言葉の綾
父が言いました。
「言葉っていうのは言の刃って書いて言刃ってこともできるんだけど。その刃を相手に刺すか刺さないか。痛みを付けるか付けないか。その持ち主自身で変わるんだよね。だから、気をつけてよな」
そして、僕が言いました。
「言葉ってリボルバーでもあるよね。言葉という銃弾を入れたリボルバーを、その人自身が引き金を引くか引かないか。本当にわからないものだな。ただそれだけで、相手が死ぬかもしれんな。もしかしたら、不発かもしれないし。本当に、言葉って相手にとってどう捉えられるか分からないな…」
今日は言葉、という抽象的なテーマで話していこうかなって思っています。なんか言葉って難しいですよね。自分の考えを言語化っていうのがすっごい難しい。自分の感情を言語化とかって、本当に詳しくとか、雰囲気とかを気をつけないと誤解がうまれたり、相手に伝わらないことが多いと思う。自分の思いをしっかり伝えることができずに、モヤモヤした感情が残ったまま終わってしまう。そういうのがある。語彙力さえあれば、表現できる範囲が広まるから、本をたくさん読んだほうが良いんだなって思っている。特に、比喩とか擬人法とかそういう例える系とかも、意外と使えるのかもしれない。あとは、道筋が通った論理的なことも大切な気がする。色々大切なことがありすぎて、本当に言語化って難しいんだなって思う。
そう思っていつまでも「こう言ったら傷つくかな」「こういったらどうなるかな」って思って、いつまでも言えないままだと本当に意味がないと思う。別に言えとは言ってない。そして、言うなとも言ってない。だけど、本当にそれでいいんかって思う。僕は、根本的なことが伝われば良いと思ってる。どういうことかと言うと、伝えたいことを明確にして、表現、口調、語彙、文法そういったものを変えるということ。例えば、優しめにいって言葉の重みを変えたりしている。そうしても結局傷つくことがあると思う。んだから僕は後から「あくまでも自分の考え」とか「もしかしたら」とかそういう、必ずしもそういう考えがあるわけじゃない、とか誤解が生まれないようにとか、傷つかれないようになにか一言補っているつもり。これが効果ないかもしれない。でも、言わないより言ったほうが良いし、さらに、なにか補わないより補ったほうが良いとおもってる。相手にしかそのときの環状がわからないんだから、言っても言わんくても問題が起きる可能性だってある。結局、問題が起きるなら言わないより言ったほうが良いんじゃないかなって思っている。もちろん、その発言も非常識だったり、明らかに悪口だったら言わんほうが良いと思ってる。だけど、自分は本当にこれが正しいって思ってる。そういう、自分が本当に正しいって思っていることは、言ったほうが良いって思ってる。だから、言うことを前提に、どういう風に伝えるか、いつ伝えるか。そういうのを考えていくと良いのかもしれない。
相手が傷つくかもしれないなんてわからないじゃないか。言わなくても傷つくかもしれないし、言っても傷つくかもしれない。わからないじゃないか。だからもし傷ついたなら、そのときはその時で対処すれば良い。それが難しいかもしれない。でも、なんとかして対処できたら、とってもスッキリするのかもしれない。間違った行動はもちろんあるけど、間違った、はい終わりじゃなくて、間違ってからどうするか。それが大切だと思う。大切なのは事実より、事実に基づいてこれからどうするべきかが大切な気がする。僕が話していることはテーマが明確になっていないっていうか、すっごい思いのままに書いているから、なにかおかしいかもしれないが僕はそういう考えを持っている…(?)
言葉の綾ってあるじゃないですか。あれがまた厄介で、言葉の綾だと分かっていても心に傷つくことはあるというのが事実だろうな。だから本当に、言葉選びは大切だな。難しい。なんとか誤解を解く能力が高ければいいんかなあって思ってはいるけど、やっぱ人のことは分からないよな…言葉の綾って本当は「言葉を巧み使う」とかだったけど、それができたら苦労しないよな…
自分自身もいろんな言葉とか単語をつかって表現はしているんだけど、なにかいろんな感じ思われてそうなんだよな。でも、そんなことってグダグダグダグダ思ってたって、その人自身にしかわからないから、僕はただそう思うだけで無駄なんだよな。というか、自分に負担がかかるだけなんだよな。だから、めっちゃ気にすることもしないようになれば、思ったことを言えるような人になれると思うな…多分……




