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復讐の『キャラメルオートミール』

「ダイエットするから!」

 ある朝のこと、甘理(あまり)が宣言した。


「はぁ」

 ――また(・・)か。

 

 それは突然やってくる。

 数ヵ月に一度くらいの間隔で、唐突に。

 きっかけは決まっている。毎朝、礼拝のように甘理は洗面所に向かう。そこで体重計に乗り表情を変え、一喜一憂。

 そして彼女は「何か」の基準をオーバーすると、まるで神託を受けた巫女のように「ダイエットを!」と叫び出すのだ。


「ダイエットするからね!」

「はいはい、二度も言わなくても聞こえてるよ。でも、ダイエットなんて必要あるの?」

「あるわよ」

「太ってないだろ。そのままでいいよ」

「……! もうっ、そうやって……いっつも甘やかすから!」

 甘理は照れたような、嬉しそうな、それでいて怒ったような複雑な表情で軽くパンチを叩き込んできた。

「いてて」

 俺が言うのも何だが、甘理(あまり)は別段太っていない。どちらかといえば痩せているようにさえ思えるのだが。

 好みの問題で言わせてもらえば、グラマラスな人造美人より、親しみやすい普通体型の、むしろぽっちゃりしているくらいが可愛いとさえ思う。


「今日は朝ごはん食べない」

 ぷいっとそっぽを向く。子供か。血圧の低い日は不機嫌だが、今朝はいちだんと不機嫌だ。


 すぐに「太った」といって、二言目には「もう食べない」と言い始めるのだから困ったものだ。ほんとうにいくつになっても女性というのはよくわからない。


「いや、でも朝飯はしっかり食わないと。なんなら俺が作ろうか。フレンチトーストでいいか?」

「喧嘩売ってるの?」

 ドスの利いた声に思わず震える俺。

「じょ、冗談だよ」

 砂糖とバター、溶き卵で作るフレンチトーストは好きだが、考えてみたらカロリーの(オニ)だった。


「あのね、昨日から一キロも太ったんだよ!? 信じられない、ありえない!」

「それって誤差の範囲だろ。人間は水分量で朝晩体重が違うんだから」

「誤差ですって!?」

 凄い形相で睨まれた。朝から殺気だっている。

「……すまん。人体における何らかの質量変動が計測された、という生理学的な事実は認めよう」

「そういう問題じゃないの。夕べのアレがいけなかったわ」


 思い当たるのは昨夜のこと。二人で映画を観ながらポテトッチプスをつまんだことだ。

 俺はビールを片手に、甘理はお酒が苦手だからとダイエットコークを飲んでいた。それが原因じゃないのか?

