めていた。
リリアナは薄着の両腕をあたためるようにこすりながらも、あたりを見回す。
せめて、風をしのげる場所でもあれば、と思うのだが、残念ながらそんなに都合のいい場所はなさそうだ。
リリアナはベル山脈のふもとにある村──テンダールの外れに両親と祖母と、少しばかりの家畜たちと住んでいる、何の変哲もない18歳の娘だ。よく家の手伝いをし、誰にだって親切なので、付近の村の人々にも可愛がられていた。うちの息子の嫁においでよ、なんてよく言われていたけれど、リリアナは「まだ、家族が心配だから」と照れくさそうに断っていたものだ。
この国において、家畜は財産だ。
乳を搾ったり、産んだ卵を料理に使ったりと食事を助けてくれるし、税として家畜を納めたりもする。もちろん、家畜そのものを売ったっていい。また、いざというときは潰して食料にすることだってある。
ヤギは乳を搾れるし、毛皮だって取れる。毛皮は寒さの厳しいベル山脈のふもとに住む人々には必需品なので、価値は高いのだ。
それに、ヤギは雑草や潅木を取り除いてもくれるし、荷物を牽引してくれたりもする。排泄物は堆肥にだってなるし、なにより性成熟が早いので繁殖ができるようになるまでそんなに時間もかからない。
本当に優秀な家畜なのだ。
そんなヤギが逃げてしまったものだから、つい夢中になって追いかけてしまったのである。今更悔やんでも仕方のないことであるが、ちゃんと捜索するための準備をしてから山に入るんだった、とリリアナは歯噛みした。
寒さから身を守るように膝を抱えて小さくなったリリアナはしばらくの間そうしていたが、ふと、遠くから物音が聞こえた気がして顔を上げる。一瞬、ベル山脈に生きる動物か──飢えた魔物かとも思ったが、目を凝らすと遠くにほのかな灯りが動いているのが見えた。
──人だ。
リリアナは慌てて捻挫した足を庇いながら、近くの巨石に縋りつつも立ち上がって身を乗り出す。
目を凝らしてその人をよく見ると、かなり大柄なことが分かった。頭には角のようなシルエットがあるようにも見える。もしかしたら、ベル山脈に多く住むマディーニの一人かもしれない。
マディーニは力が強く、大柄な種族であり、身体の一部が岩石のように硬質化しているのが特徴だ。だが、殆どが寡黙かつ温厚で、他の種族との争いは好まない。ベル山脈のそこかしこにある温泉地の帰りに山道で迷った者を助けることを生業としたマディーニも多いと聞く。
そうこうしているうちに、人影はかなり近くまでやってきていた。月光のような淡い光を放つ石──ルミエリスを使ったランタンの灯りが、歩くスピードに合わせてゆっくり揺れている。ルミエリスのランタンを持つのは大方がマディーニかドワーフだ。背の高さからして、あの人影はマディーニで間違いないだろう。
リリアナは意を決し、大きな声で叫んだ。
「助けてください!人間です、遭難してしまったんです!」
リリアナの声を聞いたマディーニの足取りが早くなった。
巨石に寄りかかりながら、リリアナは必死で腕を振って自分の居場所をアピールする。
マディーニの目は、月明かりとルミエリスのランタンの光で充分リリアナの位置を捉えることが出来たらしく、迷うことなく真っすぐリリアナの元へやってきてくれた。
見上げるほどに大きなマディーニだ。
リリアナは女性の中でも小柄な方だが、この暗がりではリリアナの二倍ほども背丈があるのかと錯覚するほどだ。やはり、顔の一部が硬質化しており、立派な角も二対生えている。
しかし、その瞳は優しくリリアナを見つめていた。
「すみません……道に迷ったうえに、足をくじいてしまって、難儀していたんです。来てくださってありがとうございます」
「こんなに薄着で、冷えるだろう。安心しなさい、麓まで送っていこう」
