第45話 夜明け
「ルイさん、このメーロ茶はお口に合いますか?」
バスがそう言ってルイの目の前にティーカップを置いた。
温かい湯気がカップから立ち上っている。
「不思議な香りですよね……薄荷っぽいというか、なんというか」
ルイはティーカップを手に取って、八分目まで注がれた赤茶色のお茶をまじまじと見た。
そして一口、口にする。
「あちっ!」
その様子にバスがクスッと笑った。
バスはそのまま東側の窓際まで行くと、カーテンを僅かにめくり、外の様子をうかがった。
「空が白み始めてますね。もうすぐ日の出か……――」
そしてカーテンを離し、ルイを振り返る。
「――そう言えばルイさん。バイエモンとはどこで知り合ったんですか?」
ルイはティーカップを置き、つじつまを合わせるように言った。
「あぁ。えっとですね……、昨日かな?カロ屋に行ったら、いたんですよ。なんか、カロ屋側の世界でいろいろあったみたいで、具合悪そうでしたね……」
ルイはミナミのことを思い出し苦笑いをした。
バスが席に戻り、自分のティーカップを手に取る。
「何があったんですかね、バイエモン。子供の姿になって、おまけに変わった服装をしているし……」
バスはそう言うと、カップの中のお茶を見た。その様子がどことなく寂しそうだ。
「あ、あはは……、そうですね(って、あれ俺の服なんだけど……。)衛門君って、本当は違う姿なんですか?」
ルイは何気なく聞いた。
「え、えぇ……。そうですね――」
バスがテーブルの上の“記憶をたどる箱”を指す。
「――私がその魔道具で見たバイエモンは、もう少し人間離れした肌の色の青年でしたね……。青黒いというか、目もこう、黒目が猫のように縦に長かったですし」
バスはそう言いながら目を縦に伸ばすようなしぐさをした。
「青黒い……猫目……。バスさん、それでよくすぐにバイエモンだってわかりましたね」
ルイは顔を引きつらせた。
「えぇ、まぁ。先ほどもお話したように、根底に流れている魔力の波動が同じですからね。近くに寄れば嫌でも感じますよ……。記憶を失っていても、やっぱり私はバイエモンの側近なんですね……」
バスはそう言うと、暗い顔をして肩を落とし、お茶を一口飲んだ。
「あ、あはは……」
「でも、なんでバイエモンはカロ屋さんに?……ジニマルがカロの森に引っ張られているのは十分わかっていたはずだろうに……」
バスはそう言うとカップを置き、怪訝な顔をして首を傾げた。
「マルの話では“力場”を探してるとかなんとかって……」
「えぇ!?」
その言葉に、バスが驚愕した表情でテーブルに手をつき立ち上がった。
ルイはその様子に驚いてバスを見た。
「ど、どうしたんですか?」
「ル、ルイさん……。それは、それはかなりマズいことです!バイエモン自ら“力場”!?」
バスはそう言うと、部屋の中を落ち着かなくウロウロと歩き出した。
そして、ピタッと立ち止まると驚愕した表情のままルイを見て言う。
「それで、バイエモンは力場を見つけたんですか!?」
「い、いえ……。たぶん見つけてないと思います……」
ルイは苦笑いをして答えた。
バスは何か考え込むように黙ると、再びテーブルの横を往復するようにウロウロと歩き出した。
僅かの沈黙ののち、ルイは気まずそうに声をかけた。
「ば、バスさん……?」
「ハッ、す、すみません……」
バスはそう言うと、苦笑いをして席に戻った。
そして、テーブルに肘をつき、カップに視線を落とす。
(……もしかしたら状況的にマズい方向に向かっている?今回の戦乱はそのきっかけ……)
バスが真剣な顔をしてルイをまっすぐに見る。
ルイはその視線に思わず姿勢を正した。
「……ルイさん。私の話を聞いてもらえますか?」
「あ、え、は、はい……」
ルイの返事を聞くと、バスはバイエモンが起きてこないかと部屋のドアを気にしつつ、低い声で慎重に話始めた。
「先ほども申しましたが、私は元々異世界の人間です。この世界に来たのは、バイエモンがこの世界の“力場”から魔力を得るためなんです。バイエモンと私と、もう一人の側近ロジュスと三人……」
