『中華ハンバーグ』の謎
外は夕暮れ。
しとしと小雨が降っている。
雨だれの音に湿った土の匂い、元気よく歌うカエルたち。
台所の窓越しに見える西の空はすでに暗く、街灯が点りはじめている。いつもなら綺麗な夕暮れ色に染まる風景が、静かに闇に包まれてゆく。
「明日、どこか景色のいいところに行きたいな」
台所に立ち夕飯の支度をしていた甘理が言った。
俺はテレビのニュースをぼんやりと眺めていた。ちょうど天気予報をやっている。明日、土曜日は雨のち晴れ。
「いいね。でも午前中は雨かも」
「雨でも構わないわ。ついでに買い物もしたいし」
「そうだな、遠回りして行こう」
雨の日は嫌いじゃない。
甘理と二人なら何処に行っても気楽だし、雨の日のドライブもどこか懐かしい感じがする。
なぜ、懐かしいのだろう?
そうだ、記憶を辿れば小学校の頃にまで遡る。学校の帰り道、二人で傘をぶつけながら歩いていた。水溜まりを跳び越え、でんでん虫をみつけては立ち止まる。そんな時間を思い出すからだ。
「……よっと」
台所で甘理が、ステンレスのボールで何かを一生懸命混ぜている。細い肩と結った髪、エプロンの結び目が揺れる。
それにしても今夜のメニューはなんだろう。
「手伝おうか?」
気になって立ちあがる。
「大丈夫、うん。あと一品だから」
「そう? なら適当に呼んで」
「はーい」
甘理は振り向かずにいった。おそらくメインデッシュとなる料理を作っている最中なのだろう。
コンロの上には鍋がひとつ。スープらしきものが既に湯気を立てている。
この香りは……中華スープだろうか。
作業テーブルには平たい大皿が二つ用意され、付け合せの「春雨のマヨネーズ和え」とミニトマトが盛られていた。
なぜ付け合せが分かるかといえば、俺が名探偵だから……ではなく昨夜の小鉢の残りだからだ。
手伝うのは、メインの料理が出来上がってからでも遅くはなさそうだ。ご飯を茶碗に盛り、箸を並べる。食卓の準備は意外と面倒なのだから。
やがてフライパンでじゅー、と焼く音が聞こえ、肉の焦げる香ばしい香りが漂ってきた。
なるほど、今夜はハンバーグだったか。
捏ねたひき肉と玉ねぎの炒めたものを混ぜ、パン粉少々、卵に塩、コショウ。そしてナツメグなどで風味を整えて、小判型にして焼く。俺だってそれぐらいの知識はある。だけど何故か自分でやると「肉のそぼろ」が出来てしまうのだが……。
流石の甘理もそんな「しくじり」は犯すまい。
焼き上がったハンバーグを皿に盛り付ける。すると冷蔵庫からケチャップと赤ワインを取り出して、小鍋へ。更にウスターソースと塩コショウを少々。ハンバーグ用の「なんちゃってデミグラスソース」の完成だ。
だが、甘理はなんとそこに胡麻油を入れた。
「なぜに胡麻油?」
「今夜は中華風のハンバーグなの」
「へぇ! 美味しそう」
「でしょー」
甘理が自信ありげな笑みをこちらに向けた。
俺はソファーから立ち上がり、後ろからのぞきこむ。なるほど、ほんのりと中華風の香りが食欲をそそる。いい感じだ。
鍋のなかで湯気をたてていたのは、ワンタンスープ。白菜などの野菜と、白いヒラヒラしたワンタン。干し椎茸に刻みネギ。それらが溶き卵を流し込んだ、トロみのある琥珀色のスープの中に浮かんでいる。
この組み合わせなら、中華風ソースをかけたハンバーグが合うだろう。添え物の春雨サラダもいい感じ。
「昨日の春雨もあったし、スープもワンタンで、中華風ディナー。いいでしょ」
本場の中国人は怒りそうだが、ローカライズされたジャパニーズ中華風味なのだからこれでいいのだ。
「よいよい、美味しければそれで。よし食べよう」
とにかく俺は腹ペコだ。
食べたい。食べたい一心で食卓を準備する。二人で分業しつつ、スープをお椀に盛り付け、ほかほかの白いご飯を茶碗に盛る。とろみのあるあんかけ風ソースの中華ハンバーグもテーブルへとセッテング完了。
「「いっただきます」」
二人で食べ始める。
「んっ……うまい!」
「美味しいねー」
ハンバーグはボリュームがあって実に嬉しい。口いれると肉の旨味が一杯にひろがった。そこへ胡麻油とコクのあるソースが絶妙にマッチする。ご飯が進む。
もりもりと食べた後で、ようやく中華風ワンタンスープへ。こちらも美味しい。煮込まれた野菜に、出汁の利いたスープ。白いワンタンの生地がつるつるとして舌触りもいい。
だが――、
違和感に気がついたのはハンバーグを再び口に入れたときだった。一口目は空腹で、とにかく食べ物を、と原始的な本能が知性を邪魔していたのだ。
自称、舌先探偵としての勘が動き出す。
「……野菜多めのハンバーグなんだね。これ……ニラとショウガの風味がする」
「そりゃ、中華風だもの」
「なるほど、そっか」
決して不味いという意味ではない。
ハンバーグの断面から、刻まれた緑のニラが見え隠れしている。言われてみればその通り。普通のハンバーグはタマネギを炒めて混ぜるが、これは中華風。だからニラとショウガを混ぜていても何ら不思議ではない。
「七味クン」
テーブルの向かい側で甘理が微笑んだ。
「んっ?」
「美味しいよね?」
「そりゃもう、いいね中華風」
「だよねっ」
念押ししてくる甘理。つまりこれ以上詮索するな、という意味だろうか。
裏を返せば、この料理には何か秘密が隠されている……!