そのマディーニは、自らが羽織っていたマントをリリアナの肩にかけてくれた。薄い生地なのに、驚くほどにあたたかくてリリアナはしっかりと自分の身体にマントを巻き付けた。マディーニはリリアナの前にかがみ込むと、背中におぶさるように無言で促す。リリアナはその大きな背中に身を預けようとするものの、あまりにも体格の差がありすぎてうまく背中に掴まることが出来なかった。マディーニは少し思案しつつも、「差し支えなければ、前に抱いてもいいだろうか」と問うた。
一瞬だけ、リリアナは戸惑う。
いくら救助隊で、異種族とはいえ──異性だ。
だが、こんな状況でそうも言っていられまい。
「……はい、もちろんです。助けていただけるだけで、本当にありがたくて」
「では、ランタンを持っておいてくれるかな」
マディーニはランタンをリリアナに渡す。リリアナがそれをしっかり胸に抱いたのを確認してから、そっとリリアナを横抱きにした。いわゆる“お姫様抱っこ”をされたリリアナは──救助のために仕方ないこととはいえ──異性にそんな風に抱かれたのは初めてだったのでなんだか気恥ずかしい思いでいっぱいだった。
「あ、あの。私はテンダールに住む、リリアナです。助けてくださって、ありがとうございます。あなたのお名前は……」
緊張で声が細くなる。
「俺はオンゲル。山岳警備員をしている」
オンゲルさん、と小さくリリアナは復唱した。
オンゲルは小さく頷くと、リリアナの傷に響かないようゆっくりと歩き出した。
最初こそ、リリアナは遠慮して何も話せなかったのだが、沈黙が気まずくてぽつりぽつりと自分のことを話し始める。
ふだん、ヤギの世話はリリアナの仕事だということ。
それなのに、去年生まれたばかりのヤギが逃げてしまったこと。
そのヤギを追いかけて山に入り、足をくじいて難儀していたこと。
そこで、オンゲルさんが助けてくれて本当に嬉しかったこと。
オンゲルは黙って聞いていた。
相槌は少ないが、無視されている感じはしない。
オンゲルのさりげない優しさを感じ、リリアナは嬉しくなって気付けば色んなことを話していた。
前に、初めてエルフと話したこと。
マディーニとお話したことはなく、話したのはオンゲルさんが初めてだということ。
オンゲルさんがとても優しくて安心したということ。
オンゲルは「それはよかった」と言いながら、口元をやや綻ばせていた。リリアナはそんなオンゲルの表情を見ると、心があたたかくなるような気持ちになっていたのであった。
──やがて、テンダールの街の灯りが近付いてきた。
リリアナは見慣れた景色に酷く安心して、じわりと涙で視界がにじむ。街の入り口まででいいと言ったのに、オンゲルは家まで送ってくれると言って引き続きリリアナを抱いたまま、歩みを止めなかった。
家の近くまで来たとき、両親と祖母が家の前であたりをきょろきょろとうかがっている様子が見えた。おそらく、いつまで経っても帰ってこないリリアナを心配して、家の前で帰りを待っていたのだろう。
「お父さん!お母さん!おばあちゃん!」
リリアナが声を上げると、こちらに気付いた両親が駆け寄ってきた。遅れて、祖母も杖をつきながらこちらに向かってくる。
「リリアナ!おまえ、一体どうしてこんな……」
「ああ、リリアナ!とても心配したのよ!ヤギはひとりで帰ってきたのに、あなたは帰ってこないし!よかった、無事で帰ってきてくれて」
オンゲルに抱かれたままのリリアナに、両親は涙を流して再会を喜ぶ。遅れてこちらに来た祖母は、オンゲルをじっと見つめて、「マディーニのお方かな。あなたが孫娘を助けてくださったのでしょうか」と問うた。
「おばあちゃん、そうなの。こちらはマディーニのオンゲルさん。ヤギを追って山に入ったときに、足を怪我してしまって困っていたところを助けてくださったの。それにしてもあの子、ひとりで帰ってたのね。よかった」
