ミラーリング
好きな銘柄なのか、と聞かれて少し戸惑った。
酒でもたばこでもない、ミネラルウォーターの話だ。そもそも俺はそういうものを嗜むことのできる年齢じゃない。質問してきた相手もだ。
「好きか、と聞かれてもな……どうなんだろう」
曖昧な返事をする。好き嫌いで買っているわけではないし、水の微妙な味の違いなど気にしていない。
「じゃあなんで毎日それ飲んでるの?」
そう言われてみれば確かにそうだ。
なんとなく目に付いた銘柄を買って、その後はずっと同じものを飲み続けているのはなんでだ? まあ、それ自体が悪い事ではないはずだが、気にし始めてしまうとモヤモヤしてしまう。
「この水を買い始めた理由か……」
もう一度考えてみる。
そんなに前からではないはずだ。少なくともここ数ヶ月以内の話だと思う。もっと前までは水よりお茶やスポーツドリンクなどを飲んできた気がする。なにか、最近心変わりする何かが……
「あ……」
思い出した。そういえばそうだった気がする。いや、たぶん、きっと。
視線を上げると、不思議そうな友人の顔。そうだ、こいつが原因だ。
「ん? どしたの?」
「お前だ」
「へ? わ、私?」
突然話を振られてうろたえる友人。なにがなにやら、といった体であたふたしている。なんというか、見ていて飽きない。おもしろい。
「お前が飲んでいたからだ。それで気になって飲み始めて、それからずっと飲んでる」
「な……な……」
お望み通り理由を答えてやったのに、友人は硬直して動かなくなってしまった。心なしか顔も赤いが、なにか変な事を言ってしまったのだろうか……。
こちらも困ってしまってなんと続けたら良いものやらと悩んでいたら、深呼吸した友人は勝手に落ち着いて今度は満面の笑みを浮かべた。びっくりしたら急に動かなくなったり、ころころと落ち着きなく表情や仕草が変わる様子はまるで……
「……たぬきだな」
昔うちの庭によく遊びに来ていたたぬきに似ている、と思った。聞かれてしまったら怒られそうなので心の中でつぶやいたつもりだったが、小さく声に出ていたようだ、反応されてしまった。
「ん? たぬきがどうしたの?」
「いや、なんでもない」
どうにかごまかすと、あっさり引き下がってくれた。あぶないあぶない。
「まあいいや、私もそれ飲もうっと」
そのまま少し離れたところにある自動販売機のところまで歩いて行ったが、財布をのぞき込んだ後にポケットをごそごそと探っている。金が足りないようだ。
「いくら足りないんだ?」
「十円!」
それぐらいならと財布を開いてみたが、生憎と俺の方も札しか残っていなかったので、それを伝える。
友人はすごすごと俺のいるベンチまで戻ってきて隣に腰を下ろした。予想以上に落ち込んでいるようだ。
「そんなにへこまなくてもいいだろ、ほら」
飲みさしで悪いが、と前置きして、ハンカチで飲み口を拭ってからペットボトルを差し出すと、友人は再び硬直した。
「な……な……」
「飲まないなら別にいいぞ」
そう言って水を引っ込めようとしたら思いっきり腕をつかまれた。
「の、飲む! ちょうだい!」
最初から素直にそう言えば良いのに。
うまそうに喉を鳴らす友人を見ながら、やはりたぬきみたいだなと思った。
好きな銘柄なのか、と聞かれて少し戸惑った。
酒でもたばこでもない、ミネラルウォーターの話だ。
「好きか、と聞かれてもな……どうなんだろう」
曖昧な返事をする。好き嫌いで買っているわけではないし、水の微妙な味の違いなど気にしていない。
「飲み会は乗り気じゃない、たばこも吸わないお前が、なんでその銘柄ばっかり飲んでるのか気になったんだよ」
そう言って同僚は腕を組んで見せた。くそ、変なところに気づくやつだ。ちらりと腕時計を見ると、昼休みの時間にはまだ少し余裕があった。
「……笑うなよ」
「ってことは、面白い話なんだな? よし聞かせろ!」
予想以上の食いつきだ。しまった、余計な事を言うんじゃなかったと後悔してももう遅い。一度口から出てしまった言葉はもう引っ込められない。観念して白状するかと覚悟を決める。
「高校の頃の話だよ、嫁にも同じ事を言われてな……」