『和風カレー』の謎
「美味しい?」
テーブルの向こうから、妻の甘理が聞いてきた。
愚問である。
「おいしいよ、もちろん」
素直に頷く俺、七味。平凡な会社員、25歳。
俺は料理に文句など決して言わない。
何故なら、料理は「愛」だ。
少々見た目が怪しかろうが、色や形が悪かろうと、美味しく食べる。
例えハンバーグが真っ黒に炭化していようとも、コロッケが破裂して衣だけになっていようとも、必ず感謝を口にしてたいらげる。
そもそも、愛する嫁が作ってくれる料理が不味かろうはずがない。
少なくとも俺がキッチンで作る料理「もどき」に比べれば、百倍もマシなのだから。
美味しく食べてほしい、喜んでほしい。そんな気持ちこそが最高の隠し味。
真実の愛はそこにある……! はずだから。
「喜んでもらえてよかった」
甘理は柔らかな笑みを浮かべ、スプーンに載せたカレーを口に運ぶ。
美味しそうに食べる彼女の顔をみていると、こっちまで幸せな気持ちになる。昔から甘理は、なんでも美味しそうに食べるやつだった。
俺たちは新婚一年目。
ほやほやの……と修飾詞が付きそうだが、俺たちの付き合いは二十年以上にもなる。
妻の甘理とは、いわゆる「幼なじみ婚」というやつだ。同い年で同級生。
幼稚園、小学校、中学高校。そして大学まで一緒で、つかずはなれず、紆余曲折こそあったが腐れ縁をこじらせた結果、こうなった。これが運命だったのだろう。落ち着くべきところに落ち着いた、まぁ俺はそんなふうに納得している。
地方都市の郊外に中古の一軒家を買い――といっても築五十年に手が届く昭和レトロな物件だが――慎ましく暮らしている。
さて話を食卓に戻そう。
今夜のメニューはカレー。子供の頃から好きだったカレー。食べ慣れた家庭の味。
よく見ると俺の皿はニンジンが多め。対面の甘美の皿にはほとんど入っていない。そういえば小学生の頃、甘理は給食で出されるニンジンが苦手だった。
カレーには何故かニンジンが沢山入っていた。栄養士さんの愛情なのだろうが、子供にすればいい迷惑だ。給食を食べられず困っている甘理を見かねた俺は、「好きだから貰うぜ」とか言ってニンジンを食べてあげたっけ。
子供の頃から妙に気を使っていた俺。
今にして思えば、あれは誤解を生みかねない発言だった気もするが、まぁ今さらの話だ。
ちなみに正直に言えば、別にニンジンが大好きってわけじゃないのだが、そこは察してほしい。
「今日も上手にできたなぁって思う」
「うんうん、上手上手」
自分を誉める自己肯定感の塊のような甘理に、適当に相づちをうちながらカレーを口に運ぶ。
煮込まれた豚肉と、ほくほくのじゃがいも、柔らかく甘みのある人参とたまねぎ。それら食材がカレーのルーで煮込まれている。複雑に混じり合ったスパイスの香りが食欲を引き立てる。
市販のルーに何か隠し味でも混ぜているのだろうか。口当たりは優しく、食べなれた感じがする。
口の中に拡がるスパイスと具材の旨味だけじゃない、何かこう……もっと別の。
「……ん」
コンニャク……?
カレーの中に細いコンニャクが交じっていた。
いわゆる「しらたき」というやつだ。気にしなければ気にならないが、確かに刻まれたこんにゃくが交じっている。
最初は玉ねぎの繊維かとおもったが、違う。
「七味クン、カレー大好きだもんね」
「おう、朝昼晩でもいける」
「楽でいいわ」
流石に朝昼晩は冗談だが、甘理ならやりかねない。
だが――。
何だろう、この妙な違和感は。
甘理はセミロングの髪を一つに結わえ、シンプルな普段着姿で向かい側に座っている。
観察するがとくに気になる部分はない。
女性は美容院で前髪を3ミリだけ切ってみたり、色を染め直したりするので油断ならない。気がつけと言う方が無理難題だが、気づかないと不機嫌になるから困ったものだ。
見飽きるほど見てきた彼女だが、いまでも普通に可愛い。愛嬌のある飽きのこない顔。例えるなら和食顔だろうか。
視線を転じると、キッチンというより「昭和の台所」といった感じの食卓の周囲も変化なし。古民家の天井は多少すすけている。共稼ぎなので中古物件はしょうがないが、もう少しシャレた家にすればよかった。
網戸越しにカエルの声に交じり、夏を告げる虫の声がかすかに聞こえてくる。
何も変わらない日常風景。
だが、そこでついに違和感の正体に気がつく。
食卓に並んでいるのは、カレーの皿。
そして焼き魚にお豆腐のお味噌汁。新鮮なイワシの塩焼きが細長い皿にのせてある。
なにぃ……!?