ということなのだろうか?
食卓に隠された謎。
これを解き明かしたい衝動に駆られる。
ただし、解き明かしたところで何の徳にもならないばかりか、場合によっては夫婦間に亀裂を生む。まぁ、素人にはお勧めできない。
平静を装いつつ状況を整理する。
今夜のメニューは中華風。統一感もあって、何ら疑わしい点はない。最初から仕組まれていたようなメニューに食材の数々。
先日のような「肉じゃがを失敗しカレーにした」というような、犯行を隠している感じもしない。
つまり事件さえ起こっていない事件……!?
推理小説なら「密室が準備され、完全犯罪も可能ですが、誰も死んでいません」といっているようなもの。
話がそもそも成り立たない。
事件が起きていなければ、探偵は活躍できない。
違和感の正体と謎を解き明かせぬまま、舌先探偵は負けてしまうのか……。
これはちょっとしたピンチだ。
……とはいえ顔色ひとつ変えない俺。
ずいっと、中華風スープをもういちど口にする。
具だくさんの美味しいスープ。ワンタンを箸でつまみ上げるとつるりと逃げた。薄く、角のない丸い麺のよう。
ん?
「ワンタンって……丸いっけ」
「――!」
甘理の顔色が一瞬、かわった。
そうだ、カップワンタンなどの場合、中央に肉をこねた小さな餡が入っていて、それを三角形に閉じている場合がある。
でもこのスープのワンタンは白く丸い麺のよう。
つまりこれは、餃子の皮――!?
俺ははっと息を飲んだ。
点と点が繋がってゆく。
ハンバーグ、中にはいったニラ、中華風ソース、ワンタン。そして問題がないのに感じる違和感の正体。
これらが導きだす答え、それは――
「例えば、ドライブの目的が買い物だとして」
甘理が静かに語り始めた。
何を、何を言っているんだッ……!?
これは犯行を自白する前の、よくある前フリなのだろうか。
「あっ、うん、目的ね」
上の空で答える俺。
「その道の途中でいい景色を見つけたり、素敵なお店に出会えたりすると嬉しいじゃん」
「そ、そだね」
「目的地が最終的にちょっと違っても、良かったって思えたらそれでいいと思うんだ」
「……え、甘理……?」
「お料理も……同じだと思うんだけど。七味クンはどう思う?」
同じ?
違う気もするが、同じ……?
なんだか言いくるめられた。
具材はすべて揃っている。挽き肉、ニラ、そして、餃子の皮。
ワンタンは本来四角い、だがギョウザの皮は丸いのだ!
これがヒントになり、謎は解けた。
つまり真相はこうだ。
本当は今夜のメニューは「手作り餃子」の予定だった。
餃子の餡がハンバーグに変わり、餃子の皮がワンタンの代わりになった。
しかし、俺が真相を暴いたところで何になる?
甘理がドライブの話を持ち出した理由がおそらくそこにある。
目的地が違っても、結果的に良かったと思えたらそれでいいじゃない、と言いたいのだ。
美味しく食べてお腹も満たされた。食材は余すところなく使われた。甘理も最初から「こうするつもりだった」と自分を納得させている。
だったらそれでいいじゃないか、と自分に言い聞かせる。
結局、真相は闇の中だ。
状況証拠だけでは、核心には迫れない。
男女の間には、そのままにしておいたほうが良い謎もあるのだ。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
俺は完食し、箸を置いた。
「良かった。お風呂、沸かすね」
そうだ、今夜は一緒にお風呂にはいるというのはどうだろうか。それで水に流そう、そうしよう。
外は雨。
けれど明日はきっと晴れるだろう。
<つづく>