青ざめた顔 赤らんでる顔
青ざめた顔 赤らんでる顔
顔色は両極端なのに、木端片で拵えたおきあがりこぼしに似た顔がふたつ並んで見つかるのは、よくあること。
昨夜のバーでのこと
おかみから「新しい生活様式」などの呪文をかけられなくても、むかしから適度な距離の保たれてる店なのだ。特に、午のカフェタイムからとおしでやっているこの店の日の落ちたばかりのバータイムの入口に遭遇する稀有な客など、昼も夜もひっぱる相手のいないわたしのような気ままなひとり客か、ゼロ次会でふらり寄ったふたり客と決まってる。
もうすぐ照度を下げたバータイムとなるカフェタイムのお尻にはいると、そんなゼロ次会のカップルが先客を占めていた。小さなホワイトボードに描かれてる季節のフレッシュカクテルなんかを順々に頼んで、結構さきをいってるらしい。この世代は使わないんだろうが、「お洒落な昼下がり」なんて半切で書かれた文字が透けて見えてきそうだ。
「ネットみないでこんな隠れ家みたくお洒落なバー見つけるなんて、今日のおれって嗅覚ハンパないんじゃない」「昼間っからやってるってのが最高じゃん。いっつもゼロ次会、チェーン店の居酒屋なんだもん。しょーちゃん、今日だけじゃなくて、毎回ハナきかせてよ」なんて、若い二人はノリノリではしゃいでいたのに。
「ふたりともさぁ、たまには駅前ばっかりじゃなく、こっちにも足向けてよ」「そうそう、若い子が出歩かないと、ジジババと猫ばっかりの街になっちゃうから」なんて、こんな程度の賑やかな感じだったらBGMには歓迎かなって、マスターとふたりでヨイショしながら気分よく追いかけ始めたのに。
いろいろいじりはじめたら、ふたりって単語のところで男の方が少し引いてくる。カップルって眼で眺めると真顔が戻る。
「そんなんじゃないですから。オレ、ちゃんと彼女いますから」
おいおい、そんな此処にいない彼女まで持ち出さなくても。マスターもわたしもそんな囲い込む仕草みせてないのに、いきないバリケードし始めた。おじさんふたり、此処にいる彼女にちょっと気を使わなきゃっておとなのフリカケ掛けるみたいな視線おくったら、「こいつ、ほんとうに、どうしようもない女なんですよ」って、ひとり勝手にぶち始めてしまった。
彼女のほうは、ほうらまた始まった、おいおいそういうところが小さい男ってことなんだよって顔して、眺め、楽しんでる。まだまだこちらのおじさんふたりを巻き込もうとしないのは、こういう場面に慣れた大人の顔だ。
「こんなブスなのに、あたしってモテるんですよ。先週も職場の飲み会で結婚してるおじさんたちから求められちゃって」
ウオッカベースのシャインマスカットカクテルからラムベースのイチジクを経て、今はテキーラベースの柿でドロドロしたグラスを揺すりながら彼女はとばす。
親しみ過ぎたぬいぐるみのガーリーっぽさばかりと思っていた女の顔が、フェミニンの匂いをお線香みたいに立てはじめた。マスターに、いくつなの、独身なの、と畳みかけるようにちょっかいをだす。冬の日本海みたいにざぶーんざぶーん押し寄せる酔っ払いを、そのまま裾ひろがりに拡げて楽しんでる。太古の母系から綿々とつづいてるおおらかなお誘いを、悪びれもせず男たちに振りかける。わたしも「パパ、パパ」を連呼するお相伴にあずかることに気恥ずかしさも外連味もとうになくなり、グラスのウイスキーはボトルの口から流れる一方だ。
斜めに向かいに座ったカウンターから弛緩した白くてぷよぷよした腕はどんどん伸びる。連れの男の鼻先を抜けて、マスターの長い首に絡みつき、一回り楽しんだあとパパの淋しくなったおでこをなでなでしにやってくる。
クラクラ クラクラ
みんな笑っているのに、連れの男の顔は青くなる一方。楽しんでだけいればいいのに。このあとの一次会なんて作り話、忘れてしまえばいいのに。
「お勘定、・・・・・お願いします」
あーあ、言っちゃったよ。2千円以上のフレッシュカクテルばっかり飲んじゃって。その挙げ句、彼氏じゃないって断言された連れの男に、もみ手ひとつの「ごちそうさま」。
「こんなどーしようもない女なのに、全部もってくれて、だから、だーい好き、しょーちゃん、だーいすき」
カップルじゃなくたっていいじゃない。彼女がいたっていいじゃない。大昔から、こうゆう女は、みんなのものなんだから。
店を出るとき、みんなの女は赤らんでる顔、連れの男は青ざめた顔。此処とは違う場所に連れ出すには、青ざめた顔する男はやっぱり必要なのかもしれない。