『ゆずレモン』と『しるこ』の罠
※1万文字で完結しましたが、書きたいので連載再開させていただきます。
週イチペースぐらいで連載いたしますね★
あれは、高校に入学したての頃だった。
自己紹介が終わり、同じクラスに甘理がいた。
腐れ縁と書いて「運命」と読む。ロマンチックな感傷に浸るよりもまず、始まったばかりの高校生活でアイツがいきなり余計なこと言いやしないかと、内心戦々恐々としていたっけ。
俺たちが入学したのは地元の並の進学校。文武両道、才色兼備、色即是空。難読な崩し習字が廊下に飾られている公立校だった。
新しいクラスメイトの何人かは、甘理の事を見て「大人しそう」「可愛いじゃん」なんて言っていた。
けれど、みんな知らないだけだ。
俺だけが――幼なじみであるが故に――知っている真実を。
彼女の秘めた激情を。
何日かあとの学校の帰り道でのこと。
田植えの終わったばかりの田んぼ道を歩いてゆくと、曲がり角の向こうに、ビニール屋根のかかった自動販売機が置かれている場所があった。横には地蔵堂、カーブミラーに古びた桜の木。散りたての花びらが、ピンクのスポットライトのように周囲の地面を染めている。
「このっ!」
ゴンッ、と鈍い音がした。
甘理が自動販売機を蹴飛ばしていた。
たまたま通りかかった帰り道。俺はそんな場面に出くわした。
と、いうか。家が同じ方向にあるのだから偶然もなにも、必然的に出会う確率は跳ね上がるわけなのだが。
ひらりと躍動的にめくれ上がる制服のスカート。文化部のくせに意外とキレのあるローキックを放っていたのが印象的だった。
あんなのでスネを蹴られたら跳び上がること請け合いだ。
甘理は、自動販売機を敵のように睨めつけている。
肩ですこし息をしている。
切りそろえた髪型はまるで稚児のようだが、本人曰く「おしゃれなショートボブ」らしい。
向こうも俺の存在に気がついたようだ。距離にして十メートルもあるかないか。
「あ……、悪ィ」
すっと目をそらし、その場から足早に通り過ぎようとすると、甘理が血相を変えた。途端に身体の向きを変え、ダッと駆け寄ってきた。
「ひっ」
怖っ!? 蹴飛ばされるかと身構える。
「七味くん!」
「なっ、なんだよ」
「違うの、ホントに」
何が違うのか。
「……自販機に暴行を加えていた場面は見なかったことにする。だから見逃してくれ」
俺は頭を少し下げて通学カバンを肩に担ぎ、歩き出した。
あのローキックを叩き込まれたらたまらない。
「勘違いしないでよね!?」
彼女は咄嗟に俺の制服の袖を掴んだ。
それはツンデレキャラのセリフだろうに。
中学三年の春休みまではメガネっ娘だったくせに、いきなりコンタクトなんかにしやがって。裸眼だと二重で目が大きくて。瞳がキラキラしているとか、少しドキリとしてしまう。
「放せって」
仲良しカップルの痴話喧嘩みたいじゃないか。
遠くから同じ高校の制服を着た、部活帰りの女子生徒たちが歩いてくるのが見えた。それこそ勘違いされてしまうわ。
「これ、あげる」
突然、甘理がペットボトルを俺に差し向けた。黄色いラベルに『ゆずレモン』と書いてある、300ミリサイズの小さなペットボトル。
たった今、蹴飛ばしていた自動販売機から手に入れたものだろう。
犯罪の臭いがしないでもないが、自動販売機の電光掲示板には『まいどあり!』との表示が点滅していたので買ったものでほぼ間違いないだろう。
だが、蹴っていた理由はなんだ?
ちょっとした疑問と謎が残る。
「貰っていいのかよ?」
「うん。間違ってボタン押しちゃって」
甘理がはにかんだような笑みをこぼした。
なるほど。
いきなり謎は解けた。
二秒後に解ける謎なんて、探偵物語なら訴えられそうだ。
間違って飲み物を買った。だからかんしゃくを起こし、蹴飛ばした。
間違って買ったジュース。
己の愚かさに対する、やり場のない怒り。
しかし咄嗟に暴力という行動に移すなんて、意外とヤバイ奴だなコイツ。
それとも年頃の女子はみんなこうなのか……?
