8.俺の名前は
「婆さんに話を聞くのが、一番早いだろ。
何故しない……!」
「勿論、聞いたわよ。
でも、はっきりした答えを得られなかったの。
お婆さんは、死角から突然刺されたし、その後はショックで、気を失っていたからね。
倒れ込む時に、小町の顔を傷付けたんだけど……位置からそう推定出来たの……本人は、覚えていなかったわ。」
「チッ……!
役に立たない婆さんだ……!」
蕗屋の、優等生の仮面は、とっくにはがれ落ちていた。
汚い本性を現しながら、必死に無罪を掴み取ろうとする様は、野良犬がドブの中で、必死にもがいているようだ。
……しかし晃は、猫を被っていた蕗屋より、今の、泥にまみれた蕗屋の方が、よほど信頼出来ると感じた。
その後も次々と、粉雪は物的証拠を挙げていった。
勿論、蕗屋はそれらに反論したが……
その度に、[小町の顔の傷]について発言した事がネックとなり、やりこめられてしまった。
尚、粉雪は口や書類だけではなく、証拠自体をきちんと用意していた。
だから、蕗屋が
「証拠を出せ! 証拠を!」
と言う度に、尋問室の外から、待ってましたとばかりに、証拠品を持った警察官が現れるのだ。
これには、蕗屋も参ってしまった。
次第に反論しなくなり、ただ肩を震わせるに至った。
「……粉雪さん。
貴方はどうして、こんなに大量の、書類や証拠を……?」
そう尋ねたのは、支倉だ。
「貴方は昨晩、南京町でこそ泥を、捕らえていましたよね……?」
粉雪は、愛想良く答えた。
「私、警察の方々とは、仲が良いんです。
だから、あれこれと指示を出すと、皆さんテキパキと、働いて下さるんですの。」
これが、粉雪が短い時間で、大量の仕事をこなしてみせた、カラクリである。
「……他の人に見せられる形で、書類や証拠品を用意したのは、警察の方々ですけれど……
その前の推理は、勿論、私自身がしましたよ。」
笠森は、それに大層感心した。
「いや~!
粉雪さん、貴方は適材適所を、良く分かってらっしゃる。
支倉、お前も参考にするんだぞ。」
「はい、笠森判事。」
「……ええいッ!!」
突然、蕗屋が怒鳴った。
「こうなったら……
もう、洗いざらい、話してやるッ!
俺は、蕗屋清四郎では無いッ!
蕗屋清一郎だッ!!
清四郎の、3代前の祖先……つまり、ひい爺さんだ!!」
全く予想していなかった、蕗屋の言葉に、一同は黙ってしまった。
蕗屋は、一人一人の顔を見回した。
「お前ら……[心理遺伝]って、知ってるか。
子孫は、[特定の条件]を満たす事で、祖先をその身に宿すんだ。
……知らない奴は、『ドグラ・マグラ』を読め。
そこに書いてあるから。
……俺は、清一郎としての人生を終えた後、暗闇で過ごしていた。
そんな時、突然、パッと視界が明るくなった。
……気が付けば、もう清四郎の中だ。
目覚めた時、正面には……
驚くなよ……
斎藤が居た。
斎藤は俺に、
『江戸川乱歩の、『心理試験』を読みましたよ。』
と言った。
『心理試験』ってのは……
俺が犯した、殺人について書かれた話だ。」
[殺人]という単語に、場の空気が凍りついた。
「斎藤は、俺にこう語った。
『蕗屋清四郎は、4年前、ある連続殺人未遂事件に、巻き込まれました。
それからずっと、昏睡状態だったのです。
清四郎の家族は、今日まで、彼の看病を続けてきました。
きっと、明日以降もするでしょう。
……でも、不毛だとは思いませんか!?
永遠に目覚めぬかもしれない、肉の塊の為に、力も精神も金も、馬鹿みたいに、注ぎ込むんですよ。
俺はそんな時、『ドグラ・マグラ』と『心理試験』に出会いました。
両方を読んで、確信しましたよ。
清一郎さん。
あなたが、清四郎として生きるべきだ。
あなたは、完全犯罪を行った、とても賢い人です。
その頭脳は、今後の世の為に、使われるべきです。
……しかし、先ほども話したように、清四郎の家は、動かぬ清四郎の為に、金を使い過ぎました。
今更、清四郎を学校に通わせる金など、何処にもありません。
……何故、学校かって?
今の時代、社会で活躍するには、良い大学を出ていなければなりません。
……学費の話に、戻りますが。
残念ながら、俺が金を出す事も出来ません。
祖先が……あなたの友人がしくじったせいで、俺の家は、代々貧乏なんです。
……そこで俺は、考えました。
清一郎さん。
もう一度、あの完全犯罪を、行う気はありませんか?
…………。
もう人を殺すのは、懲り懲りだ……ですか。
ご安心を。その必要はありませんよ。
家の住人が居ない時間帯を、狙えば良いんです。
その時間帯は、俺が教えて差し上げます。
……ターゲット?
居ます、居ますよ。
あなたが生前に殺した、あの守銭奴婆さんの、子孫です。
こいつもまた、祖先と同じく、酷い守銭奴なのです。
タンマリと、ヘソクリを隠していると、聞いています。
……その金は、世の為に使われる事は、ありません。
清一郎さん、あなたが使うべきです。
……しかし俺は、ヘソクリの在処を知りません。
清一郎さん、きっとそれを聞き出すのは、あなたの方が適切です。
まずは、手始めに、婆さんと話して、探って来ては下さりませんか。
在処が分かったら、俺に知らせて下さい。
一緒に策を練りましょう。』
……俺は斎藤に言われた通り、ヘソクリの在処を探り当て、斎藤に知らせた。
……だが、俺がやったのは、そこまでだッ!!
策を練るのは、事件当日の翌日……つまり、今日やる予定だったんだッ!
なのに、斎藤が、俺に黙って、勝手に突っ走って……ッ。」
粉雪は、右肩に掛かったツインテールを、右手の甲で払いのけた。
「蕗屋さん。
あなたが1週間前まで、昏睡状態だった事は、ご家族から聞いているわ。」
「…………。」
*お読み頂き、ありがとうございます。
*原作
『黒死館殺人事件』著・小栗虫太郎
『二十世紀鉄仮面』著・小栗虫太郎
『ドグラ・マグラ』 著・夢野久作
『心理試験』 著・江戸川乱歩
*絵は自分で描いています。