第8話 死境の道
アパート前の駐車場で、壮絶な殺し合いが始まった。
オークに組み付いて、とにかく包丁で刺して刺して刺し続ける。
血と涙で視界がぼやけるので、よく分からないまま手を動かした。
とにかく攻撃を絶やさない。
それだけが生き延びる道なのだ。
妄信して相手を殺しにかかる。
オークも必死に抵抗した。
突き飛ばそうとする一方で何度も背中や頭を殴ってくる。
密着した状態だと鉄パイプが使いにくいのか、拳による猛打を浴びせかけてきた。
一発ごとに骨まで響くような衝撃だ。
そのたびに息が詰まるが、決して包丁を止めずに刺す。
泣いても刺して呻いても刺して吐いても刺して突かれても刺して苦しくても刺す。
次第に痛みが麻痺してきた。
それでも一心不乱になってオークを攻撃する。
自分が何を考えているかも分からず、夢と現実の境を彷徨っているような感覚に陥った。
その中で包丁を刺す感覚だけがダイレクトに伝わってくる。
唯一絶対の現実だ。
曖昧な状況でその感覚は信じられる。
だから迷わずに刺すことができる。
どうにも表現し難い心地よさを感じていた。
極限状態を通り抜けて、何らかの境地に達してしまったらしい。
自分が新たな世界に馴染んでいく。
それをゆっくりと紛うことなく感じている。
不可逆の変容であった。
もう後戻りできないところを転がり落ちる気がした。
だから刺す。
それでも刺す。
拒みながら刺す。
受け入れながら刺す。
そうして気が付いた時、目の前にはオークの死体があった。
全身が血みどろで額が大きく陥没し、眼球がはみ出している。
そばに赤黒くなったブロック塀の破片が転がっていた。
記憶にはないが、転がっていたそれを使って殴り付けたのだろう。
死体を眺める自分の身体も酷かった。
一言で述べるなら満身創痍だ。
オークにも負けず劣らず血だらけで、スーツはあちこちが引き裂けて布きれになっている。
右手には割れた包丁を握っていた。
左手に至っては紫色に変色して腫れている。
おそらく骨が折れているのではないか。
呼吸に合わせて腹と胸に激痛が走る。
内臓も傷付いたのだろう。
両脚は今も出血し、左の膝は物理的におかしな方向を向いていた。
よく見ると足首もねじ曲がっている。
オークの握力でそうなったのかもしれない。
口の中に異物感を覚える。
吐き出すとそれは血に染まった肉片だった。
よく見るとオークの死体に歯形らしき傷がある。
必死になるあまり、包丁だけでなく噛み付いて攻撃していたらしい。
まったく気付かなかった。
口内と鼻腔に広がる血の味と臭いは最低なものだ。
今にも死にそうだが、大きな達成感を味わっていた。
この手でオークを殺した。
つまり勝利を掴み取ったのである。
負傷で頭が上手く働かず、言い様のない爽快感が身を貫く。
アドレナリンで高揚しているに違いない。
笑いまで込み上げてくる始末だった。
何はともあれ、こうして生き残ることができた。
まずはこの場を離脱しなければならない。
きっと他のモンスターがやってくる。
猟銃を杖のようにして身体を支えつつ、身体を引きずるようにして自宅を目指した。