「ああ、オンゲルさん。娘を助けてくださりありがとうございます。お礼をしたいので、どうか家にあがっていただけませんか」
「いや、別に大したことではないし、お嬢さんは怪我をしているので、それよりも先に手当を」
オンゲルはそう言って、父親にリリアナを渡してから小さく会釈した。そして、リリアナからルミエリスのランタンを受け取ると、すぐに踵を返して歩き出してしまった。
両親と祖母が何度も頭を下げながらお礼を言っている傍ら、リリアナはずっとその後ろ姿を見つめていた。
「あ、マント……」
その後ろ姿が見えなくなるまでずっと見送っていた四人だったが、ふとリリアナは呟く。彼が見えなくなってしまってからようやく返し忘れてしまったマントの存在に気付いたのだ。
「……あったかい」
そう小さく呟いたリリアナは父の腕の中で、オンゲルのマントに小さく頬ずりした。
***
二週間後、ようやく足の怪我が治ったリリアナはベル山脈の山岳警備員たちの駐屯地に訪れていた。のりをつけて洗濯したあと、きれいに畳んだオンゲルのマントと、お礼のために焼いたハニーナッツのパンケーキを籠に入れたまま、リリアナはおそるおそる待機所を覗く。数名のマディーニが思い思いに過ごしていたが、リリアナはその中ですぐにオンゲルを見つけた。胸がどきりとして、しばらくその場で逡巡したものの、リリアナは深呼吸してから勇気を出して足を踏み出した。
「あの……」
オンゲルのすぐそばに来て、リリアナはもじもじしながら声をかける。
オンゲルはランタンの手入れをしていたようだが、リリアナの声にすぐ顔を上げた。
「ああ、以前の」
「リリアナです。以前は助けてくださり本当にありがとうございました。お礼が遅くなってごめんなさい。ようやく足が治ったので、マントをお返しにきました」
リリアナは籠からマントを取り出して、オンゲルに差し出す。
そして、「これも、お口に合えばいいのですが」とハニーナッツのパンケーキを包んだ布巾を差し出す。あたりにふんわりと甘いにおいが漂って、他のマディーニたちも、おや、という顔をしていた。
オンゲルも顔を綻ばせながら、「開けても?」と問うたので、リリアナはこくりと頷く。
「ああ、パンケーキかな。ありがとう、好物だよ」
その言葉を聞いて、リリアナは飛び跳ねたいくらい嬉しい気持ちになった。よかった、嫌いなものじゃなくって、よかった!リリアナはにっこりと笑って、「得意料理なんです。ハニーナッツのパンケーキ」と言う。
「ハニーナッツのパンケーキか。ハニーナッツが大好きなんだ。早速いただいていいかな」
「ええ、ぜひ!」
オンゲルはリリアナを隣に座るように促してから、ふわふわのパンケーキを一切れ手に取り、大きな口で頬張った。オンゲルは少し目を見開いてから、幸せそうに眼を細める。パンケーキを飲み込んでから、オンゲルはにっこりと笑った。
「すごくおいしい。パンケーキ自体の甘さは控えめだけど、ハニーナッツがとびきり甘いのがいいね。香ばしく煎ってあるから、香りもいい。リリアナは料理が上手だね、ありがとう。残りもおいしくいただくよ」
「よかったです、オンゲルさんのお口に合って」
それからしばらく、リリアナは以前と同じようにたくさんのことをオンゲルに話した。
その中で、オンゲルは103歳で働き盛りだと言うことを聞いて、その長命さに感心する。
「私のおばあちゃんは、つい最近60歳になりました。オンゲルさんはおばあちゃんより年上なんだあ」
自分は18歳になったばかりだということを話しながらも、リリアナは人間とマディーニの寿命差に驚く。
「18歳だなんて、つい最近生まれたばかりだな」
