『ふかしジャガイモ』の完全犯罪
何の予定も無い土曜の午後。
久しぶりに青空が広がった梅雨の晴れ間は、とても心地が良い。こんな日は庭いじりでもしたくなる。
今風に言えばガーデニングというやつか。
窓を開け放し庭を眺めれば、庭木や草花、家庭菜園の野菜が、陽の光を浴びて輝いている。心地よさそうに葉を広げ、すくすくと成長中。少々、雑草も育ち過ぎなのが気になるが。
「そんな七味くんにいい仕事があります」
軍手と草刈り鎌を差し出す甘理。
「やはり俺がやるのか……」
「お庭の草取りをよろしくね。あ、ハーブは抜いちゃダメよ、育てているんだから。お料理にも使うし」
雑草をむしるのは俺の役割らしい。
「わかったよ」
渡された軍手を装着し、鎌を握る。ウッドデッキと嫁が呼ぶ縁側から庭に降り立つと、湿った土と草花の放つ独特の香気が押し寄せてきた。
「私は畑の手入れをするから」
「畑を耕す力仕事と草むしり、虫の駆除は俺なんだな」
「文句言わない。男女平等、分業するのが自然でしょう」
もっともらしく言いながら、甘理も庭へとやってきた。ジーンズに薄手のトレーナー、そして外用のエプロンに麦わら帽子。作業用の長靴。自称、オシャレな週末ガーデナーらしいが、普通に農家の嫁みたいだ。
「畑の野菜が育ってるわ。あ、ジャガイモが収穫できそう!」
嬉々として、家庭菜園のある南側へと向かってゆく。
庭と言っても、自動車を三台並べるほどの広さしかない。
我が家は郊外にある中古住宅の一軒家で、その「おまけ」でついてきたようなものだ。
周囲は閑散とした古い住宅街で、緑豊かな鎮守の森や、水路や畑、田んぼなどもある。街に近いが比較的のんびりとした風景が広がっている。
「やれやれ、雑草も元気に伸び放題だぜ」
「残らず殲滅してね。ハーブは残して」
笑顔で恐ろしいことを言う。それは悪の女帝のセリフだろうとツッコミをいれる。
「ハーブと雑草の見分け方がわからん」
しゃがみこみ、とりあえず鎌で草を刈りはじめる。ザク、ザクッと適当に。
「見てわかるでしょ。あっ、それはアップルミント、ふわふわしてるのがカモミール。そっちがイタリアンパセリ! 畑の縁に植えてあるのがバジルと青じそ、ローズマリー、オケー?」
びしびしと素早く指差しながら、甘理に生存を保障されるハーブたち。
「あぁもう、全部ハーブで埋め尽くせよ」
そうすれば草取りはしなくていい。人間とは勝手なものだ。役に立てば残し、役に立たなければ殲滅する。
すこし哲学の領域に足を踏み込みながら、死刑宣告を受けた雑草を鎌で切り、根を掘り起こす。
悪く思うなよ名も無き雑草たち。ハーブ類は残すようにしてゆくが、毎年勢力圏を拡大しているミントは大丈夫なのか?
そのうち庭がミントで埋め尽くされれそうだ。これで埋め尽くされれば草取りをしなくてもいいのだろうか?
黙々と作業をしていると、日差しと湿度のせいで、とたんにじわりと汗が滲んでくる。
「あつい……」
腰を伸ばしながら家庭菜園の様子を窺う。三畳ほどの広さしかない粗末な畑には、ナスやトマト、キュウリの苗が植えてある。
ホームセンターで買って、二人で植え付けたのだが、花が咲き始めただけで、まだ収穫には早そうだ。
でも、甘理はスコップ片手に何かを掘り起こしていた。
「わぁ、いい感じ。見て、大きいよ!」
無邪気な歓声をあげ、甘理が手に持って見せてくれたのは、ジャガイモだった。
「おぉ!? すごい、ジャガイモだ」
「初収穫だよー」
「いい出来じゃないか」
「あ、ここにもあった」
丸く太った芋が、ころころと地面から掘り起こされてゆく。俺も草取りを中断して、そっちに加わることにした。
なるほど、宝探しみたいで面白い。
畑の横には伸び切って、くたくたになったジャガイモの葉と茎が抜き去られていた。置きっぱなしのゴミ袋の横に積まれている。
梅雨の終わりも近い時季、春植えのジャガイモの収穫時期となる。今年初、家庭菜園の収穫はジャガイモだ。
気がつくとラーメンどんぶりよりも一回り大きな竹カゴに、ジャガイモが山盛りになっていた。
「すごいな、大収穫だ」
「ジャガイモ大成功だよ」
農家の苦労は計り知れないが、家庭菜園でもこうして収穫の喜びが味わえるのは良いことだ。
「鼻の上に泥がついてるぞ」
「わ、美人が台無しっ」
慌てて軍手の甲でこすると更に黒く汚れがひろがった。
「ははは、マンガみてぇだ」
「もう!」
ぷくっとふくれっ面の甘理。
小学生の頃に行った体験農場を思い出す。あの時は、確かサツマイモ掘りだったか。
顔を泥だらけにした甘理が、あの時も同じ笑顔で笑っていたっけ。
とにかく食べたい、と顔に書いてあった。焼きいもにして食べたいと、小学生の甘理はサツマイモを抱き締めていた。
早速だが収穫したてのジャガイモも味わってみたい。
「ジャガバターか、ふかし芋か……。ホクホクしたやつを食べたいな」
「いいわね、おやつで食べちゃおうか?」
「そうだな!」
「……諦めたら終わりだったわ」
「ん?」
「あ、なんでもないわ」
外の水道でジャガイモを洗い始めた甘理。鼻唄混じりにご機嫌の様子だが、最後の一言が気になった。
諦めたら終わり、とは一体何のことだろう。
掘り起こされた畑を何気なく眺めると、ふと、ある疑問が湧いてきた。
さて、いつの間にジャガイモを植えたのだろう?
