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41話:(最終章)仲むつまじい人生の伴侶

 2017年11月30日、羽田から台北へ飛行機で飛んで最初に、台北からタクシーで1時間半かかる、北部海岸近く、新北市の金宝山にある墓園にあるテレサテンの、お墓、鄧麗君・テレサ・テン紀念公園 へ行き、墓参りをすると墓園には、絶えずテレサ・テンの歌声が流れていた。池田松男は、辛いとき、悲しいとき、テレサ・テンの、あのなんとも言えない優しい歌声に癒やされ再び立ち上がる勇気をもらったので、その歌声を聞いたとき、思わず涙がこみ上げてきた。次に、台湾の観光名所、九份へ到着した。その姿は、まさに、「千と千尋の神隠し」の世界観、そのものだった。 


 翌日、台北の郊外の秘湯温泉、陽明山国家公園でゆっくり風呂に入り、美味しい食事を楽しみ、台湾で有名な、士林夜市を見物した。翌日に台北から列車で1時間の十分で台湾の天燈、ランタン飛ばしに、興じ、一生の思い出になる様な気がした。帰りは、2017年12月4日・火曜、台湾・台北・基隆→12月7日・金曜に橫浜港に到着のクルーズ船の旅を予約していた。その、クルーズ船に乗船すると、偶然、鍋島恒夫さんと君子さんの夫婦に、お会いして、挨拶した。


 2000年12月に脳梗塞で倒れ、生死の境をさまよい何とか生き延び、翌年、記憶を失ない大変でしたが、2001年4月に東京の病院からの紹介で厚木市郊外の七沢リハビリ病院に転院し、約1年の厳しいリハビリ訓練と自然環境に恵まれた所で、のんびりとした、環境のお陰で、過去の記憶をすっかり取り戻し、一人で着替えたり、出かけることができるようになったと、教えてくれた。

 

 脳梗塞から17年、元気でやってますと言い、池田松男さんには、あれだけ世話になっておきながら、2001年1月の年始の時、気が動転して、どうして良いかわからなくなり、あんな失礼な事を申して上げ、ごめんなさいね。今でもその時、

「松男さんの寂しそうに去って行く姿を今でも、はっきりと覚えてる」と詫びた。

 鍋島さんが、どうだ元気かと、池田松男の肩をたたき、再会をとても喜んでくれた。最近は、寒いときに、暖かい所へ行ったり、今回みたいにクルーズに参加したりして、人生を楽しんで暮らしてると、笑いながら言った。


 鍋島さんの奥さんが、「池田松男さんは、仕事熱心で、女っ気、無かったのに、こんな、お若く、綺麗な方と、一緒になられたのね」というと、言った。すると、幸恵さんが、いや、私が、若くして、亭主を交通事故で突然、亡くして、飯能の田舎の安井アパートに引っ越して、小さい子を2人を家に置いて、朝から晩まで、働いているときに、この池田松男さんが、

「私の子供達に無償で料理を作ったり帰るまで面倒みてくれた。私には、すぎた人です」と涙を流しながら話した。


 鍋島恒夫さんが、

「彼は、そういう、優しい奴なんですよ」と、言い、鍋島君子さんも、

「本当に人に好かれる素質のある素晴らしい方だわ」と言うと、池田松男が

「照れるじゃないですか」と、笑いながら言った。そんな、話をしていると、今まで、曇って、雨でも降りそうになっていた空が、まるで、4人の、この先の人生の歩む道を照らすかのように、急に雲が切れて、突然、素晴らしい太陽が、現れ、眩しいばかりの光が、甲板に、差し込み、神々しく輝いた。(終了)


読破ありがとう、今後のために感想を書いて下さい宜しくお願いします。


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