優しい世界
手続きが終わり簡単な説明を受けた2人は2階へと階段を上っていた。
資料室に雑貨屋、定番を扱う武器防具屋など、冒険者御用達の店舗が一通り入っていると聞いたからだ。ちなみに3、4階は関係者以外立ち入り禁止エリアで職員の寮にもなっているのだとか。逼迫した冒険者の寝泊まりする場所はあるのかと聞いてみたところ。
「1階奥に冒険者向けの簡易宿泊施設がありますよ。でも酔って帰られなくなった人を放り込む場所でもあるので、運が悪いと喧嘩に巻き込まれるだけでなく、一緒に怒られて無料奉仕の施設清掃が待っているのであまりオススメしないですけど」
という事だった。
2人は視線を合わせて「運が良かったわね」「ですわ」とだけ言って今に至る。
運が良いというのは、親方が目的を共にする者達――輸送兼興行キャラバン――で構成されるクラン制度のリーダーだったからだ。来るもの拒まずな親方の懐もあってメンバーは600人を越えているらしいのだが、出発すると1ヶ月は帰ってこないため町に居るときは自由に過ごしたいからと、拠点で寝泊まりする者は10人に満たないそうだ。そのため空室はいくらでもあった。
「クランへの参加も強制じゃないしね」
「……それでも良くわからない方なので警戒はすべきですわ」
「そうかしら?」
何気なく聞き返しただけだったが、おもちはふいに声を落として早口となり、
「ぱいせんを保護したときに『おっきなお胸と綺麗な太ももは世界を平和にするのです』と力説したそうですの」
きっ、と菜乃花を見詰めた。
「……誰情報よ、それ?」
「謎のメイドシスターですわ」
「ああ、それなら。うん、警戒するかしらね」
悪い人ではないのでしょうけれど、と思いながらおもちと親方の攻防を想像してしまい、くすっと噴き出した。
そのせいか、少しばかり気が緩んでいたのだろう。
「――っかしーなー。雑貨屋さんの前じゃなかったっけ?」
声が聞こえたと気付いた瞬間。
――どんっ
「あ、ごめ! あああっ!」
誰かにぶつかった。
謝ってきたのは声の主だろう。
なのだが。
「危ないですわ!」
おもちが菜乃花の横に向かって手を伸ばし、
「だめ! よけてー!」
「させるかですわよ!」
今まさに階段を落ちようとしている青い影に飛び付いて、
「どこかで止まりますわあああっ!」
「ええええええええ!?」
仲良くころんころんと階段を転がって行った。ほれぼれするほど真っ直ぐ綺麗に1階まで。
「……えと? あ、もちち!! と知らないひと!!」
つい見とれてしまっていた菜乃花が慌てて駆け下りる。
「2人とも! 大丈夫!?」
声をかけると同時に着くと、おもちと青髪の少女が体を起こす所だった。お互いに腕を回して守っていたためか頭は打っていないようだ。
「あいたた……くない? ですわ」
おもちが手をパタパタさせて体をチェックしている。対する青髪の少女は。
「痛くないねー。変なのー」
こちらも首を傾げてパタパタと手を走らせている。
周囲を見れば人が集まる様子はなく、なんなら呆れ顔の者も居たりする。
「2人とも、邪魔になるから場所を変えましょ」
菜乃花は2人の手を引いて立たせると、階段の脇に移動した。
「大丈夫なのね? どこも痛くないのね?」
「なぜか大丈夫ですわ」
「あたしもー。目も回ってないの」
幼女と少女がのほほんと答えるのを聞き、ほっと胸を撫で下ろす菜乃花。
「あたしが余所見してたせいでごめんなさいね?」
少女に謝る。
「あああ、いえいえいえ! 余所見してたのはむしろあたしの方で。ごめんなさい巻き込んじゃって」
「わたくしがしたくてした事。お気になさらずですわ」
「いちおー避けたつもりだったけど」
「放っておける訳ねぇですの。結果なんとも無かったから良しですのよ?」
ああ、こういう子だ。菜乃花はおもちの性格を思い出した。
彼女は我が身を省みずに手を伸ばす所がある。この世界に来たのも「気合いですわ」と答えた様に、何事にも真っ直ぐ向かうのだ。
(どうして忘れていたのかしら)
菜乃花は目の前で始まった新たな交流を眺めながら、大切な切っ掛けを掴みかけていたのだが。
「あーー! ちー、いた!!」
ふいに声が届いた。
