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8話:田園調布の上客攻略2

 その後、真田課長と池田が、新規顧客先の訪問を開始し、12件の新規保険契約の内諾をもらい、大喜びしているうちに、12月が過ぎ1999年を迎えて3月に最終確認を取りに行き、4月から予定していた新規12件の生命保険新規契約を取ることができた。1998年の業績は対前年30%と大幅な伸びで伸び率、全国の営業所トップで表彰され多額のボーナスと報奨金を手にできた。1999年も、世田谷マダムのグループと鍋島家と泉家との付き合いを欠かさず、毎年数件の契約をもらっていた。


7月、10月の世田谷マダムの河口湖のテニスや冬場2月のグアム旅行に付き合い5-10件の新規契約をもらった。2000年も2月10日に真田課長と共に世田谷マダムのテニス、ゴルフに付き合い、今回は、特に観光する場所を調査しておいて、招待すると喜んでもらえた。2000年4月を過ぎると、日本のネットバブルが崩壊して一気に不景気になり、7月、10月の世田谷マダムの河口湖のテニスや、冬場2月のグアム旅行が中止となった。


その後、新規の契約が取れなくなり、頻回に訪問しても、なかなか新規の契約が取れないどころか、「もっと安いプランに替えて」とか言われる始末で、苦戦の連続、追い打ちをかけるように、一番、仲良くしてくれた鍋島恒夫さんが脳梗塞で倒れて入院したとの連絡が入った。そこで病院にお見舞いに行くと、面会謝絶で、会えなかった。翌月も病院を訪問したが面会を拒否され会えなかった。


 そうして得意先が、一挙に、減ってしまい、業績の低迷し始めると、東京営業部の鮫島太一部長が世田谷営業所に来て、池田君どうしたんだ、業績が落ちてるじゃないかと言われ、事情を話すと、理由はわかるが、こんな時に、「何とかするのが池田君じゃないか」と言われ、来年こそは、挽回しろよとハッパをかけられた。そのうちに2000年年末を迎え、結局、池田、個人では新規開拓が2件で契約解除が2件、営業全体では新規開拓8件で契約解除が12件と大きく負け越した。


 やがて2001年となり2001年1月5日新年の挨拶に、アポなしで鍋島家を訪ね、新年の挨拶しようかと思っている時、玄関ドアが開き、奥さんと半身不随の鍋島恒夫が出て来て、痛々しく装具を付けて出て来て、リハビリのための散歩に出るところに出くわし、思わず、鍋島恒夫さんに、お久しぶりですと、挨拶すると、鍋島恒夫さんが、きょとんとして顔で、こちらを見た。すると奥さんが怒ったような声でアポも取らないで突然来るなんて、礼儀知らずも程があると言った。


 「鍋島は、今、病気で、記憶も失ってるのよ」と池田を叱りつけた。その勢いに負け、失礼いたしましたと言い、その場から逃げる様に立ち去った。泉家に新年の挨拶に行った時、奥さんに鍋島さんの具合はどうかと聞かれたが、面会謝絶で分からないと答えると、うちでも面会をお願いしても、「病気が完治しなくて記憶も戻らないので、遠慮させて下さい」と、言われるばかりで、わからないのよと困っていた。

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