オンゲルと、そして周りのマディーニもつられて笑っていたので、リリアナはえへへと照れ笑いをした。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、リリアナはもっとオンゲルと話したい気持ちでいっぱいだったが、今更ながらも待機所には他のマディーニたちもいるし、あまりやかましくしてもいけないな、と思って、名残惜しいが帰ることにした。
だが、マントを返してしまった今、オンゲルと会う口実はもうなくなってしまう。
オンゲルは山岳警備員の職務を全うして自分を助けてくれただけなのだから、それ以外の理由もないのに訪ねるのは迷惑だろう、とリリアナは思った。
「あの……あの、私、そろそろお暇します」
だが、いつまでもこの場にいることも出来まい。
リリアナは観念して、椅子から立ち上がる。名残惜しそうな視線をオンゲルに送ったところ、オンゲルは何かを察したようで、「そこまで送ろう」と立ち上がった。
リリアナはぱあっと顔を綻ばせて、「はい!」と応えたので、オンゲルはふふ、と笑った。
「あの、私、二週間ずっと、オンゲルさんのこと考えてました。お礼は何がいいかな、とか、何を話そうかな、とか」
「そうか。光栄だ」
頬を上気させながら、リリアナは隣を歩くオンゲルの顔を見上げて興奮したようにやや早口で言った。そんなリリアナの言葉を、うんうん、と聞きながら、オンゲルは優しく微笑む。
マディーニは長命種なので、そんなオンゲルからしたら生まれてたった18年しか経っていない人間であるリリアナは、ほんの子どもに見えるのだろう。
「でも……でも、もうお礼をしちゃったから……」
はた、とリリアナは足を止める。
オンゲルもリリアナの少し先で足を止めて、俯くリリアナを見た。
「もう、会いに来ちゃだめですか……?理由もないのに会いに来ちゃ、邪魔?」
リリアナはそう言って顔を上げ、縋るような視線をオンゲルに送る。
オンゲルは不思議そうな顔をしながらも、リリアナの真意を丁寧に探った。
リリアナはオンゲルの言葉を待ったが、オンゲルは何も言わない。リリアナは泣きそうな気持になりながらも、震える声で続ける。
「ごめんなさい……困らせちゃって。突然こんなこと言われたら、困りますよね……」
リリアナはオンゲルの顔を見るのもいたたまれなくなって、俯いて自分の足元を見た。
オンゲルはしばらく何も言わなかったが、ややあって、静かにリリアナに近付いた。
「すまない、こんなことを言われたのは初めてだったので、何と言っていいのかわからなくて黙ってしまった。でも、邪魔ではないよ。会いに来てくれるのは嬉しいけれど、テンダールからここに来るのは大変だろう。手紙をくれたら、俺の方から会いに行こう」
そう言って、オンゲルはリリアナの頭を優しく撫でた。
リリアナは、ぱっと顔を上げて目をまん丸にしてオンゲルを見上げる。
「いいの?本当に?」
「ああ。だから、あまり無茶をしてはいけないよ。せっかく足が治ったんだから」
ああ、そうだ、とオンゲルは言葉を続ける。
「どうせなら、次もハニーナッツのパンケーキを焼いて出迎えてもらおうかな」
少しいたずらっぽい言葉であったが、リリアナの胸は痛いほどときめいて、何度も何度も頷いた。
もうすぐ仕事の時間だから送れないけれど、と言うオンゲルとは駐屯地の入り口で別れたが、リリアナはオンゲルと別れてからもずっと心臓が早鐘を打っていた。
オンゲルからすると、小さな子どもに懐かれたくらいの些細なことであろうが、リリアナにとっては違った。
目の前の景色がきらきら輝いて、何度も何度も心の中でオンゲルの声や、体温を反芻させるのであった。
家に着いたリリアナは、早速机に向かってレターセットを取り出した。
まだ胸をどきどきさせながら、最初の一文字を書き出す。
──オンゲルさんへ。
マントの温もりは、もう手元にはないけれど、確かに心には残っていた。
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