『理想』の記憶
修正: 第16話のタイトルを「背徳感のアソビ」から「火遊び」に変更しました。
──午前11時10分・グラウンド──
『勝者・星崎ミサキ!』
3回戦目までのような熱狂と大きな声の白熱が起きることはなかった。ざわざわと小さなざわめきだけが私を讃えた。
チハヤは私の前で倒れている。もう力が入らないのだろう。意識は残っているはずなのに倒した時から少しも動いていない。それでも彼女は微笑を途切れさせない。私とは大違いだな。
「いやぁ、負けちゃった。やっぱミサキはすごいね。手も足も出なかった」
咄嗟に出てきそうになった謝罪の言葉を寸前で飲み込み、尚私の顔は浮かないままだった。
「あはは……全力で叩きのめしてくれてありがとう。次の目標ができちゃったよ」
……やめてよ。そんなこと言わないで。
「私がこうなっちゃったことには責任を感じなくて良いんだよ。むしろ感じないで」
やめて。お願いだから。
「それよりも、私たち、これからも親友でいよう?」
あなたは……どれだけ私の理想を超えれば気が済むの?
─────
「すごいわ!また100点!」
小学一年生の頃、食卓に並べられたテストの数々を見て、母は何よりも喜んだ。
天才。神童。優秀……そんな言葉を素直に受け取ることができた私は、幸せそのものだった。私は天才で、選ばれた者で、みんなから喜ばれる人の中心にいるような人であると、その頃にはもうそう思っていた。
今もそう思えていたらどんなに良かっただろうか。現実という闇を知ることなく生き続けて、無知のままで死ねたら涙を無駄に消費しなかったはずなのに。
「100点、流石だわ!今日はハンバーグにしましょ」
「100点、流石ね!この調子で次も頑張るのよ」
「100点、おめでとう」
「100点、いつも通りね」
どんなに優れていることでも、それが続いて普通になったら当たり前になってしまう。いつしか誰も私を褒めなくなった。それができるのが当たり前だから。そういう「天才」が星崎ミサキという人間であると判断されるようになったから。完璧であるのが普通にしてしまったことが、大きな失敗だった。
小学校のテストは普通、平均点が9割くらいになるように作られている。だというのに、中学校からのテストの平均点はというと、ほんの6割だ。つまりは何が言いたいかというと、私が完璧ではいられなくなったということだ。
中学二年生の頃。ちょうど男子が厨二病に目覚める頃だ。私は現実に打ちのめされるばかりになっていた。
81点、75点、69点……そしてついには60点。私は凡夫に成り果てた。小学生の頃、2点の失点で涙を流し、その一問だけを狂ったように解き直し、怒りのあまりにボールペンをへし折っていた私が感じた失望と無力感はやはりその時も健在で、そんな点数を見てただ何か他に形容し難い悔しさばかり感じていた。
「60点?そう。もういいよ。あなたにはもう期待してないから」
悔しさでいっぱいだった私の心を深々と突き刺して、確実な致命傷を与えたのは母からの発言、いわば一種の死刑宣告だった。もう私には期待していない。私は母の期待に、理想になることはなかった。
母の血を継いでいる私もまた、理想が好きだった。だからこそ、そんな理想を打ち砕かれた母の気持ちはよくわかったし、それに言い返すことができなかった。
落ちていく中で、ふとした時に見つけたアニメをきっかけに二次元、ひいては妄想の中に引き篭もるようになっていった。腐女子……とまではいかないが、少なくともそんな私の世界の中でなら、私は私の理想でいれた。現実世界じゃなくてもいい。どこかで私が理想でいなきゃ壊れてしまうから。
それでも、妄想は現実が暗くなればなるほど明るくなっていくもの、それは逆も然りだった。
落下は終わりが見えず、私はどこにも手をかけることができずに落ち続けた。それが嫌で嫌でしょうがなかった。それだけで私は頑張ろうと思えた。中2の冬だ。
この頃の私はただ勉強を、かつて母が褒めてくれた勉強だけを続けた。凡人で、理想をただ夢見るだけの人間なりに私は努力していた。
必死に頑張って、頑張り続けて、ようやくこの高校まで上がって来れた。それがわかった時、そのことを母に伝えた時に久々に見せてくれた表情は、一度きりの特別なものになってしまった。ここでなら、私は理想になれると信じていたのに、現実はそんな私の前を行く人たちにただ導かれるのみだった。私はやっぱり凡夫のまま。
七転び八起き。そんな言葉が生まれたのもきっと、昔の人が叶えたかった理想なんだろう。私は二度目でもう諦めてしまった。苦しみから立ち上がり、尚必死で努力し続けて、もう一度転ぶ。私の血と汗と涙と悲しみが全てが全て転ぶためにあるんだったらそんなことは無意味だと言ってしまっていいでしょ?
沈んでもいいかと思った時に出会ったのが、ミズキ先生だった。
『私が、君を理想の姿に育ててあげるよ』
そんな言葉が何よりも嬉しかった。母のようには見捨てはしないと、そう信じて──そう信じたいから──。
新しい技術を身につけたり、強くなれることはまさしく私の理想に近づく行為で、モチベと実感で毎日が楽しくなっていったりもした。
それが実を結んで、能力祭に出場することになった時にも、母は喜んだ。「流石ミサキ!」と言っていたことを覚えているのは単に最近の話だからではないはずだ。
私は幸せだったと思う。それでも今こんなにも辛いのはきっと、いや、そんなことを言ってはいけないことはわかっているんだけれど………チハヤがいるからなんだろう。
友達といるのは悪いことじゃない。実際チハヤと一緒にいると楽しいし、遊びに行っている時は何もかもを忘れて笑える。
いつしか私がなりたくなっていた「理想の親友」はチハヤであり、決して私ではなかった。勝手に親友としてベストになったつもりになって、勝手に自他共に絶望していく。こんな皮肉他にはないだろうな。私にはやっぱり、華々しい祝福も、輝かしい栄光もなかったんだ。
どうして?どうやって?疑問だらけで頭が痛い。私は理想になりたかった。理想になれないことを忌み嫌った。だから現実を知った時、物事には限界があることを知った時、私はすごく努力したんだよ?限界なんてクソだって自分に言い聞かして、無意味な足掻きを繰り返してきた。それなのに理想になったのは常に私以外の誰かだ。
ねえミズキ先生、私はあなたの言う通りにしているのにどうして未だゴールに辿り着けないの?
ねえマオ、出会った当初は私の方が上だったのに、どうして私はここまで落ちぶれたの?
ねえチハヤ……どうして私はあなたを傷つけることしかできないの?
どうして……私は思い通りになれないの?
私は、一体どうすればよかったの?
ねえ、誰か教えてよ。




