エス・エヌ・エス
「こんにちは。僕の名前は亀戸仁と言います。ここに座ってもいいですか。」
「はい。あの…。亀戸って俳優の?」
「ああ、よく言われるな。あはは。」
そう。僕は亀戸仁。俳優だった。今は心理カウンセラーをしている。昔の、あの思い出、あの出来事を二度と繰り返さないために、僕は心理カウンセラーになった。
ジリリリリ オハヨウ アサダ オキロ
「うるさいな。今起きるところ。」
(相変わらずこの目覚まし時計はなんだかんだ口悪いよな。紗和から貰ったものだから、一応使っているけど。)
今日の朝飯は久しぶりに時間があったからトーストとベーコンエッグを作った。いつもはコンビニで買って電車や楽屋で食べてるんだけどな。
「んん〜と、エゴサしよ!」
へぇ〜、こんなこと言うんだ。面倒くさいから関わらないようにしよう。ネットって恐ろしいよな。何気ない言葉でも相手を傷つけることになる。あ、ん?何これ。
《亀戸仁って、彼女を殺したらしいよ。》
は?何、この意味不明な投稿。意味不明で、もの凄く芸能活動に支障の出る投稿だ。
ドンドンドンッ
「あの、亀戸さん。いますか?」
ドアを叩く音が家中に響いた。ああ、これだよ。マスコミってマジでムカつく。なんで、こんなにすぐに情報を見つけてこれるのかな。僕でも今知ったところなんだけど。でも、出ないと余計に大きくなる気がする。
「はい。なんですか。とても騒がしいんですけど。」
「あなたの彼女が殺害されたとネットで拡散されているのですが、それは本当のことなのでしょうか。」
「知らないです。僕にも身に覚えがないので。失礼します。」
平常心でいられなくて、すぐに扉を閉めてしまった。
「仁くん。今日は仕事に来ない方がいいね。外にはしばらく出ないでおこうか。」
「はい。分かりました。迷惑かけて、すみませんでした。」
プロデューサーからの連絡はなんだか苦しかった。
「もしもし。仁くん?大丈夫?私…殺されたことになってるの?なんか死人扱いされて、悲しいんだけどー!」
「全然悲しそうな感じ出てないぞ。ところで紗和。何の用なんだ?」
「何の用だって、そりゃ電話するでしょ!まあ、とにかく、危ないから外に出るときは用心してね。外出しない方がもっといいけど。じゃあね。」
紗和は相変わらずだ。彼女は僕の俳優業に惚れたらしく、事あるごとについてくる妹のようだった。明るい性格の彼女は、僕の支えになっていた。
「やることなくなっちまったな。そうだ!暇なときこそ、この投稿の出どころを調べるべきだな!」
ネットを開くと、僕を叩く投稿ばかりで埋め尽くされていた。サラサラと流し読みしていると、ある投稿に目が行った。どこかで見たような感じがした。
《今日は晴だから散歩に行ってきた。途中で見つけた捨てられたネコちゃんを保護した。(8月2日投稿)》
《へぇ~、ネコを保護とは、なんとご立派で!偽善者気取りだな。(8月3日投稿)》
僕はこの二つの投稿を見て、少しゾワッとした。どこの誰かは分からないが、これがエスカレートすればもっと大変なことになりそうだ。
亀戸仁の意味不明投稿事件について事件発生後の翌日から調べ始めた。って、刑事っぽく言ってみたが、なかなか映えないネーミングな気がする。
「ああ、おはよう。大変だったね、仁くん。なるべく仕事に支障の出ないようにしてくれよ。」
彼の名前は北見宗司、僕と同じ役者だ。僕よりもずっと前から役者をやっているベテランだ。憧れなんだよな〜、この人と共演するの。しかし、今日から彼と共演するドラマの打ち合わせをするというのに、例の事件があってはこの後の演技が本調子で演技ができない…。悔しいな…。
「では、リハ行きます!」
顔合わせと本読みを終え、早速リハーサルに取りかかった。
このドラマは完全オリジナル。江戸時代に現代のスマホがタイムスリップしたら、というのが主なテーマになる。聞いただけでも面白そうなワクワクするドラマだと思う。しかし、なぜかこの台本はとても近しい感じがして仕方がなかった。
