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つくも姫  作者: 川光俊哉
1/6

(1)

 夜はふけた。ぬぐったように、空には一片の雲もなく、月もなく、ただ星が金をくだいて、青く、またたいていた。あたりはほんのり明るい。星の光をうけて、夜のなかににじむ、猫の足あとのような梅の花が、空へむかって、ぽつり、ぽつり、天の川の流れにとまどいして、あとずさったり、また岸にもどったり、うろうろと、まっ白にかわいらしい。

 名代の梅である。こちらを見るような、そっぽをむいているような、口に手をあてて笑いをこらえている、みずみずしく、なまめかしい若い娘の腰つきをそのままに、幹には生命が充実している。

 梅は、しっくいの塀を見越して、往来に顔をのぞかせている。根もとから、ひとつ、ふたつ、みっつ、庭に平たい飛び石があって、そこは池である。鯉も泳げば、蛙も鳴く、水鏡に、猫はここにも足あとをつけるだろう。が、今夜、そこにいるはずの、鯉も、蛙も、猫も、鳥、虫、風、気配は影すらささない。池より、よっつ、いつつ、むっつ、大股に飛び石を踏んで、縁がある。細く長い廊下である。庭の幅だけめぐらした障子は、ひっそりと、四角い格子のなかでそれぞれに青白くまぶたを閉じていた。

 と、梅の木から説きはじめるのは、わけがある。池の鯉の目には、屋根も黒々とそびえ、のしかかる山脈と見えるだろう。この屋敷の主は、在所で梅の木の長者と呼ばれている。


  梅の木の長者さん

  朝から茶を飲んで

  昼にはめし食って

  晩げにふとんにくるまって寝ましょ

  こん こん こん こん こん こん こん


 と、里では、子供が歌っている。特に梅の木の長者さんをひっぱりださなくても、ごくあたりまえの一日であるが、あたりまえのことがあたりまえにできるのが一番しあわせなことである、という意味なのかもしれず、あるいは、こんなあたりまえのこともできないくらいに、在所の百姓たちは貧乏なくらしをしていた、という解釈もできる。そういえば、梅の木の長者さんは、歌のなかで働いていないようである。


  梅の木の長者さん

  竿持って川行って

  どじょうを釣りましょ

  釣ったら屋敷であぶって食べましょ

  こん こん こん こん こん こん こん


 歌は、ここまでである。なんとなしに、口をついて、遊びつかれて家までの帰り道、子供たちが声を合わせて歌いだす、というのでなければ、女の子が毬をつくときに拍子をとりながら歌うこともある。毬がこぼれないかぎりは、こん、こん、こん、という最後のところを繰り返す。

 ここで出てくるどじょうが、梅の木の長者の出世にまつわる、土地の口碑に関係している。長者の地位を築いた祖は、太郎さんという百姓である。少し、頭が弱かった。親もなく、嫁もなく、子供もない。田んぼも、畑も売ってしまっていた。くさったような馬小屋を庄屋さんから借りて住んでいたが、どうやって、なにを食って生きているのか、誰も知らなかった。ある日、太郎さんが寝ていると、まっ黒な袈裟に身をつつんだくりくり坊主が、馬小屋をたずねてきた。

「もし、ここのお屋敷のおかたですかな」

「へえ」

「そうですか。だんなさまにお会いしたいのですが」

「へえ、いえ、昨日の晩、どこかに大人数でおでかけになったようでございますが」

「まだお帰りでない」

「さあ。へえ。まあ、どうでございますか」

「では、あとで、あなたからお伝えください。川の流れを変えるのは、おやめください。そんなことをしたら、川の神さまの眷属が、かわいそうに、みんな死んでしまいます。どうか、思いとどまっていただけるよう。さもなければ、神さまのご不興をこうむるかもしれず、村が水に沈んでしまっても知りませんよ。こういうことです」

「へえ」

「分かりましたか」

「分かりやした」

 坊さんは、満足げにうなずいて、帰っていった。太郎さんは首をかしげて、坊さんの立っていたあたりがぬれているのをながめていた。やがて、また寝てしまった。

 ちょうどそのとき、庄屋さんは山のほう、里を流れる川の水源へ出張っていて、かんがい工事の指図をしていたそうである。

 その夜、ど、ど、ど、ど、と尻の浮くような地響きに、太郎さんは目を覚ました。はっとして、村が沈む、という坊さんの言葉を思い出す。太郎さんは、逃げたのである。

 川の水は、のたうつ竜のように、戦野を駆ける騎馬のように、三角に波うって、うずまき、くずれ、なにもかもを飲みこんだ。みだれた水は、空までとどいて、黒雲を呼ぶ。どぼん、ごぼん、と水をはねて、のびて、ちぢんで、湖と化した村の、空と水面のあいだを、乱舞する巨大などじょうの姿があった。三日三晩、川に、雨に、風に村はもまれ、四日目にからりと晴れる。水が引く。村はあとかたもなかった。

 太郎さんは、丘の上からながめていたのである。やがて、洗い流されたあとに、太郎さんは鍬を入れて、村ひとつぶんの田んぼと畑の主になったということである。

 太郎さんのようになれ、という教訓ではなく、ただの話であるが、それでも、こういうこともあったかもしれないと語り継がれているのは、おもしろい。里の人々の創作であるなら、梅の木の長者はよほどきらわれている。梅の木は、太郎さんが土地のすべてを開墾しなおしたあと、ひと休みして食ったおにぎりの、うめぼしの種がこぼれて、そこから芽をふいた、という。が、長者の家では、四代前の、つまり当代のひいひいじいさんが伊勢にお参りに行った帰り、都で目をつけて買い上げた、とはっきり記録が残っているそうであるから、毬つきの歌も、どじょうの口碑も、説話、むかし話、伝説などであるよりは、在所の金持ちの風刺、うわさ話、いっそただの悪口である、と言ってしまっていいくらい。由緒のあるものではなさそうだ。

 地主になったのは、水の神に祝福されたからではない、という証拠に、長者の家には代々女児が生まれないという祟りがある。これも、どうだか分からない。村の人たちが知っているかぎりは、そのようである。が、女児が生まれないということは、男児にめぐまれて、現に、代ごとにひとつずつ山が増え、ひとつずつ蔵が建ち、栄えつづけて、家の途絶えることがない、ということで、長者にとってはめでたくないはずがないのである。

 それでも、負け惜しみのように、悪口はこのようにむすばれている。もしも、女児が生まれたときは、川の主、水神の祟りによってその子供は、生まれながらに雪のような白髪なのである、と。

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