悪魔の勧誘、又の名を脅迫
セルフレーティングを設定しました。理由はこの話にあります。
──7月28日午後5時15分・区の外の何処か──
深い眠りではない。けれども意識があるわけでもない。夢遊病のような状態で歩く人影と、その前を行くローブに身を隠した人影。周りはただ荒廃しきったかつて街になるはずだったものであり、それは人類の管轄下とはお世辞にも言えない。何度か特別区を拡張する大規模なプロジェクトがあったらしいが、結果といえば、この有様だ。領地を広げようとすれば、その加護からは遠ざかるわけであり、その結果暴走族だの放浪者だのという異邦人たちが建物を壊すわ、資材運搬用のトラックを横領するわで、どの計画も大失敗に終わっている。だからこそ、この区の外に行く人なんて、それこそ大体が自殺志願者か彼らと同じ血の気の多い人種かのどちらかである。
そんな遠くから見たら自殺志願、近くで見たら誘拐と判断できるこの状況を見つめる視線が一つ。双眼鏡でふらふらと歩く人影を見つめて──身を隠した。
例の性格がよく変わるアウトローな女性が双眼鏡から視線を外す。もう一度借りた獲物を見て、しっかりとそれを両手で握りしめる。──戦闘開始まであと1時間。
この世界で一般人が安全に過ごせる地域というのは、思っているよりもずっと少ない。なぜか。先ほども話したが、この区を出れば、野蛮人たちが跋扈しており、下手するとすぐに狩られるからだ。俺たちが普段住んでいるのは「日本特別区」であり、この中では殺傷は起きない。なぜなら、そうだと区が判断した時点で制裁が起きる……らしいからだ。見た事は無いし、理屈もわからないからなんともいえないが、世界に重力があるという事が常識であるように、これもまた常識であった。
だからこそ血の気が多い輩達も区の中では大人しくする。というか逆に区の外で暴れ回る。いつの間にか、「区では人に害を与えてはいけない」「区の外には行ってはいけない」などという一種の都市伝説のようになってしまったのだ。
──午後5時45分・???──
「───────。──。」
「────。────────。」
「──。」
パチン。という指の音が視界を、いや、五感をクリアにする。いや、戻していく。同時に、自分の置かれている状況を理解する。
硬い感触──椅子に座っているな。暗い──窓がない──多分地下室かな。目の前にいるのは──二人。見覚えのあるローブの人と、スーツ姿の高身長、痩せ型の男性。
「こんばんは。私はあなたを救う者です。」
「……」
救う?男は丁寧で穏やかな口調だが、内容は決して穏やかではない。当たり前だろう?俺の視点から見るとこれまでに起きたことといえば、家のドアを開けた瞬間に誘拐されて、どこかわからない場所で目覚めた状態なんだぞ?
「正確にはですね、あなたをスカウトしたいと思っているのですよ。」
「……はい?」
「申し遅れました。私の名前はフォボス。この組織のリーダーをしている者です。」
「……」
「私の目的はあなたを私の組織の一員に引き入れる事です。あ、どうぞ自由にリラックスしてください。今のところは害を加えるつもりはありませんので……」
閉口。沈黙が続く。男──フォボスが貼り付けた笑みは決して動かず、ただ俺の次の返答を待っている。
一目でわかる。強い。これまであった中で……いや、ミズキ先生と同様か──考えたくないけれどそれ以上か。単に俺を完全に洗脳(?)してここまで拉致してきたローブの人を連れ従えているから。というのもあるが、多分これ、先生と同じで気配をコントロールしている。
「……承諾はしませんが……何をして欲しい……のですか?」
「……いいですね。嫌いじゃありません。ので、私から説明しましょう。──簡単にいえば、あなたには私たちの組織──【奈落】の『スパイ』になって欲しいのですよ。」
「スパイ……?」
「ええ。私達に情報を提供するための潜入員として働いて欲しいのです。もちろん対価は用意していますよ。」
「……一体何のために……?」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、フォボスの口角が少しだけ上がる。そして放たれる次の一言。
「私の──いや、私達の目的はただ一つ。『天城ミズキの討伐』です。」
狂気の片鱗を垣間見た。今の発言は要するに「先生殺したいから手伝って。お礼はするよ。」ということである。
「協力……できるわけないじゃないですか。ミズキ……先生は俺の恩師です。それに人を殺すということ自体できません。」
「ふっ。正義感の強いあなたならそう言うと思いましたよ。でもだからこそ、あなたは断れない。」
「どういう──」
「お察しの通り、私は少なくともあなたよりかは強いです。」
「……武力で解決をするんですか?」
「いいえ?それだと意味がないですからね。そうですねえ……誰でもいいですが適当な生徒一人でも見せしめにすれば良いんですよ。」
「……まさか」
見せしめ。つまりは生徒の一人を傷つけるか殺すか。先生を殺そうとしているんだ。このくらいはしてもおかしくない。
「わかってくれたようですね。これはもうすでに脅迫になっているのですよ。」
悪趣味だ。あえて俺の口から肯定の言葉を出させるつもりだ。そこにあるのは純粋で深く、どす黒い悪意であった。
「さあ。選択は早い方が良いですよ。夜吹ショウさん?」
────沈黙の中、時計の針は鉛直に直線を作った。
部屋いっぱいの衝撃が轟いた。
「自殺」とか「殺す」とか、物騒だからですね!