ナスやキュウリの苗はホームセンターで買って、一緒に植えた覚えがある。だが、甘理は俺の知らぬ間にジャガイモの種芋も買って、植え付けていたことになる。
確かに家庭菜園には最初から空きスペースがあった。
しかし何を植えるかまでは決めていなかった。あとで大根なり人参なり、適当な種をまくつもりだったのだか。あるいは、空きスペースは最初からジャガイモを植えようと計画されていたとしたら?
「ジャガイモの種芋って、いつ買ったっけ?」
「……んー?」
水音で聞こえなかったのか、甘理は曖昧な返事をした。
出張、食卓探偵。
灰色の頭脳が、些細な違和感から、秘密の匂いを嗅ぎ当てる。これは事件だ。探偵の勘がささやく。
ジャガイモの料理が事件なのではない。
料理はまだ出来ていない。
『ふかし芋』の調理をしくじって、ポテトサラダにしました、なんて事件は起こっていないのだ。
しくじりを誤魔化す、甘理のリノベーション料理はまだ実行されてもいない。
「じゃぁ何個か、蒸してみるね」
「ところで種芋をいつ買ったんだっけ?」
「……蒸し器がいいかな、レンジもできるけど」
食い下がったが、質問ははぐらかされた。
俺は確信した。事件はもう起こっている……!
甘理がキッチンへと消えていくのを見送って、俺は現場検証を試みた。
ジャガイモの植えてあった畑、何の変哲もない家庭菜園。怪しいところはどこにもない。
何か手がかりは……と考えると、半透明の「ごみ袋」が放置してあった。町の指定の燃えるごみ袋。春先に苗を植え付けたときに出た、ゴミを入れていたものだ。
透かして見ると、中には苗の入っていた黒やオレンジ色のポリポット、肥料の袋、汚れきった軍手などが詰め込まれていた。あとで捨てようと思って忘れていたもので間違いない。
「む……?」
上の方に、何やら透明のビニール袋が丸められていた。普通のスーパーの値札シールが貼られている。
『ジャガイモ(男爵) 128円』
袋の内側には乾いた土、赤い「特売」の文字も見えた。
販売日は……3月8日。家庭菜園をやろうかと畑を掘り起こした時期よりも一月も前だ。
つまり特売のジャガイモが入っていた袋、とみて間違いない。
「そうか、そういうことか」
謎は解けた。
事件の真相が視えた。
事の発端は、春。3月8日に遡る。
購入した特売のジャガイモが、春の陽気に誘われて芽を出したのではないだろうか。
甘理がそれに気がついたときにはもう手遅れ。食べることが出来ないほど立派に成長していた、としたら?
捨てるだろうか?
無理にでも調理するだろうか?
甘理は途方に暮れたに違いない。
捨てるのは惜しい。しかし調理するには遅すぎる。
袋を破らんばかりに伸びはじめたジャガイモの芽。
流石の料理の腕をもってしても、素材自体が使えないのでは仕方がない。
そこで、完全犯罪を思いついた。
季節的に、ちょうど家庭菜園をしようと、畑を耕していた頃に合致する。
ジャガイモを植えつけて、再生させてしまおうと考えたとしたら……。推理の筋が通る。
無論、農家なら決して行わない、許されざることだ。しかし、家庭菜園だから許される。そんな行為に手を染めたのだ。
嵐の夜、雨ガッパを着込んで、土を堀る人影。
ガカァ! と雷鳴とともに、青白い稲光にジャガイモの死体……いや、芽の出きったジャガイモが浮かび上がる。
食材として使われなかった無念。その失態を逆手にとり、ジャガイモを種芋として植え付け、新ジャガに再生させようと試みるのは、まさにマッドサイエンティストばりだ。
これはもう完全犯罪に他ならない。
妄想を膨らませ、おもわず身震いをする。
「七味くーん」
「ひゃい!?」
思わずビクッと反応し、縁側のほうを恐る恐る振り返る。
甘理がニコニコとこちらを眺めていた。
「ジャガイモの葉も草と一緒に処分してね」
「処分……」
俺はコクコクと頷いた。
俺はゴミ袋を元の場所に戻し、むしった草とジャガイモの葉を積み上げてから、キッチンへと向かった。
探偵物語なら、ここからが見せ場。犯人を呼び出して「真相はこうだ!」と推理を突きつけ、自白させてエンドロール。そんな場面だ。
チーン。
「レンチンで蒸しちゃった。簡単だし。許して」
「い、いいとも」
テーブルの上に置かれた新鮮な採れたてのジャガイモが白い湯気をたてている。
ほかほかのジャガイモは実に美味そうだ。
「美味そう!」
「手を洗ってきてね。あ、何をつけて食べる? バター? それともマヨネーズ?」
満面の笑みを浮かべる甘理。この笑顔を向けられたら、事件の真相究明なんてどうでもよくなるのはいつものことだ。
「贅沢にバターがいいなぁ」
「男爵だから合うよ、きっと」
「そうだな」
確かにジャガバターは美味かった。
ほくっと、口のなかでほぐれるデンプン質。ほのかな土の香り、そしてとろける濃厚なバターの香味と塩気が、からだに染み渡る。
甘理はマヨネーズと塩コショウを振りかけて、かぶりつく。
「「おいしいいいっ!」」
子供の頃から変わらない、甘理の笑顔。美味しいものを食べ、幸せそうなホクホク顔。
だから好きなんだよ、と密かに想う。
それは紫陽花のとても鮮やかな、土曜の午後だった。
<つづく>