(6)終
「これ、起きろ」
男は、起きていた。
「はい。おはようございます」
あぐらを正座に座りなおして、目をふせ、声の聞こえた先へかしこまった。
「そろそろ、こりたか」
「はい」
「もう、盗みなどしないな」
「しません」
「うそではないな」
「うそではありません」
婆アの顔が、ろうそくに照らされ、半月のように浮かんでいた。
「では、出してやろう。だんなさまのご慈悲じゃ。これからつれていってやるから、ごあいさつして、そうして、どこへなと去れ」
「ありがとうございます」
腹は減っていたが、不思議と、足はすらすら前へ出た。婆アに置き去りにされることもない。
階子段をのぼった。やはり、朝だった。全身で、光を呼吸した。目のくもりが晴れて、しおれた肌がふやけていく。
庭に出た。
りっぱな梅の木が立っている。池に、鯉がはねている。
うす暗い座敷のなか、ぼんやりした影しかそこにはなかったが、それが長者らしい。男は、座って、手をついた。
「なよなよした、不愉快な顔したやつだったが、人が変わったようじゃの。暗いところに四日も入れられて、さすがに、悔い改めたということかの」
「いろいろ、考えました」
「ほかに仲間もおらぬようだし、まあ、たいした盗人でもなかろう。今度はゆるしてやるから、二度とこんなことはするな。いいな」
「はい。二度と」
「よし、立て。行け」
男は、頭をさげた。
「かかさま、かかさま、かかさま、かかさま」
そのとき、どたどた足音を響かせて、かん高い子供の声が駆けこんできた。
「ととさま、かかさまはどこじゃ。かかさまはどこじゃ、かかさまはどこじゃ」
「かかさまは寝ておる。いまな、ととさまは大事な話をな、あの男にしてやっておる」
「かかさま、どこに寝ておる」
「しずかにせんか」
「植木屋の爺イにな、こまをな、おしえてもらったのじゃ。これがこまなのじゃ。こうしてな、ひもでぐるぐるにして、まわすとな、まわるのじゃ。爺イは、わしがうまいと言っておったぞ。上手にまわせるのじゃ。かかさまにも見せるのじゃ」
男は頭をさげたままで、足踏みをしながら、早口にまくしたてる女の子の声を、聞いていた。
「はいはい、ばばが、かかさまのところへおつれしますよ。ばばにも、姫がこまをまわすのを見せてくだされ」
となりにいた婆アが、とろけそうなほどにでれでれと、縁からあがり、女の子を抱いたような気配である。
「婆アも見たいか。いいぞ。婆アにも、まわしかたをおしえてやろうか」
「はいはい、おしえてくだされ。姫はえらいですの。なんでもすぐに覚えてしもうて。ばばにも、できるようになりますかの」
婆アにすかされて、それでも、興奮はさめやらぬようで、去っていったそのあとにも、なつかしい、かわいらしい、声の玉があぶくに残って、いまもそこらじゅうで、ぽかり、ぽかりと割れている。
男は、顔をあげた。
「元気な子供での」
言い訳するように、長者が苦笑した。
「なによりでございます」
「昨日、里の祭につれていってやると言ったらの、うれしくてならぬのだろう、ずっとあの調子じゃ。毎年、祭の後先は、屋敷がうるさくてかなわん」
「けっこうなことでございます」
男は、立ち上がった。
笛、太鼓のお囃子が聞こえてくる。稽古に音を合わせている。
「お内儀は」
ぽつりと、男は言った。
「む。おお、大事ない。寝ておるといっても、いつもの血の道じゃ。明日には床をあげて、祭へ行ける」
「ようございました。安心しました」
外へ出た。
塀を見越して、梅が目に痛いほど白かった。引き寄せられるように、男は、下からながめていた。ひとつ、ひとつ、花から花へ目をうつしていく。なにを考えたわけでもない。やがて、行こうとすると、足もとに、梅のつぼみをゆたかにつけて、枝が一本、落ちていた。
男は、それを拾った。しゃがんだまま、土に枝で、線をひく。折れて、のびて、まじわって、だんだんそれが、かたちを持つ。
「狐」
梅の木の梢から、きんきんと声が降る。目をやると、女の子が塀にしがみついて、顔だけ出していた。
「狐じゃな。おまえ、絵がうまいの」
「絵描きですから」
「おまえ、絵描きのくせに、どうして、泥坊に入ったのじゃ」
「いえ、あなたのお屋敷に泥坊に入ったから、絵描きになれたのです」
「なんじゃそれは」
「わたしも、よく分かりません」
あぶない、あぶない、と婆アが塀の内側から、女の子にさけんでいる。女の子は、ひょい、とまたむこうへ消えた。
朝の光をあびて、梅の花びらのなか、女の子の髪が銀色にかがやいて見えた。きっと気のせいだろうと、男は、去っていった。梅の枝をもてあそびながら、にぎやかな里のほうへ、ぶらぶら歩いていく。