「ロジュス……」
「そう……。この世界の力場の情報を最初に持ってきたのはロジュスでした。“記憶をたどる箱”で見たところ、あいつは元の世界では異世界に関する研究をしていたんです。ちょうど、この世界のスコット様と同じような研究です……」
「は、はぁ……(スコット?聞いたことあるような……誰だっけ?)」
ルイは話を合わせるように頷いた。
「バイエモンが直々にカロの森に……、力場を探しに出張ってくるなんて、バイエモン自らの案とは考えにくいですよ。ましてやカロの森はルーシュからだいぶ離れていますし」
「……」
「ジニマル弱体化を好機ととらえたのかもしれませんが、だからと言って、ジニマルが引っ張られている森に……、場所もはっきりわかっていない力場を探しに魔王自ら来るなんて……」
「ま、まぁ、そうですよね……」
「“記憶をたどる箱”で見たロジュスは、ずいぶん気持ちの悪い男でしたし、バイエモンが自ら動いている理由はジニマル弱体化以外にもありそうな気がするんですよ……」
バスはそう言うと、大きくため息をついた。
そして、カップの中に残ったお茶を見つめ言う。
「バイエモンは……、ナガールまで来て、どうするつもりなんでしょうね。ジニマルが存在する限り、私にかけられた呪詛は解けないというのに……。私を連れ戻しに来たのなら、無駄足ですよ」
ルイは不安交じりにバスを見た。
「バスさん。ジニマルの呪詛が解けて記憶が戻ったら、“バス”さん、としての記憶って消えてしまうんですか?……ほら、聞いた話では記憶喪失の人って、記憶が戻ると記憶を失っていた時のことって忘れてしまうとかなんとかって言うじゃないですか……」
「いえ……。そのあたりはどうも違うみたいです。先生に聞いたところ、私の場合、呪詛が原因ですので、一時的に忘れているだけだと……。簡単に言うと、六年以前のことをど忘れしているだけ、という感じらしいです」
「じゃあ、記憶が戻ってもバスさんのままってことですか?」
「まぁ、そうでしょうね……。ですが、100%そうだとは言い切れませんけどね」
バスはそう言うと苦笑いをした。
「フン、そんなことだろうとは思ったよ……」
その声に驚いて、バスとルイは、廊下へ続く部屋のドアを見た。
「あ!?衛門君」
「バ、バイエモン……(いつからいた……?)」
いつの間に部屋に入って来たのか、バイエモンがドアの前に立っていた。
「だが俺は、バスィエル、お前を諦めたわけじゃない。“力場”探索は協力してもらうからな」
バイエモンはそう言うと、ルイの横の椅子を引き、そこにドカリと座った。
「だ、誰がお前に……、フラガになど協力するか!今すぐ出て行け!」
バスはそう言いながらテーブルをドン度叩き立ち上がった。
「ククク、バスィエル、勘違いするなよ。オレはフラガに協力しろとは言っていない。それにオレはこの世界以外にも面白い世界を見つけたからな」
バイエモンはそう言うとチラッとルイを見た。
「な、何?」
ルイが顔を引きつらせる。
「ルイ、お前の世界……、カロ屋を越えた先にある世界、あの世界に興味がある」
「え?ルイさんの世界……?――」
バスは顔をしかめた。
「――バイエモン、今度はルイさんの世界に手を出すつもりか!?」
そう強い口調で言う。
「いや、手は出さない……(あの世界には魔力がないからな、オレじゃ手を出しようがない)。が、興味はある。バスィエル、こいつの世界は、魔力も無いのにオレたちの世界よりも、この世界よりも発展しているんだぞ。魔力がなくても発展している世界がある、これは大きい発見だ」
バイエモンはそう言うとニヤリと笑った。
「魔力の無い世界……?」
バスはそう言うと訝しげな顔をし、ルイを見た。
「あ、あはは……。そ、そうなんですよ。俺の世界って、こっちと違って魔力がなくって……」
「それで発展しているんですか?」
バスが少し驚いたように尋ねる。
「え、えぇ。そうですね。魔力がない分、この世界とは違った発展の仕方をしてると思いますよ……。だから、俺が魔力を使えるのってこの世界にいるときだけなんですよね……」