 特にダイエットコークは甘い罠。カロリーが相殺されるわけじゃあるまいし。


「やっぱり朝食は私がつくる。低カロリーでヘルシーなやつ。七味くんも食べてね」

「何で俺までダイエットせにゃらなんのだ」

 小さな抗議は全く届かなかった。


 甘理はキッチンで鍋をコンロに置くと、次に棚から四角い箱を取り出した。ラベルは英語で印刷されていて、ハットを被った西洋人の紳士が微笑んでいる。

 中からザラザラと乾燥した穀物(・・)っぽいものを鍋にいれた。乳白色の平べったい麦のようなものだ。

 シリアルいや、あれはオートミール(・・・・・・)か。

 そこに豆乳を注ぎ、二、三分煮込んで火を止めた。


「完成っと」

「早いなぁ」

 ドロドロとした(かゆ)を、二つの皿に分ける。上に、トッピングとして俺の酒のつまみ――ドライフルーツをパラパラと散らす。


「はい、朝ごはんです」

「え、えぇ……?」


 テーブルに(かゆ)の皿が二つ。

 コップには無塩のトマトジュースが注がれた。


「オートミールのおかゆ。すっごくヘルシーで身体にいいのよ」

「だろうね」


 オートミール。

 燕麦(えんばく)、いわゆるオーツ麦を潰して、平べったくしただけの穀物シリアルだ。


 かつては憧れの食べ物だった。

 外国映画なんかでは、必ずといっていいほど、かっこいい外人が朝食で食べている。それを見て子供心に憧れたものだ。


 思い起こせば小学校六年生ぐらいのころ。

 大人の世界や外国に憧れるのは子供の頃の常だが、甘理も俺も例外ではなかった。

 外国映画で食べているシリアル、今思えばオートミールを無性に食べてみたくなった俺は、親に頼んで買ってもらったことがある。

 なんの事はない、単なるコーンフレークだったのだが。

 俺はそのシャクシャクとした味わいに魅了され、夢中になった。

 ご飯と味噌汁とは違う、まるで外国の朝食だ。

 調子にのった俺は、甘理に自慢した。


「朝御飯でシリアル食べたよ、外国みたいだろ」

「えー、いいなぁ食べてみたい」

 甘理の家はバリバリの和食党らしく、シリアルを買ってもらえない、と嘆いていた。

 そこで俺は甘理にコーンフレークをふるまってやることにした。放課後の帰りに家に呼び、「三時のおやつ」として、二人で牛乳をかけて食べたのだ。

「おいしい!」

 まるで花が咲くような笑顔だった。

「だ、だろ?」

 いつも、目の前の幼馴染みに頭の上がらない俺にとって、ささやかな復讐の機会、優越感に浸るチャンスだったのに。嬉しそうな笑顔を見て、どうでもよくなっていた。

 秘密の二人だけのおやつ。

 あの時の味は忘れられない。

 すこしだけ大人の世界に足を踏み入れたような、自分たちが外国映画の主人公になったような。そんな気がしたのだから。


 そんな俺も、今や憧れのオシャレ(・・・・)な朝食を食べるまでになった。


「「いただきまーす」」

「うむっ……」

「……むぅ」

 正直、そんなに美味しいという感じではない。

 口に広がる麦の味、それに温かい豆乳。麦味の豆腐を食べているみたいだ。

 穀物風味は嫌いではないが、料理というよりは、食材感むきだしの、柔らかい種子を食べている感じがする。

 なんというか、思っていたのと違う。

 憧れと現実の違い、とでも言うべきか。

 そもそもあまり味がしない。


「……せめて甘くしようか」

「ダメ、砂糖をいれたら意味がないの」

「苦行か」

 ならば塩味なりがほしい。


 海外ではこれを旨いと食べているのか、仕方なく食べているのか、今となっては甚だ疑問でしかない。

 しかし、甘理のいうとおり栄養バランスはとても優れているのだろう。消化もよく、良質のタンパク質に食物繊維もたっぷり。ダイエットには良いのだろう。


 問題は、しばらくはこれが朝の食卓に出てくることだ。


「朝ごはんはちゃんと低カロリーのものを食べて、お仕事をする。そうしないとダイエットにならないのよね」


 他に方法があるんじゃないのか?

 朝起きたらランニングするとか、呼吸法で脂肪燃焼率を高めるとか。


「あのさ、普通に納豆と味噌汁を食べるのはどうだ? 低カロリーだしダイエットになると思うぞ」

「そうかもしれないけど、オートミールは憧れのハリウッドのセレブ女優も食べてるのよ」

 ウチはハリウッドというより、東映映画村だけどな。

 食卓もシャケと納豆が似合うだろう。


「セレブという柄じゃないし、明日から甘理の分だけでいいよ。俺には気を使わないで」

 優しく、やんわりとお断りをいれる。


「夕べ、私を誘惑したでしょ。連帯責任よ」

「はぁ?」

 誘惑って。映画を観ながらポテチを食べたのは自主的だったはずだが……。

「七味くんも責任をとって」

「ポ、ポテチはお前も喜んで食ってたじゃないか」

 奪い合いになるくらいの勢いで。

「こんな身体にしたのは七味くんだよね、よね?」

「怖い怖い」

 ホラーゲームみたいに真顔で言うな。


 わかったよと嘆息しつつ、味気ない朝食を食べ続ける。


 ……うん、やっぱり麦の味だ。

 オーツ麦の風味に加え、豆乳の大豆風味で全身がオーガニック(?)な大地の恵みで満たされてゆく感じがする。


 ふと、甘理のほうを見ると実に微妙な顔をしていた。

 最後は意を決したように「ふむっ」と皿から口へ、一気に流し込んでいた。

 嫌ならやめようよ。


 ◇


 しかし、それから三日ばかり、オートミールの粥の朝食が続いた。

 翌朝はハチミツを垂らし、フルーツのカットを散らして食べた。甘い感じで美味しかった。


 翌翌日はコンソメ味で細かく刻んだ野菜が入っていた。

 ヘルシーリゾットという感じで美味しかった。


 四日目のは、味噌味だった。

 小ネギが刻んで散らしてある。

 ついに和風に舵を切ったらしい。まぁ、これはこれでありか。味噌味のおじやみたいで美味しいのだが……。

 迷走にもほどがある。

 もはやオートミールの意味があるのか?