「帰りがずいぶん遅くなってしまったな。コンビニでなんか買っていくか。」
亀戸仁の意味不明投稿事件はほぼほぼ収束を迎えていた。彼女の紗和が生きていると世間に広まったからだろう。
「あ、おかえり!仁くん、今日は帰り遅かったね。心配したよ〜!」
「ごめん。撮影が長引いちゃって。でも僕の家に来るのって珍しいな。何か仕事でこっちまで来たのか?」
「うん。用事ができてね。仁くんの家の近くまで来たから掃除しておいてあげたの。まだ仕事が残ってるから帰るね。ああ、あとマスコミいなくなって良かったね。それと、カップ麺も程々にすること!栄養失調で倒れることがあるから!分かった?」
紗和がいつも通りで良かった。彼女が帰ったあとはとても静かになる。明るくて太陽のような彼女は周りにいる人を巻き込んで一瞬のうちに笑顔にしてしまう。僕にはそんなカリスマ性はない。だから、とても羨ましい。
カップ麺のフタを開け、アツアツの湯を注いだ。この待ち時間が一番楽しいんだよな。フタの隙間から出てくる湯気を眺めて。
「お、3分経ったぞ!よし、食べるとしますか。」
「亀戸仁に生きる意味はない。明日絶対、トドメを刺してやる。」
ジリリリリ オハヨウ アサダ オキロ
「ん〜、もうちょっとだけ。」
ジリリリリ オキロ コノヤロー
「コノヤローとは何だ!目覚まし時計め!」
あ、つい寝ぼけて目覚まし時計に怒鳴ってしまった。今日は憧れの北見さんとの共演シーンだというのに、遅刻しては悪い印象を与えかねない。朝飯を流し込んで、家を飛び出して撮影現場に直行した。
「本番行きます!」
いよいよだ。亀戸仁の役は、てらみという百姓だ。台本を読んだ感じでは、奥さん思いでとても優しい旦那さん。そんなふうに思った。僕も紗和を守り切るほどの力をつけたい。そのような思いで撮影に挑んだ。
この江戸時代に、スマホがタイムスリップをした。
「なんだ、この黒い物体は?てらみ、分かるか?」
「十三郎さんでも分からないなら、そりゃ俺も分からないですよ。とにかく、この黒い物体を研究しないとですよね。これは何なのかということくらい知っておかないと、危ないですから。」
商人の十三郎は自分の情報網を使ってスマホについて調べ始めた。しかし、いくら探しても手がかりは得られなかった。
その頃、てらみの妻、ちえは出産をした。子供ができたため、しばらく十三郎との研究はできなくなってしまった。
「てらみのやつ、子供ができたのか。んじゃまあ、ヤツの子供が大きくなるまで、こっちで研究を進めとくか。」
その3ヶ月後、てらみが十三郎のもとに戻って来た。
「久しぶりですね、十三郎さん!研究は進みましたか?」
「いゃあ、それがどこを探してもこの物体と同じものがなくてな。時々、触るとピカッって光ったり、音が鳴ったり、もうわけが分からんよ。」
「行き詰まっているんですか…。俺は桑とか壊れた時に直すのが得意だから、この物体の構造も分かるかもしれないですよ。いったん預かって、調べましょうか?」
「ああ、頼む。」
その後、てらみは姿を突如として消した。てらみは未来人のようだった。何が目的なのかは分からないが、彼の妻、ちえとその子供も殺害されていた。
「亀戸さん!大丈夫ですか?」
「んへ?」
「うなされてましたよ。」
「いゃ、なんか嫌な予感がしてな。あはは…。」
楽屋で仮眠をとっていただけなのに、なんか寒気がする。
「もう帰るのか?」
「はい。なんか寒気がして。」
「風邪でもひいてるのか?ゆっくり休めよ。」
やっぱり、北見さんは器が違うな。こんな演技の下手な僕を優しくしてくれて。どうしても笑顔が止められなかった。
しかし、思ったよりも演技は下手ではなかった気がする。さっきは下手とか言ったが、やはり自分の演技くらいは自信を持ちたい。
家に帰るとあの時の寒気はなくなっていた。いつものようにカップ麺に湯を注いで、3分待った。その間、僕はスマホを眺めた。すると、また、意味不明な投稿があった。
