序章
ドアを叩いたら、なんの反応もなかった。
いつもの「はーい」って生ぬるい返事も聞こえてない。
「あれ、変だな」と僕。ドアに耳を当てて聞いたら、まったくの静寂だ。
もちろん、返事がなくても躊躇なく中に入った。随分前からこのノックが形式的なものになって、「すみません、入ってもよろしいですか」というより「来るぞ」の成分が多いのだ。とにかく、僕は部屋に入った。
草井田教授がいない。いつもドアに向けてパソコンをいじりながら待っているのに、今日はそこにいない。トイレでも行ったんだろうと思って、僕は勝手に座って、今週分の研究の進捗を出した。自慢そうに何度も読み繰り返したこの未完成の論文をもう一度目を通した後、目の前の本棚に気を取られた。
あれはステンレスでできた、七階もある幅広い本棚だ。最下層はもっとも高く、机に遮られているが、隙間から覗ければ、そこに多くの分厚い本が適当に堆積していることがわかる。上の六階のほとんどはマンガとビデオで埋もれ、棚の最上部にいくつかの段ボールが並んでいる。それを整理する気があれば手伝うのに、とこの二年間に何度も言ったが(名案だと思ったが)、草井田教授はいつも何らかの理由でごまかした。もっとも多用な理由は、「散らかっている部屋こそ創作欲と全能感を引き出してくれるのだ」という。そういえば、これほどでもないが、自分の部屋も結構散らかしている。しかしその創作欲と全能感とやらはまったく生じていない、むしろいつも僕をどっかのカフェか院生の研究室へと追い出す「全不能感」だ。
本の間にいろんなものが混じっている。何がしらの虫の標本、見たこともないフィギュア、どっかの風景の写真、そして何よりも目立ってる沖縄のビールの缶もある。この沖縄のビールの缶は、本人によればそれは大学院時代に沖縄でフィールドワークを行う時に、当時の仲のいい先生と海辺で飲んだ記念すべき一缶のビールだという。実は、草井田教授は有名な大学の出身で、以前、文化人類学者として活動する間によくその先生の世話を受けていた。なぜか今はマンガ研究科の教授になったのかは謎だが、教授の話によれば文化人類学をやめようとした時も、その先生だけがずっと草井田教授を応援していた。涙が出るほどの素晴らしいキズナだが、何ならビールの缶よりもいい記念物になれるものはいくらでもあるだろうとよくこっそりとツッコんだが、なぜか毎週この研究室に来れば来るほどそのビールを飲んでみたくなっている。時々思うが、僕もいつかそのように草井田教授と何かの思い出を作ればいいのに。ビールの缶はいらないが。
しばらくそのビールの缶を見つめながら思いを走らせていたが、急に我に返った。草井田教授はまだ来ていない。すでに十三時二十分になったが、もうじき次の人の番なのに、人が来る様子はまったく見えない。毎週木曜日のゼミの授業は、院生と先生の一対一の対談で、一人につき四十五分だが、すでに半分くらい経ってしまった。僕は部屋の外で少し待っていたが、人の気配がいっさいない。確かに草井田教授は度忘れで有名だが、さすがに院生の授業を忘れる前例がない。少なくとも、まだない。
部屋に戻って教授に電話したが、誰も出ない。そして、またしばらくそのビールの缶をじっと見ると、ドアの裏に貼っているボロボロな地図に目を移った。ボロボロと言っても別に古いからのではなく、ただのどこにでも入手できる京都地図をいっぱいメモしたり破ったりしたもので、どうやら京都市のではなくこの学校周りの地図だった。この京都セイカ大学は、京都市の北側にあり、周りはほどんと山で、まるで森をスプーンでグイッとえぐったのように、ちっちゃい京都セイカ大学をそこに入れた。地図には、あちこちに狂った(字が汚い)メモがあり、何を書いているのかはよくわからないが、この荒っぽさもまた創作欲をそそる手か何かだろう。そして何よりも気になっているのは、本来地図の左側に印刷体の大きな文字「京都左京区マップ」に幾重の取り消し線を引かれ、すぐそばに赤いマーカーで「恐都」と力強く書き替えている。草井田教授は「世界観エンタメ」の研究者として評論界でとても名高いので、これもまたマンガ制作のためにリアリティ感を醸し出すための実験だろうと思い、そこから目を逸らしてまた自分の進捗をぱらぱらとめくった。いつか教授のように自分の本を出したらなんと素晴らしいことだろうと、ひたすら妄想に浸っている最中、急に外から足音が立った。そしていきなりドアが開けられた。
「あっ、草井田教じ…」僕はドアのほうに向けた。
「こんにちは、先生…あれ?」
入ってきたのは草井田教授ではなく、同じゼミの明日野サトシだ。
「なんだ、お前か。ノックぐらいしろよ」
「『在室』って書いてるから。つーかまだいたのか、源円」とサトシ。
「ご覧のとおり、ここに存在しております」
「うむ、では、草井田教授は?」
「さあ…ずっとここで待ってるけど、全然来てないよ」
「えっ、もう俺の番だぞ。まさか…忘れたのか」
「お前もそう思う?」
「まあね、度忘れだもんな」
「僕もしばらくここで待とう。もし来たらせめて進捗だけでも渡すか」
「どうだった?」
「マンガのほうは終わったよ。論文なら後少し、そっちは?」
「同じく」サトシはバッグをぱんぱんと叩いた。
「来週、中間報告会でうまく話せるのかな…僕はそういうの苦手なんだぜ」
「まあ、何とかなるさ」
僕たちは部屋で待っている間、三人目のゼミ生が来て、そして四人目も来た。そいえば、同じゼミの四人が出揃ってるのはこれで入学式以来だ。このマンガ研究科では、院生たちは皆暇そうで、平日は自宅か研究室で本を読んだりメモしたり(マンガだってメモできるぞ)、絵を描いたりするのが普通だが、四人で一緒に遊びに行くことは一度もない。サトシとの仲はいつの間にかよくなってたまには遊びに出るが、ニー友のように新作のアニメ(研究活動に関係あり)を見るために映画館にいくとか、書店で本を漁るとかカフェで黙って本を読むなど決まりのイベントしかない。文化生活だけを満喫する奇妙な人種だが、マンガやアニメを吸収するだけでも我々にとっての立派な勉強で、学術界に足一本踏み入れている大学院生として正当な生活様式だ。そう考えると自分の生活スタイルは実は結構偉大なんじゃないかとよく思って、平日に十二時になってもベッドでマンガを読む自分をいつも許した。大学時代の同級生の幾人も他の大学院のいわゆる「ちゃんとした専攻」から出て、今はもう社会の進化と直結する何がしらの分野で実績を持つようになった。自分がいるこの「マンガ研究科」だって大衆娯楽の未来を担いでいる重役なんじゃないかと思ったが、やはりそれは研究者じゃなくマンガ家だ。こう考える時に草井田教授のことをとても羨ましくなった。マンガ研究者以前に文化人類学者だなんてずるい。と、あれこれ思いめぐらしている間にもう三時半になった。サトシは二、三回草井田教授に電話をかけたが、やはり出なかった。教授はなかなか姿を現さないので、僕たちは一旦戻って連絡を待つことに決まったが、それでも、「四人で飲みでも行こう」って言ってくれる人は誰もいなかった。
帰りの電車で、サトシと市内の本屋にいくことを約束した。来週の金曜日の中間報告会までは暇だし、ちょうどとあるマンガの大判復刻版を欲しいので、研究科がくれた経費で買おうと決めた。こういう時こそ研究者気分になった。たかがマンガを買うくせに。