ルイは苦笑いをして答えた。
「そんな世界が……」
バスがつぶやくように言った。
「だから俺は“カロ屋”の先にある異世界も探索することにした」
「えぇ!?」
ルイは驚いて、少し嫌そうにバイエモンを見た。
「バスィエル、お前も知っていると思うがオレたちの世界はもう魔力が枯渇寸前だ。魔力が使えるのはオレの様に内在魔力を生み出せるもののみ。……だが、魔力がなくても発展する世界があるなら、オレたちの世界も魔力に頼らない発展の仕方を探せるはずだ」
「……うぐっ」
バスはバイエモンの話に、言葉にならない声を上げた。
「幸か不幸か、ジニマルのやつ、オレにルイの世界でも通用する姿固定の魔法をかけていきやがった。この姿でいる限り、オレは向こうの世界にも怪しまれずに行くことができる」
「そ、そうだけど、衛門君、あっちの世界って……。だって、具合悪そうだったじゃん」
ルイの言葉に、バイエモンは僅かに動揺したそぶりを見せた。
「(邪神……。)だ、大丈夫だ。ジニマルも平気で向こうの世界に行っていたではないか!じゃ、邪神ごとき……」
「邪神……って……(誰のことだ?まぁ、想像に難くないけど)」
ルイはミナミを思い出し苦笑いをした。
「じゃ、じゃぁお前は、ルイさんの世界に行くというのか!?」
バスが動揺したように言う。
「あぁ!だからお前も一緒に来い。そして“カロ屋”を拠点に森の“力場”を探すのだ」
「ふざけるなっ!俺はもうあんたの側近じゃない!何を好き勝手なことを言ってるんだ」
バスは勢いよくそう言うと、バイエモンの横に立ち、その胸ぐらを掴んだ。
そして恐ろしい形相で言う。
「さっさとこの国から出て行け!そしてロジュスともども元の世界に帰れ!ルイさんにも迷惑をかけるんじゃない」
バイエモンがバスの手を払いのける。
「フン!お前こそ好き勝手なことやっているだろう。お前がここにいる理由を……、この世界に来た理由をよく考えることだな!――行くぞルイ!」
バイエモンは勢いよく椅子から立ち上がり、プイと向きをかえると、そのまま部屋を出て行った。
「あ、ちょっと!衛門君」
「ルイさん!」
バスが、バイエモンを追って部屋を出ようとしたルイを呼び留める。
「バイエモンも子供じゃないんだ。放っておきましょう」
「で、でも、衛門君は仮にも魔王だし、町の中で戦乱でも起こされたら……」
「それはまず心配はないと思いますよ。ジニマルの姿固定の魔法ですか……、それのせいか、だいぶ魔力が弱まっているようだし。それに見た目も子供ですからね。この町をウロウロしていても、魔王だと気づかれることはないと思いますよ」
バスはそう言うと、再び部屋の奥側の椅子にドカリと座った。
ルイは少し疲れたように、部屋のドアを見た。
東から朝日が眩しく町を照らし始めた。
その日差しが、昼間の気温の上昇を予感させる。
人気の無いナガールの町を、バイエモンは一人、街の中心部へと向かった。
「ここまで来て、バスィエル……。引き下がれるか」
のどかだったナガールの町は、昨日の戦乱でいたるところが瓦礫と化していた。
小さな路地はその瓦礫に塞がれ、ところどころ行く手を阻んでいる。
「せっかく来たのに、通れないだと?」
つかれたような顔をし、バイエモンは塞がれた小さな路地を引き返した。
「ハッ!?」
もどりかけた路地の先、一瞬人影が通ったように見えた。
「ところどころ道が塞がれてたんじゃ、今の影が何なのか追うのは難しいか……」
目の前にひらけた大通り、バイエモンは難しい顔をして左右を確認するように見た。
さきほどの影は、やはりどこにも見当たらない。
「くっ……。仕方がない……」
バイエモンは大通りを左に折れ、道沿いに歩き出した。
町の中心部に近い、大きな道が交わる交差点。
朝日が昇り、明るくなったことで建物の外に出てきたのか、通り沿いに瓦礫を片付ける人々の姿がちらほら見えるようになっていた。
バイエモンは辺りの様子をうかがった。
少し先に馬車停の標柱を見つけ駆け寄る。