目を向けるといかにもお姉さんな感じの女性がこちらを指差している。側には黒髪の少女もいてこちらを見ている。
「え、あれー!? なんでフードコートにいるのさ! てかその手に持ってるのは何!?」
ちー、とは青髪の少女らしい。ぶつかる直前に聞こえた台詞からどちらかが待ち合わせ場所を間違えたという所か。
「肉じゃが! だって美味しそうなんだもん! あむっ!!」
「食うなーー! これから大食いトラップ攻略に行くんでしょ!? なゆたん何で止めないの!?」
「今日のなゆたは傍観者だから」
叫びあう2人とは対照的に落ち着きつつも良く通る声で答えた黒髪の少女なゆたは、ふいっとそっぽを向き、ちーは菜乃花とおもちを交互に見て、
「あはは。えーと、うるさくしてごめんなさい。うちのパーティーちょっと変わってて。んじゃ行かなきゃだから。助けてくれてありがと! お礼したいから連絡先きいてもいい?」
「そんなものは要らないと言えばお礼とお断りの押し問答が始まりそうですわね」
「あたしらを避けてでも自分1人で落ちようとした子だしね。――分かったわ。今は2人とも親方重金属興行ってクランでお世話になっているの。なんだか有名みたいだけど場所は分かる?」
「親方!? 知ってるー! 強力なバフデバフをギターで付与する人じゃん! あたしライブも見に行ってるから普通に会えるかも!」
嬉しそうに言って自分はいっぱい食べ隊で世話になっている旅人だと告げると、じゃあまたねと言い残して走り去る。
「なゆたん! 今日のドライバーが傍観者とかダメじゃん!」
「大丈夫。運転はメリハリを付けるから」
「それは流れる様にして欲しいなー」
「そしてのなちは流れる様に肉じゃがを」
「美味しいは正義♪」
「だからのなは食うなー! てか掴むなー!」
皿を奪おうとお姉さんに近づいて頭を掴まれ叫ぶ少女と、それを眺めてニヤニヤする少女。
「なんだろう。不安しか無いパーティーに見えるのだけれど」
「わたくしもですわ。……ああいう子達でも生き抜いて行けるくらいには優しい世界なのかもしれませんわね」
「そうね……階段から落ちてもケロっとしていたものね」
「? ぱいせん? ひいっ!」
不意に声のトーンが沈んだ事に気付いたおもちが隣を見上げると、菜乃花が大きく屈み顔がドアップになっていた。
おもちの頬が両側からガシッと掴まれる。逃れようともがくのだが、掴んでいる手はビクともしない。
「あぶないからダメでしょー」
「先輩近い近い近いですわぁ」
「じーーーーーーーーーーー」
あえて口に出して顔を近付けてくる菜乃花に、おもちは焦りを隠せなくなる。ここは薄い本のノリでからかってみようかと考えたおもちだが、なぜか刺さる様な視線に見えてしまい断念する。
「め、目、眼。怖いですの」
「じーーーーーーーーーーー」
だからと黙って耐えられるのかと言えばそんなはずもなく、おもちはからかう方針で断行せざるを得なくなる。
「そ、それ以上はいけない関係に見える気がするのですわ」
「蛾にファーストキスを奪われたあたしに怖いものは無いって知ってた?」
冗談でかわそうとしたら真面目に嫌なエピソードが返ってきた。虫はカウントしなくても良いのにと言いたいのだが、本人が数えてしまっている以上何を言っても無駄である。
「ああああ」
「はい、ごめんなさいは?」
静かで。
真摯な想い。
それが強烈に伝わってくるのは魔眼故か。
おもちは観念した。
「ごめんなさいですの…」
「うん。もちちを大切に思ってる事が伝わったみたいで良かった」
にっこりと微笑んだ菜乃花がおもちの頬を解放する。
(疚しい事を考えるものじゃないですわね。途端に目が怖くなるのですもの)
頭を可愛らしくプルプルと振って思考のリセットを行うと、気持ちの切り替えを提案した方がいい気がしてきた。そういえば小腹も空いてきている。さっきのパーティーののなが肉じゃがを頬張っていたなと思い出し、
「ぱいせんぱいせん。この世界の肉じゃが、なんだか美味しそうでしたわ」
「あーー、ねーー。分かるかも。ついでだし食べてみよっか?」
人間お腹が膨れれば些末な事など忘れてしまうものだ。
おもちはそんな事を考えながら、うんうんと頷いて同意を示したのであった。