7.小町の顔の傷
「ああ、粉雪さん!
よくいらっしゃいました……。」
笠森が、両手を広げて出迎えた。
「すみません。
昨晩の事件の処理が、長引いてしまって……。」
「全然、構いませんよ!
……この事件については、どれくらい聞いていますか?」
粉雪は、支倉の傍にあったテーブルに、バサッと、紙の束を置いた。
「貴方たちが知っている事は、全部。
それから、現場に出向いて、直接調査をして来ました。」
笠森は、紙の束を取り上げると、一枚一枚に目を通した。
「……す、凄い……!
現場の様子、容疑者2人の情報、お婆さん周りの情報まで……!」
「笠森さん。
その紙、蕗屋さんと斎藤さんには、見せないで下さいね。
……最も、そんな時間は与えませんけど。」
粉雪は、蕗屋と斎藤を、交互に見やった。
斎藤はいよいよ、死人のように、肌も目も色が薄くなって、口はダラリと開いている。
蕗屋も、この美しい名探偵の登場には、流石に緊張しているらしく、笑みを浮かべた顔がひきつっている。
「……蕗屋さん。」
「……何でしょうか、粉雪さん。」
「あなたは3日間に、被害者……お婆さんと、話をしましたよね。
お婆さんの自室で。」
「……僕には分かっていますよ、粉雪さん。」
蕗屋の頬が、途端に紅潮した。
「事件の前日、お婆さんの部屋に、六歌仙が描かれた屏風が、他の家から持ち込まれました。
祖先から、代々受け継がれてきた屏風がね。
……あなたはそれについて、僕に質問する気なんでしょう。
『小町の顔に、傷が付いているか?』
とね。
そして僕が、
『いいえ、付いていませんでした。
小町の顔には、傷1つ付いていませんでした。』
……と答えるのを、期待しているんでしょう。
僕がお婆さんと話したのは、三日前……その時、まだ屏風は部屋には無かった。
なのに、僕が屏風について、説明出来るのなら……
それは僕が、犯人だという証明になるのですからね。」
蕗屋は、一気にそう言い終えると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
粉雪は、キョトンとした可愛らしい顔で、蕗屋を見つめていた。
「まあっ……。
私が言おうとしたのは、全然別の事なのですけれど。」
蕗屋の顔が曇った。
「ふ、ふぅん……?
では、何を……?」
「私が言いたかったのは、お婆さんは、貴方と面識がある……という事だったんです。
その話は後でするとして……蕗屋さん。
貴方は何故、小町の顔に傷があるのを、知っていたんです?」
「えッ……!?
まさか……本当にッ!?」
蕗屋は激しく動揺した。
「私はこの目で、見て来ました。
他数人の警察官と、一緒にね。
勿論、証拠として、しっかり押さえましたよ。」
「…………。」
蕗屋は、言葉を失っていた。
「蕗屋さん。
貴方は私に、先手を打ったつもりだったんでしょうけど。
残念ね。
小町の顔……だなんて、具体的過ぎるわ。
ねえ、笠森さん?」
「ああ。
蕗屋よ、何故ピタリと、傷の場所を当てられたんだ?
いやそもそも、どうして屏風に傷があると……具体的で、限定的な話をしたんだ?」
「そっ……それはッ!
咄嗟に出た……たとえ話で……。」
泳いでいた蕗屋の視線が、一カ所に静止した。
「そうか……そうか!
[心理遺伝]……ッ!!」
蕗屋は突然、そう叫んで、髪を掻きむしった。
美しかった顔も、今は苦しみで歪んでいる。
「そんなに掻いては、艶やかな黒髪が、抜けてしまうわよ。
……そうそう、髪と言えば。
うつ伏せに倒れていた、お婆さんの服……その背中部分に、黒い髪が付着していたわ。」
資料を確認していた笠森は、肯定の意味を込めて頷いた。
「それが……俺の髪だって言うのか。」
「検査の結果はまだだけど、まあ、そうでしょうね。
お婆さんと最近、会った人の中で、あの色と長さの髪を持つのは……あなただけよ、蕗屋さん。」
「…………。」
「お婆さんの服は、事件の3日前と、事件当日で、全く違う物よ。
つまり、あなたが事件当日、現場に居なければ……起こり得ない事なの。」
「そんな……そんなのッ!
斎藤が、斎藤が俺の抜けた髪を、使ったかもしれないだろッ!
そうだ……斎藤は、どうしたんだッ!
どう考えたって、こいつが一番、怪しいだろッ!」
「それについても、説明してあげる。
……斎藤さんが捕まった時間と、お婆さんが刺された時間……
実は、3時間の差があったのよ。」
「さ、3時間……ッ。」
「斎藤さん。
あなたは、お金を奪っただけなのよね。」
斎藤は、力無く頷いた。
粉雪はそれを確認すると、言葉を続けた。
「松の植木鉢があった庭と、自室の間にある障子は、閉まっていたし……。
庭へは、自室以外からでも、入る事が出来るわ。
斎藤さんが、お婆さんに気付かなかった可能性も、考えられるわけ。
もしそうなら、大分罪が軽くなるわよ、斎藤さん。」
「……ちょっと待て。」
地獄の底から響くような声で、蕗屋は言った。
「婆さんは……生きているんだ。
なら……婆さんに話を聞くのが、一番早いだろ。
何故しない……!」
*お読み頂き、ありがとうございます。
*原作
『黒死館殺人事件』著・小栗虫太郎
『二十世紀鉄仮面』著・小栗虫太郎
『ドグラ・マグラ』 著・夢野久作
『心理試験』 著・江戸川乱歩
*絵は自分で描いています。