「オートミールを堪能したな」

「……そうね」

 甘理は言葉少なに頷いた。

「痩せたんじゃないか?」

「そう?」

 体重は元に戻ったのだろうか。味噌味のオートミール粥を食べきった彼女は、どこか晴れ晴れとしていた。


 更に次の日、ついに普通の朝御になった。白いご飯と塩鮭、なっとう。味噌汁も旨い。

「あぁ、うまいっ、最高だ」

「うんうん、熱々ごはん、おしいね」


 ついに、ダイエットの嵐は過ぎ去った。

 オートミールの攻勢を耐えぬいた。


 しかし甘理は、オートミール料理の迷走を「しくじり」と思い、許せなかったのかもしれない。復讐の機会を狙っていたのだろうか。

 数日後の休日――。


 三時に焼き菓子が出てきた。

 甘く、香ばしい匂いがする。甘理が何やら作りはじめたって思ったら、あっという間にできたようだ。


「おぉ? 美味しそう」

「自信作だよー」

 焦がした砂糖、キャラメルの香りがする。

 四角い小判みたいな大きさの焼き菓子だ。表面は艶のある茶色のカラメルでコーテンングされていて、見た目はざっくりした生地の薄焼きクッキーっぽい。


 コーヒーも二つ淹れたてで湯気をたてている。

 ちょうど午後三時のおやつの時間。さっそくいただくとしよう。


「いただきまーす」

「どうかなー」

 食べてみると、表面のパリッとした食感が心地よく、口のなかにキャラメルとココナツの風味が広がる。

 期待を裏切らない甘さがちょうどいい。

 この生地のしっとりとした感じは……。


「あっ、この生地ってオートミール?」

「正解です。余ったので、お菓子にしてみたの。キャラメルオートミールっていうお菓子」

「へぇ……! 甘くて美味しいなぁ。こういうの好きかも」

「だと思った」

「ていうか、ダイエットはもういいの?」

「いいの。気にしないで美味しく食べたほうがいいの」

「ふぅん?」


 なんだかご機嫌だ。

 体重の規定値を下回ったのかもしれない。


 それにしても、ダイエット食の権化、オートミールをこんなに甘いお菓子にしてしまうとは。 

 三日で諦めたダイエット用の料理の反動だろうか。

 もしかすると、オートミール料理がうまくいかなかった事への甘理なりのけじめ。あるいは当て付けのつもりだろうか。

 オートミールへの復讐? なんて。

 あの粥は実際はどうだったかと自問自答すれば、それなりに食べられたし、不味いわけでもなかった。

 もし、この菓子だけを目の前に出されたら、「しくじり」に気づくことはなかっただろう。

 いや、しくじりと片付けてしまうのは可哀想かもしれない。今回は幸か不幸か、その過程を体験してしまったのだから。


 甘いお菓子のせいか、どうも今日は頭が冴えない。

 女心と甘い菓子。よくわからないことばかりだ。


「これ、コーヒーに合うな」

 甘いキャラメルの味がコーヒーに実に絶妙に合う。

「外国映画のティータイムみたいでしょ」

「はは、まぁな」

 甘理がソファの隣に腰かけた。

 気がつくと、いつか映画で見た恋人同士のように、俺たちは甘い時間を共に過ごしている。


「美味しいものを食べて、幸せそうにしているほうがいい」

「また、そんな事いって私を肥えさせようと……」


「そうだよ、ほらもうひとつ、あーん」

「もうっ……! あ、美味しい」


 甘理は、ずっとあの時から変わらない。一緒にシリアルを食べて、美味しいと微笑んだあの頃のままだ。


「また作ってよ」

「そうね、いつかオートミールが余ったら」


<つづく>

 ◆


『キャラメルオートミール』

バター、砂糖を弱火にかけて

お好みでココナツオイル、牛乳を少々。

沸騰したら火を止めて、オートミールをいれて絡めます。


あとはお皿やプレートで薄く伸ばして、冷えるのを待ちます。

適当に切って、完成です。


 オートミール 約100g

 バター、ココナッツオイル(少々) 約50g

 お砂糖  約35~40g

 ミルク  大さじ三



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― 新着の感想 ―
[良い点] 今回の事件は、オートミールがゆの迷走に端を発したものでしたか。 色々な味付けを楽しめたわけですから、今まで舌先探偵が扱っていた事件とは様相が違いましたね。 それにしても定期的にダイエットに…
[良い点] そうそう、余ったオートミールはお菓子に使うと良いんですよ! 砂糖をけちらず、ちゃんと規定通り使うのがポイントですよね!ww さすがあまりちゃん!やるぅwww キャラメルオートミールより…
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