表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/9

想い出の『パウンドケーキ』

 どこからか甘い香りが漂ってきた。

 香りは時に、遠い記憶を呼び覚ます。


「――七味くん」

 歌うように弾む声がした。

 制服姿の甘理(あまり)がひょいっと顔を覗き込んだ。

 

 ――これは夢……か。


 中学2年のときだ。まだメガネっ娘だった甘理(あまり)。子供の頃から見慣れた笑顔の、大切な友達。


 部活を終え、二人で家路に向かういつもの道すがら。

 空は夕焼け色で、家もまばらな田舎道。自転車が何台か、俺たちを追い抜いてゆく。


 剣道部だった俺、吹奏楽部の甘理。帰り道は今日あった出来事や、ムカついたこと、たのしかったこと、何気ない会話を交わしながら帰ることがあった。ある日、二人で歩いていると甘理(あまり)が思い出したように足を止めた。


「あ、そうそう。いいものがあるんだ」

「なになに?」

 ごそごそとスクールバッグの奥底から取り出したのは、茶色い包みだった。英字新聞みたいな模様が印刷されたオシャレな包み紙だ。


「これ」

「えっ、なに?」

「腹ペコで死にそうな君に」

 おどけながらぐいっと胸に押し付けれられたとき、甘い香りがした。


 開いてみると、中は長方形のカステラみたいな焼き菓子――パウンドケーキだった。長さ十五センチ、縦横は七、八センチぐらいの。


「マジで? くれるの? たべていいの?」

「いいよ、むしろ食べてくれると嬉しい」

 何が()()()なのかわからなかったけれど、空腹だった俺は思わぬ「ほどこし」が嬉しかった。

 飢えた孤児のごとく夢中で貪り食った。

 自動販売機と地蔵堂が並ぶ田舎道、水を張った田んぼには夕焼け色の空と黒い山並みが、逆さに映っている。


「んまっ、んまっ……んがっ」

「ルパン三世みたいな食べっぷりー」

 けらけらと甘理あまりが笑う。


 だって素直に美味しい、と思った。

 しっとりとした舌触りの生地、焦げた砂糖――カラメルの風味が、ほのかなバニラの香りとともに口いっぱい広がる。空腹だったせいもあるだろうが、こんな美味いものを彼女が作ったことに驚くほど、衝撃的なお菓子だった。


「んまっ、んまいっ、うまっ」

「良かった、美味しい?」

 まるで飢えた獣だと、自分でも可笑しくなるほど夢中でパウンドケーキを食べた。


「最高。これ、甘理がつくったの?」

 ほっとしたように、満足げにうなづく甘理(あまり)

 横顔がオレンジ色に染まっている。

「まぁ、たまたま……なんとなく」


「さんきゅーな、美味かった」

 本当は登下校中の買い食いは禁止だったと思う。でも、友達から貰うのは問題ないと勝手なマイルールだった。

 甘い、カラメルとバニラの香り。

 それはパウンドケーキの、想い出の香り。

 

 その後も何度か、同じ味のパウンドケーキを貰ったことがあった。でもその頻度は減って、中学を卒業した後は食べさせてもらっていない。


 懐かしい。この甘い香り……。パウンドケーキが食べたいな。

 

 ぐぅ……とお腹が鳴った。


 そこで俺は目がさめた。


「んが……?」


 日曜の朝、寝坊していたらしい。

 お腹がひどく空いていた。


 晴れ渡った青空が心地良い。

 台所にいくと朝食を終えた甘理が、何かを作っていた。

 オーブンで焼いている。これは……カラメルとバニラの香り。甘い香りの正体はこれだったのか。

 休日なのでスイーツでも作っているのだろう。


「おはよ、朝から何作ってるの?」


 正夢か予知夢か、まさか、パウンドケーキかと、期待を込めて。


「おはよ。これね……プリンだよ」

「プリン?」

 ちょっと拍子抜け。パウンドケーキじゃなかったのか。香りは似ているのに。


「プリンって焼くんだ? 冷やして作るんじゃなかったのか」

「それは売ってる『プリンの素』ね。本格的な手作りプリンは、作ったプリン液を容器に入れて、オーブンで150度。すこし熱を通すの。それから冷蔵庫で冷やすのだ」

 エプロン姿に分厚いミトン。お料理教室みたいな調子で甘理が言う。


「冷やすだけかと思っていた」

 そういえば甘理はプリンが大好物で、ケーキ屋さんのプリンや、喫茶店の拘りの手作りプリンを食べることが多かった。バニラの香りがするミルク風味のプリン、カラメルソースが最高に香ばしいもの。俺も付き合わされていろいろ食べたっけ。


「手作りプリンは意外と難しいのよ。『プリンの素』は小学生で卒業したの」


 小学校?