折れ曲がった馬車停の標柱。
時刻の書かれた板が今にも外れそうだ。
「……デグレード行きの馬車は出ているのか?」
バイエモンは難しい顔をして看板をじっと見た。
「どうしたんだ?ボウズ」
その声に後ろを振り向けば、通りに面した店と思しき建物から出てきた中年の男が、柄の短いホウキを持ち不思議そうな顔をしてバイエモンを見ていた。
「で、デグレードまでの馬車は出ていないかと見ていたところだ」
バイエモンは少しためらうように言った。
「デグレード?そりゃ、この馬車停じゃないよ。デグレード行きは南門のすぐ前にある馬車停から出るんだ」
男はそう言うと、太めの身体を揺らし、バイエモンの横に立った。
そして、不審そうな顔で言う。
「昨日の今日だ、時間通りに馬車が出ているとは限らないぞ……。ボウズ、一人でデグレードまで行くのかい?あっちも昨日一昨日の戦乱で大変なことになってるって話だぞ」
「あ、あぁ……。デグレードから、さらに先のフーナプラーナという所まで行くんだ」
「フーナプラーナ?……聞いたことないな。そこに親御さんでもいるんかい?」
「そ、そんなところだ」
バイエモンはそう言うと、プイっと向きをかえ、大通りを足早に南へ歩き出した。
「ボウズ、気を付けてなー」
後ろから、男のバイエモンを見送る声が聞こえた。
「ルイさん、本当にこれでいいんですか?」
バスはB5判ほどの大きさの比較的質の良い紙に、何やら書き込んでルイに渡した。
それはコウモリダンゴの著作権譲渡と著作者人格権を行使しない旨を明記したものだ。
「えぇ。ありがとうございます。これで、カロ屋でコウモリダンゴのストラップを作って売ることができます」
ルイは苦笑いをして答えると、紙を大事そうに丸めた。
「著作権ねぇ……。カロ屋さんの世界も権利関係が複雑なんですね」
「え、えぇ。まぁ、そうですね」
ルイはバスから短めの紐を受け取ると、その紐で丸めた紙を縛った。
「それで、ルイさんはこの後どうされるんですか?カロ屋さんに戻るんですか?」
バスは落ち着いた様子でルイを見た。
「そうですね。衛門君のことも気にはなりますけど、まずはこの書類を先に持ち帰ろうかなと……。重要な物だし」
「バイエモンについては、私もいろいろと思うところがありますから、テオ様とも相談して今後の対応を検討したいと思いますよ。また戦乱を起こされたら、たまったもんじゃないですからね……」
バスはそう言うと複雑な表情をして笑った。
「そうですね……。じゃぁ、俺もテオさんに会った時に話をしてみます」
ルイはそう言うと席を立った。
そして、バスに向いて言う。
「じゃ、バスさん。俺、一旦カロ屋に戻ります。で、近いうちにまた来ます。他にもバスさんに聞きたいことがあるんで……」
ルイは言葉尻を濁し苦笑いをした。
(エルデのコウモリダンゴメール事件は、まだ未解決だからな)
「わかりました。こちらも、ナガールにいるかもしれないフラガの間者のことを、秘密裏に探ってみます。あまり表沙汰になってはガドリさんたちにも迷惑がかかるかもしれませんし……」
バスもそう言いながら席を立つと、そのまま移動し、部屋のドアを開けた。
その後をルイが続く。
バスの家の玄関先。
通り沿いに、掃除や片づけをしている人々の姿がポツポツと見える。
「へぇ。誰もいないと思ってたけど、町の中に人がいたんですね」
ルイは通りを見回し、つぶやくように言った。
「戦乱後ですしね、みんな息をひそめて家の中にいたんでしょう」
バスは苦笑いをして言った。
「じゃ、バスさん。また来ますね。では俺はこれで……」
ルイはそう言うと軽く頭を下げた。
「ルイさん、お気をつけて」
バスが笑顔で見送る。
ルイは僅かに宙に浮くと、バスの家の前から少し離れ、そして一気に飛び上がった。
バスはルイを見上げた。
ルイは、そのままカロ屋のある方向に向けて、スピードを上げ飛び去って行った。
「ルイさん……。やはり、完全に魔王の域にあるように見えるな……」
バスは目を細めて、つぶやくように言った。