《亀戸仁の彼女が疾走したぞ!》
なんで、またこんな噂が流れるんだ!もう、終わったと思っていた。本当に、しつこい。いや、落ち着け。紗和が自分勝手に疾走するとは思えない。誰かが彼女を拉致したんだ、きっと。
結局、僕のせいで撮影は打ち切り。北見さん、怒ってるだろうな。仕事もなくなっちゃったし。親元に寄生虫するかもな。
「俳優の亀戸仁氏はなぜ、彼女を殺害したのか!?」
的な新聞が世間に広まってしまった。僕は何も悪くないのに。なんで…。警察はこの事件には信憑性がないからって、今は証拠集めをしている。任意で話は聞かれたけど、どうなるんだろう。
それでも、自分にかけられた疑いは自分で晴らさなければいけない。だから、一番疑いの大きいネット内を探した。しかし、本当に見つかるだろうか。途方も無いほど膨大な投稿数から原因の一つを見つけることが。それでも紗和を助けるためだと思い、何日もかけて、犯人の投稿を探した。
「はぁ~。見つからない!そりゃそうか…。この世界の中から、一匹のアリを見つけるようなものだ。」
…あ。この投稿、僕のだ。確か、僕のファンの投稿にお礼で返したんだった。
《これ見て!牛乳パックで干支のウサギを作ってみた!(1月3日投稿)》
《うまくない(1月5日投稿)》
これを見て、僕はやらかしたと思った。別の意味に取られてしまう恐れがある投稿をしたからだ。びっくりマークかはてなマークくらい付けていればマシだった。それに、牛乳パックのウサギを投稿した人って、橋本健人っていうのか?紗和の亡くなったお兄さんと同じ名前じゃないか。こんな偶然もあるもんだな。気分転換に打ち切りになった台本でも読むか。
「そうか、理由が分かった。この台本に近しいもの感じた理由が。」
台本を読んでいると、ふと思い出した。そういえば、紗和と初めて会ったのはあの公園だったよな。あそこに、きっと!
なるほど、分かったよ。この事件の真相が。そう思った途端、足が勝手に走り出した。止まることなく、あの公園に向かった。
「紗和!見つけた…。」
紗和はいつものような笑顔では振り向いてくれなかった。殺意を感じた。
「これだろ!紗和が僕を恨んだ理由は。」
《これ見て!牛乳パックで干支のウサギを作ってみた!(1月3日投稿)》
《うまくない(1月5日投稿)》
この投稿が紗和の兄を自殺に追いやった原因。そう、紗和に言ったが、答えてはくれなかった。
「私は許さないから。」
そう言って、彼女はナイフを突きつけた。
ああ、やっぱり、捕まったよな。紗和のやつ。
「大丈夫ですか?亀戸さん。」
「刑事さん。紗和はどうなりましたか?」
「逮捕しました。殺人未遂で。それよりも、話してくれませんか?どうして、彼女の居場所が分かったのかを。」
「そうですね。ただ、気分転換で彼女と会った公園に来たら、そこにいた感じですね。」
病室に僕はいた。どうしても、真実は言いたくなかった。きっと、刑事さんも嘘だというのは気づいているはず。それでも、深く聞いてはこなかった。
真実は本当は、紗和の兄は自殺ではなく他殺だった。彼は友達のSNSに誹謗中傷のような投稿ばかりしていた。
《今日は晴だから散歩に行ってきた。途中で見つけた捨てられたネコちゃんを保護した。(8月2日投稿)》
《へぇ~、ネコを保護とは、なんとご立派で!偽善者気取りだな。(8月3日投稿)》
このような投稿ばかりしており、恨みを買ったのだろう。紗和は僕の投稿が自殺の原因だろうと決めつけた。ただの勘違いで、僕は被害者になった。きっと、紗和はすぐに警察から解放されないだろう。せめて、僕のせいだと、怒りをぶつける相手を作ることが僕にとって彼女を守る唯一の方法だと思う。
「亀戸先生。何を考えているんですか?」
「ん?ああ、ごめん。健斗くんはダンスをSNSに投稿してるんだね。凄いじゃん!でも、SNSは危険だから、気をつけたほうがいいかもね。」
もう、僕と同じ過ちはおこさせないように。だから僕は心理カウンセラーとなった。