 ということは中学のころは既に「手作りプリン」に挑戦していた……という事になる。

 ん? まてよ……。


「プリン作りの上手い奥さんなんて、なかなかいないわよー。さ、顔洗ってあさごはんたべちゃって」

「はいはい、そうだね、うん」


 だが、俺ははっと息を飲んだ。


 プリンは焦がしたカラメルソースが必需品で、バニラの香りはお好みで。それらは俺が食べた「想い出のパウンドケーキ」にも使われていた。

 てっきり「そういうもの」だと思って食べていたパウンドケーキ。だけど、その後、市販のパウンドケーキを食べた俺は、シンプルすぎる味にがっかりした。

 甘理の作ったやつのほうが美味しいじゃん! と誇らしくさえ思った。


 ぐぅ……とまた腹が鳴った。


 ブブブブ……チーン。

 オーブンの音が俺の脳髄を揺さぶった。

 ブドウ糖不足で回らない頭が、脳の歯車が音を立てて動き出す。


 プリンが好きな甘理。

 小学校の頃は『プリンの素』を使っていた。

 それが中学になり手作りを始めた、というのは間違いない。

 だけど、最初はきっと失敗したはずだ。

 甘理が言った通り、プリン作りは難しいのだろうから。

 

 なら、失敗したプリンはどうしたのだろう?

 材料は卵黄とミルクと砂糖。

 それは焼き菓子の材料そのままだ。そこに小麦粉、薄力粉、強力粉、何かはわからないが、混ぜて焼けば焼き菓子になるはずだ。例えば、パウンドケーキなどに。


「えっ、ということは」

 

 失敗したプリンは、そのままパウンドケーキの材料になったのではないだろうか?

 中学の頃、何故かもらえたパウンドケーキ。

 餌付けのようにたまに貰えて嬉しかったあの味。


 俺は足を止め、甘理のほうを振り返った。


 彼女はオーブンからプリンの器を取り出したところだった。八個ほどの丸いカップが並んでいる。


「うん、成功。いい感じー」


 満足気に微笑む。


 成功したらプリンになる。

 失敗した場合、パウンドケーキの材料だったことにして、俺に処分――食べさせればいい。

 

 だとしたら、俺は失敗隠蔽の片棒を担がされていた……!?

 プリンの失敗という「しくじり」をごまかし「最初からパウンドケーキを作るつもりだったの」という、()()()()だ。

 証拠を消す役目を、共犯としての役割を、知らずしらずのうちに担っていたのか。

 

 なんてことだ。

 舌先探偵、一生の不覚。

 しかし部活帰りの中学男子、腹ペコだった俺に、彼女の巧妙な罠を見破れと言う方が無理な話なのだ。


 なんという狡猾さ。甘理、おそろしい嫁……!


 だが全ては俺の脳内推理にすぎない。

 しかし、確かめる方法はある。


「なぁ甘理」

「ん?」

「久しぶりにパウンドケーキ食べたい。ほら中学の頃、くれたやつ」


「……あっ、あっ? あ、あれね」

 甘理はほんの少し動揺した。


 パウンドケーキは比較的簡単なメニューのはず。

 だが、もし失敗したプリンが材料に使われていたとしたら、答えは――


「意外と難しいんだよ。あれって材料、揃えないといけないし」

「いいよ、また気が向いたときに食べたいなぁと思ってさ」


「うん! そうだね、いいよ」


「俺にとって、想い出の味なんだ」

「七味クン……」

 甘理の唇が優しく弧を描く。 


 プリン味のパウンドケーキ。

 それは、俺と甘理だけの秘密の味。

 共犯の二人だけが知っている、想い出の味なのだから。


<おしまい>

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] メシテロ×推理モノ=最高! まさか食事と推理モノを掛け合わせてここまで面白くなるとは思いませんでした!
[良い点] 失敗した食材も無駄なくきっちり美味しく使う!主婦の鑑ですね! 推理部分もワクワクしつつ読ませていただきましたし、ほっこり癒される部分もあって楽しかったです。 [一言] 初めまして。アカシッ…
[一言] どうも、はじめまして! アカシック・テンプレートと申します。 昨晩私は、『超少年探偵団NEO』というレンタル映画作品をみた影響で、無性に何か推理モノを読みたくなり、その結果ランキングで見つ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