3.探偵少女に会いに行こう
「この四海堂出版社は、倒産しますよ。」
晃は、背中がヒヤリと冷たくなったのを感じた。
体を温めようと、震える指でカップを取り、口元に運んだ。
「坊ちゃん……その紅茶、冷めているでしょう。」
「…………。」
「……俺が温めて来ますよ。」
支倉は、晃のカップをお盆に載せると、応接室横の台所へと引っ込んで行った。
残された晃は、テレビを消すと、ソファの上でうなだれた。
……倒産寸前の出版社の社長、法水晃と、彼を[坊ちゃん]と呼び、進言する青年、支倉心。
彼らは一体、どんな関係なのだろうか……?
話は、約90年前の日本へと遡る。
そこには、明智小五郎の影に隠れ、ヒッソリと活躍していた、1人の探偵が居た。
名前を、法水 麟太郎と言う。
彼は、晃の祖先だ。
『黒死館殺人事件』で、一躍有名となった。
麟太郎は、その行き過ぎた想像力により、度々奇人扱いされ、煙たがられる傾向があった。
そんな彼が、探偵として活動出来ていたのは、彼の友人、支倉 肝のお陰だ。
検事であった肝氏は、度々麟太郎の元へ、彼にピッタリの、奇妙な事件を持って行った。
麟太郎は喜んで、それらの事件を解決してみせた。
そんな中、日本は、戦争へと突入し……戦後、金も品も無く困っていた支倉家を、当時運良く裕福だった法水家が、召使いとして、迎え入れたのだ。
今の法水家と支倉家には、もう主従の関係は無いのだが、古来からのしきたりを守るのが美徳だと考える支倉心は、1人で法水家の召使いを続けている。
ただ、支倉には支倉の仕事……検事としての仕事があるので、普段から晃の傍に居るわけにはいかない。
普段は、法水家に居る、住み込みのばあやが、晃の世話を行っている。
支倉は、時間が空いた時に、ばあやの手伝いをしたり、編集社の仕事を手伝ったりしていた。
しかし最近は、何かと検事の仕事が忙しく、なかなか編集社に来れないでいた。
やっと時間が取れたので、編集社の資料を整理したところ……倒産寸前だという事実を、知ったのだ。
テーブルに戻って来た支倉は、晃の前にカップを置いた。
カップの中の紅茶からは、湯気が立っている。
晃は支倉に、弱々しい笑みを向けた。
「……ありがとう、支倉くん。」
支倉は晃に、明るくほほえみ返した。
「レンジで温めただけですよ。」
晃はまた、弱々しく笑ってみせたが、やがてその笑みは消えた。
晃は、暗い顔を伏せた。
「……僕はこれから、どうすれば良いんだろう。支倉くん。」
支倉は右の拳で、ドンと自分の胸を叩いてみせた。
「ご安心下さい!
その為に、今日俺は、ここへ来たんですから。」
晃は、二重の両目を、パチクリと瞬かせた。
「えっ? どういう事だい?」
支倉は、テーブルに置かれていた朝刊を、開いてみせた。
一面にはデカデカと、先ほどテレビで観た、明智粉雪の姿が載っている。
「ほら、見て下さい。一面に載っている。
世間もメディアも、粉雪ちゃんに注目しているんです。」
支倉は更に、トントンと、投書欄を指の腹で叩いた。
その投書欄は、一面にわざわざ、粉雪に関する内容だけを載せる為に、用意された物である。
「投書欄は、粉雪ちゃんへの賞賛や、応援のメッセージで溢れています。
世間は、粉雪ちゃんの新たな活躍を、期待しているんですよ!」
「う、うん。それは分かったよ。
でもそれが、この四海堂出版社と、どう関係があるんだい?」
支倉はニヤリと、片方の口角を上げてみせた。
「今朝、この近くの警察署に来るよう、笠森判事から指示が入りました。
これから早速、俺はその警察署に向かうんですが……。
そこに、粉雪ちゃんも、来るんですよっ!」
「へ、へえ!」
「そこで坊ちゃんは、なんとか粉雪ちゃんに接近して、強いパイプを作るんです。
そうして、粉雪ちゃんの独占インタビューを、雑誌に載せます。
写真集を出します。
漫画なんかも、どこかの漫画家に描かせちゃいます。
とにかく、粉雪ちゃんに関する出版物を、四海堂出版社で出すんです。
そうすれば、粉雪ちゃんファンが、こぞって買います!」
「な、なるほどっ!
でも、支倉くん。
他の大きな出版社に真似をされたら、手も足も出ないんじゃ……。」
「粉雪ちゃんに、
『四海堂出版社さんじゃないとやだ……。』
と言わせるくらい、ゾッコンにさせるんですっ!」
支倉は大分熱が入ってきたらしく、彼の顔は、テーブルに置かれた紅茶のように赤い。
「ぞ、ゾッコンッ!?」
突然飛び出した、俗な言葉に、晃は戸惑った。
「色仕掛けってやつです。
大丈夫ですよ、坊ちゃんほどのルックスがあれば!」
「出来るかなぁ……。
僕は今まで、恋人なんて居た事無いんだけど。」
というのも、晃は今まで、同年代の少女と接した機会が、殆ど無かった。
恋にうつつを抜かし、学業が疎かになるのを恐れた晃の父が、小中高と、晃を男子校へ通わせたからだ。
高校を中退した後は、周りに居るのは大人ばかりで、同年代の少年と話す機会まで、無くなってしまった。
その経緯は、長年晃に連れ添って来た、支倉も知っているはずだ。
しかし、支倉にとって、そんな事は微塵も問題に感じられなかった。
それほど、目の前に居る少年が、美しく、素晴らしい存在に映っていたからだ。
*お読み頂き、ありがとうございます。
*原作
『黒死館殺人事件』著・小栗虫太郎
『ドグラ・マグラ』 著・夢野久作
『心理試験』 著・江戸川乱歩
*絵は自分で描いています。