いろいろと逡巡したが納得する理由もあったし、貰ったところで共犯者なんてことにはならないだろう。
「くれるなら遠慮なく貰うけどな、サンキュ」
部活見学を終えてきたばかりの俺は、くたくたで喉も渇いていた。
だから――彼女の罠を見抜けなかった。
「熱つ……! って、ホットかよ!?」
ペットボトルはものすごく熱々だった。
真冬仕様並みのホット状態。昼間は初夏を思わせる陽気だというこの時季に。
「やーい」
気がつくと甘理は、一瞬で俺から間合いをとっていた。おのれ術者か貴様。
とはいえ、貰った飲み物に文句も言えない。
熱いのを我慢してキャップを開け、飲む。
「……くそ、熱っちいな!?」
こんな時季になるまで熱々のホット飲料を売りやがって。
自販機を睨みつけると百円コーナーとかかれた段には、同じ『ゆずレモン』のペットボトルが陳列されていた。となりは『しるこ』と『コーンスープ』の缶が仲良く並んでいる。
他の段はコーラやスポーツドリンクやミネラルオォーター。無難にそちらを選べば良さそうなものだが、どれも百円では買えない。
温熱商品ばかりの段が百円のセール品。だったら買う前に気づきそうなものだが、どこにも「ホット」とは書いていない。
詐欺だ。悪質な温度管理詐欺事件だ。
甘理が蹴飛ばしたくもなるのも無理はない。
そうだ。
お礼をしないといけないな。
貰いっぱなしというのは、借りができる。
俺はポケットから百円を取り出し、自動販売機に入れた。
「七味……あの」
そしてボタンを押す。
選んだのは『しるこ』だ。
熱々の『しるこ』を彼女にプレゼントしよう。
ふふふ、これでおあいこだ。
ガコン、と音を立てて商品受けに缶が転がり落ちてきた。ラベルには紫色の文字で『しるこ』と書いてある。手をつっこんでおもむろに掴む。
「――冷てぇ!?」
キンキンに冷えてやがるっ!?
「だから教えてあげようとしたのに……。それ表示が適当だって」
「ちきしょう、こんなことってあるか、金返せ!」
俺は自動販売機に掴みかかった。
「やめて七味くん、みんな見てるよっ」
殴りつけてやろうかと思ったが、甘理の声と『しるこ』の冷たさが冷静さを取り戻させてくれた。
気がつくと後ろを、二年生らしい女子生徒たちがクスクス笑いながら通り過ぎていった。
「ほら、やるよ」
俺は冷たい『しるこ』を甘理に投げ渡した。
「冷たっ」
おっとと…‥と、彼女は落としそうになりつつ缶を掴み取る。
昼間の暑さが嘘のように、冷たい風が吹き抜けてゆく。
「俺は熱いのが飲みたかったんだ」
「私は冷たいのが飲みたかったの」
顔を見合わせて無表情のまま、飲む。
「身体を冷やすのは良くないしさ、ってかむせるほど酸っぱいな、これ」
「うん、これはこれで。冷やし『ぜんざい』みたいで、甘くて美味しい」
同時に目があって、笑みを交わす。
どちらがしくじったかなんて、どうでもよくなっていた。
微妙な後味を感じつつ、分別式のゴミ箱に飲み終えた缶とペットボトルを押し込んだ。
「帰ろうぜ」
「うん」
低い山並みの向こうに沈んでゆく夕映えの空。そこには灰色とオレンジ色に塗り分けられた雲が散らばっていた。
あの頃、ふたり一緒にいればなんとなく楽しくて。
どうってことのない毎日と、ささいな出来事が、俺にとってはかけがえのないものだった。
――なんて。
そんなことに気がつくのは、ずっとずっと先の話。
だいぶ、大人になってからだ。
あれから俺たちは、少しでも進歩したのだろうか。
<つづく>