推理ドラマならカメラワークの妙、小説なら叙述トリック。今までカレーにばかり気をとられ見えていなかった。
何故にカレーというメニューに、焼き魚と味噌汁を組み合わせたのか。ここに謎が生まれ、食卓は一気に事件の臭いがする。いや、カレーに混じる焼き魚の匂い、だが。
「……賞味期限の関係なのよ。気にせず食べて」
俺の視線に気がついたのか、甘理が味噌汁をすいっとすすりながら言う。スプーンを箸に持ち替え、イワシの横腹に突き刺し、切る。
まるでミステリーの演出だ。
「お、おぅ」
嘘だ。
甘理は嘘をついている。
これは嘘をついている味だぜ……!
明らかにカレーに焼き魚と味噌汁はおかしい。
計算高く、食材を無駄にしないのが彼女の流儀。昨日と今日の料理の組み合わせと、食材を無駄にしないようにメニューを考えるはず。
味噌汁も2日分食べられるように多めに作るのが、いつものパターン。ということは、今夜も「味噌汁がある」ことを前提にメニューを組んだはず。
なのに魚の賞味期限が切れた……だと?
抜け目のない甘理が「しくじる」はずがない。
――はっ!?
しくじり。
そう、それは甘理の行動を紐解くキーワードだ。
カレー色に染まっていた脳細胞が動き出す。
「このカレー、隠し味とかあるの?」
ストレートに聞いてみる。
探偵が「この事件現場のトリックは?」と容疑者に聞いているに等しい。
「えへへ、なんでしょう」
くそ、可愛い顔ではぐらかしやがって。
「んー? しらたき、入ってるよね」
「あっ、気がついた? 賞味期限がヤバくて。煮物に使おうと思っていたんだけど。変……かな?」
「うんにゃ、大丈夫」
平静を装う俺。
だが、またしても出たな賞味期限。そのセリフは免罪符のように使われるが、何かを誤魔化す隠れ蓑にもなりうるのだ。
カレーに「しらたき」を交ぜようという発想。
普通ならそこに至らない。煮物に使おうとしていたのなら、別の料理に使えばいい。例えば……ええと。
まてよ、煮物?
煮物と言えば醤油味、野菜や肉を煮込んだもの、例えばすき焼き、おでん、和風のお芋の煮っころがし……なんかを連想する。
でもカレーも煮物だよな?
煮物の材料ならジャガイモに肉も使う。それはつまりカレーと共通の材料、ということだ。
甘理は二日分のメニューを繋げて考える。ならばジャガイモとしらたき、ニンジンを使うメニューを別に考えていたんじゃぁ、ないのかっ?
「それと、今気がついたけど。この肉、薄切り肉なんだね」
それが謎の核心を突いていたのだろうか。
甘理の箸が止まる。
「七味クン」
ゴゴ……ゴゴゴ……と遠くで遠雷が鳴った。湿った空気が窓から忍び寄り、室温が下がった気がした。
「はい」
「美味しい?」
「そりゃもう、美味しいよ」
「ならいいじゃない」
幕引きを図る甘理。
疑いは確信へと変わる。
そして、点と点が繋がってゆく。
舌先で感じるものを並べて行く。
しらたき、薄切りの肉、よく煮込まれたジャガイモとニンジン。そして……仄かに感じる、醤油の風味。
何よりも不自然な和食のサイドメニュー。
焼き魚にお味噌汁。
ごくり。
「もしかして肉じゃがの予定だったんじゃ」
思わずつぶやいた一言に、甘理は泣き崩れ……はしなかった。
「あっ……味付けに失敗したからってカレーのルーで誤魔化したとか、そそっ、そんなことあるわけないじゃない!」
図星か。
自ら白状しやがった。
肉じゃがを作る材料。それはカレーの材料と被っているのだ。抜け目の無い甘理は、材料を共通化し、初日は「肉じゃが」翌日は「カレー」にしようと考えたのだろう。
だが、根本的に甘理は不器用だ。努力は認めるが時に失敗する時もある。
計画は思わぬ「しくじり」により頓挫。その犯行を誤魔化すため、急遽カレーのルーを投入。肉じゃがを和風カレーに作り替えたのだ……!
これがこの謎の真相だ。
ドーン、という雷鳴を背に「事件の真相はこうだ!」と、名探偵よろしく全てを明らかにしてやりたいところだが――
「和風カレーでも別にいいよ」
「……っ! べっ、別にそういうんじゃないんだから、勘違いしないでよね、七味くん」
相も変わらぬツンデレ幼なじみ。そんな甘理に免じて、ここは幕引きとしておこう。
「美味しいよ、うん」
今夜は和風カレー。それでいいのだ。
<つづく>