怒りの『キムチ鍋』と炭水化物
犯した罪の重さを背負う――。
俺に原因があるのなら、罰は甘んじて受けよう。
それがしくじらせてしまった俺の罪ならば。
しかし、償うにも限度はあるとは思うのだが……。
「残さず食べてね。ちゃんと、全部」
「あの……ご飯がちょっと多いかも」
「大丈夫、だいじょうぶ、飲み会に比べれば楽勝でしょ? 七味くんならいけるって」
にっこり、と微笑む嫁の甘理。
ぐいぐいと料理を勧めてくる。
今夜の微笑みはまるで能面のよう。表面的には穏やかだが、沸々とした怒りのオーラが滲んでいる。
梅雨明け直前の暑苦しい時季に、鍋……!
しかもキムチ鍋。
熱い、辛い。
「熱っ、まだ熱いし」
「材料が余ったから鍋にしたの」
「余った……材料で鍋に……」
「そう。好きでしょ? ビールに合うし」
「お、おぅ……」
キーワードは「飲み会」だ。
やはり昨夜のことを根に持っている。
急に飲み会に行ったことを、かなり怒っているのだろう。
仕事の付き合いで誘われて、急に飲みに行くことになったのは昨日晩のこと。それが面白くなかったのか、今日のメニューはいささか当てつけがましい。
「美味しい?」
「うん、美味しい。あちち!」
なんだこれは、罰ゲーム会場か。
大人の付き合いというか仲間内での夜の会合、つまり飲み会というものはある。
俺は、第三セクターの工業技術センターという職場に勤務している。地元の工場や地場産業に対して、技術支援を行うというお仕事だ。
いつもなら飲み会の予定が決まれば、数日前には甘理に予定の連絡を伝えておくのだが、昨夜はつい連絡が遅れてしまった。
うっかり、というやつだ。
職場仲間と話し込んでいて忘れてしまった。
飲み屋に移動する段階になって、慌てて連絡はしたものの、時既に遅し。時刻は六時を回っていた。
電話口で甘理は「えっ!? えー……そうなの。ふーん」と、そっけなかったが、その時間はもうご飯を作り終えていたことだろう。
帰ってみると「楽しかった?」と無表情で出迎えてくれた。
さすがにヤバイと思った俺は、その場で連絡を忘れたことを謝った。
今朝だってまだ不機嫌だったので謝った。
それでもまだ機嫌は直らない。
不機嫌さは今も続いている。
共稼ぎ夫婦である俺たちは、早く家に帰ったほうがご飯を作るルールになっていた。
有り合わせのものと材料で適当に、あるいは事前に予定が判っていればそれに応じた食材などを準備しておくのだ。
俺は自分なりに作れる料理を――といっても麻婆豆腐の素を使っただけの場合もあるが――作り、互いに納得して食べている。
ここまでは良い。
けれど昨夜のように連絡を忘れたり、連絡が遅れたりすると大変だ。
料理を作っても余してしまう。翌日に食べればよいのだが。甘理は気持ちの整理というか、怒りを俺にぶつけたいのだろう。
だからなのか、今夜のメニューは怒りの赤を思わせる色合いだ。
テーブルの上では、卓上コンロにセットされた鍋がぐつぐつと湯気を立てている。
「熱い……」
「ふふふ」
湯気の向こうに霞んで見える甘理が、閻魔大王にも思えてくる。
今夜のキムチ鍋は確かに大好物だ。
煮込まれた白菜に、豚のばら肉、豆腐、きのこ類。味付けは我が家秘伝の味噌ベースのスープに『キムチの素』を入れたものだ。赤いスープは辛味も十分。
夏になろうと言うのに季節外れも甚だしい。
熱々の鍋料理は、しかし確かに冷たいビールによく合うのだが。
そして一番の問題はとある一つの食材だ。
「しかし……はふはふ、『きりたんぽ』入りとは珍しいな。熱ちち」
キムチ鍋の中心部には、白いちくわのような具材が陣取っていた。ぐつぐつと煮込まれた赤いスープが、中心の穴から噴き出している。
「私の実家ではよく食べるの。ご飯が余ったときなんかに、すりつぶして、割り箸にフランクフルトみたいに巻きつけて、オーブントースターで焼く。意外と簡単にできるんだよ『きりたんぽ』って」
「……そ、そうか」
「ご飯も消費できるし一石二鳥なの」
「でも『きりたんぽ』をおかずにご飯を食うというのは……」
食卓には「普通の白いご飯」も茶碗に盛られていた。
無論、俺の分だけだが。
「食べてね」
「お、おうっ」
炭水化物イン炭水化物!
お好み焼きでご飯を食う、みたいな感じだ。
「キムチのカプサイシンで脂肪燃焼効果もばっちりでしょ」
甘理はもぐもぐと、白い米をこねて筒状にした『きりたんぽ』を美味しそうに食べている。
舌先探偵たる俺が困惑する『きりたんぽ』。
これは甘理がご飯を炊く量をしくじり、間違ったがゆえに、消費しきれず入れたものだろうか?
否――。
そうではない。
ご飯を炊く合数を間違うなどありえない。
毎日三合。二人で食べて丁度いい。それはルーチンワークであり変わらない。
その計算が狂ったのはつまり、俺が飲み会で夕飯をすっぽかしたことで余ってしまったからに他ならない。
原因は俺。
悪いのは俺。
ごめんなさい。
つまりこれは俺が昨夜、連絡をしくじったことに対する復讐にほかならない――。
今夜のメニューは復讐の鍋。
「甘理、昨夜のことは悪かった。ていうか炭水化物のとりすぎで太っちまうだろ」
頑張って大盛りのご飯を食べる俺。
味が濃いので食べられなくはない。
「太ればいいのに」
ぼそっ……と湯気の向こうで甘理がつぶやいた。
「えっ?」
今なんと?
「七味くんも少し太りなさいよ! 炭水化物地獄をとくと味わえばいいわ」
「えぇええ? な、なにそれ」
「先週、いったでしょ。太り気味だって」
「あ、そういえば……」
確か「太った」と言って大騒ぎ。
不味いオートミールの粥を散々食べさせられたっけ。
「なのに昨夜は貴方の分のご飯が余っちゃうし、食材も……。だから、責任とって食べて太りなさいよね」
ぐさっと『きりたんぽ』を取り箸で刺し、俺の取皿に載せてきた。
「そこかよ!?」
「そうよ!」
どうやら先週、自分が1キロ太った云々のほうをむしろ気にして、根に持っていたようだ。
「私だけ太ったら釣り合いが取れないでしょ」
「あぁもう、わかったよ食うよ」
「よろしいっ」
けらけらと笑う甘理。
毒喰らわば皿まで。
飯喰らわば『きりたんぽ』まで。
つきあってやろじゃないの。それで甘理の機嫌が直るなら安いものだ。
<つづく>