11話:奥武蔵野へ隠居と可愛い来客
その後、池田松男は、東京での生活から、埼玉県の自然豊かな東飯能の町に引越し、ひっそりと生活を続ける事となったのが、51歳の夏、2001年9月、東飯能、家賃、月4万の2LDKアパートに引っ越してきて、暇な、1日を過ごし続て、日常生活に飽きた頃、近くのアパートに、シングルマザーの佐藤幸恵さん、34歳と、その子供さん、佐藤孝夫14歳と妹の恵子12歳が近くに引っ越して来た。学校から帰ってきた午後、佐藤孝夫と恵子さんが、1人でいる池田松男を見て、おじさん何やってるのと聞くので、
「働き過ぎたから、休んでいると言うと佐藤孝夫が、ゆっくり休めて羨ましい」
と言い、池田松男が、
「働かないと、お金が入ってこないし、そんなり楽じゃよー」と言うと、不思議そうな顔をして見ていた。
池田の人なつっこい笑顔と子供好きの性格もあり、その2人の子供がなついて、
「母が、帰ってくるまで、おじさん所で、待っていて良い」と聞いたので、構わないよと言い、宿題をしたり、おやつや夕食を一緒にとるようになった。母の佐藤幸恵さんは、朝から夜8時頃まで、働きづめの生活で、居心地の良い池田の家に、そのうち、2人の子が入り浸るようになった。しかし池田が、嫌な顔一つせずに、子供達を可愛がってくれるので、子供達も遠慮なく甘えていた。
また、池田が、今まで見た事のないパソコンを持っていたり、料理が上手だったりして、子供の目には、興味深く映り、文句一つ言われないので、我が家の様にくつろげたのだろう。 そんなある日、FMVデスクパワーと言うパソコンを使って、日本株投資をしている所を見て、長男の佐藤孝夫がパソコンに興味を持ち、また、彼が、数学の計算が得意で、株の売買の画面を食い入る様に見ていた。それを見た池田は、インターネットで、株取引をしている現場を見せると、すごいね
と驚いた様に言った。
池田松男の料理が得意で、いろんな料理を作って、子供達が、夕食をご馳走になる様になり、母が仕事から帰る夜8時頃まで池田の家にいた。池田は、1人で、ぽつんとしているよりは、にぎやかな方が好きで、得意の中華料理、餃子、回鍋肉、青椒肉絲。圧力鍋を使った、鶏手羽煮込み、豚の角煮などを多めにつくっておいて、彼らが来るのを楽しみにしていた。
すると、佐藤幸恵さんが、仕事から帰ってきて。いつも申し訳ありませんと言って、一緒に夕食をとる様になり、いつもニコニコしながら、無償で夕飯を食べさせてくれる池田松男に、いつも、すみませんと言った。ある夏の日ビールを飲みながら、佐藤幸恵が、自分の身の上話をし始めた。 彼女は、関西出身で、実家がお好み焼き屋をして、店が繁盛して、裕福な子供時代を過ごして、名門女子校を出て、順風満帆の青春時代を送っていたが、お父さんが積極的に店を拡大して、アルバイトを雇って30店のお好み焼き屋が盛況だった。
しかし、夏の暑い日、店で、食中毒が起き、腹を壊した相手が、ヤクザ風の男が因縁を付けて、最初は、多額の賠償金を取られ、続いて、弁護士と称する男が出て来て、訴訟を起こしぞと脅かされ、言葉巧みに、店の買収の同意書にサインさせられて、会社ごと、乗っ取られてしまった。それから奈落の底に落とされてしまい、大阪を後にして、埼玉の郊外に家を借りて、細々と、小さな、お好み焼きやを始めて2年して父が突然、脳梗塞で倒れて、半年で心筋梗塞になり、あっけなく亡くなってしまった。
その後、母1人子1人の質素な生活を強いられ、私も、近くのスーパーで働き、数年後、そこのスーパーの店長と仲良くなり、結婚して子供と2人儲け、これから幸せを掴もうと頑張っていた時、突然、旦那さんが交通事故の巻き添えで亡くなり、若くしてシングルマザーになったと、涙ながらに、身の上話をした。そこで、池田松男も自分の人生とトップセールスマン時代の事、2000年からの不況で、部下を解雇しろとの命令に、嫌気がさして、早期退職した話を打ち明けて、意気投合した。